中国四大奇書 その1西遊記

 四大奇書というものが中国の宋代そうだい明代みんだいに描かれております。「西遊記さいゆうき」「水滸伝すいこでん」「三国志演義さんごくしえんぎ」しして「金瓶梅きんぺいばい」とよばれる書籍なのですが、清代しんだい以降は金瓶梅をはずして「紅楼夢こうろうむ」という作品に差し替えて、「四大名著」とされる場合もあります。

 金瓶梅という作品が水滸伝の登場人物の関係者が主人公となる、スピンオフ的な作品であるのと同時に、仕事ができるうえに多くの女性にもてる、役職の変わるたびに作品タイトルの変化する漫画の主人公のような人物が主役とされています。

 だったら「三大」にすればいいのではないかと思うのですが、sの周辺の価値観は「偶数と左右対称を好む」というものがあるので、そういう形になったとしておきます。


 今回は西遊記について、歴史上の「玄奘三蔵げんじょうさんぞう」と重ねて話たいと思います。

 

 玄奘三蔵はは唐の時代の人物でその当時、仏教が廃れかかっていたために、インドにある聖地に行って経典きょうてんを持って帰ろうとした人物です。

 そのあたりは西遊記の話と同じなのですが、実際に玄奘がインドについた時には、インドにおいて仏教は廃れてしまっており、インド各地を廻るが、成果を得られずに帰国することになります。その期間は20年とも言われ大変なものだったのでしょう。


 それに比べると、西遊記における玄奘はお供と共に「天竺てんじく」にたどり着き、

経文を持って帰るのですが、来るときは「徒歩にて来るよう」に言った相手が帰り道は一瞬で帰ることを許すなど、尻切れトンボのような話になっています。


 この西遊記は様々な妖怪が登場する作品であり、話の内容も奇想天外すぎるので、

周と殷の国の戦いをSF調に描いた「封神演義ほうしんえんぎ」のようなものであると思うのが良いでしょう。

 しかしそこに出てくる妖怪はモデルがいるとされ、孫梧空は金絲猴きんしこう、八戒は猪 (中国において豚のことを猪と書きます)、沙悟浄さごじょうは河童ではなく、揚子江カワイルカという淡水に住んでいるイルカがモデルとされています。

 

 何故僧侶である玄奘のお供が動物なのでしょうか?他の妖怪も含めて、モデルになる人たちは居なかったのかと考えています。

 猿や猪などはよく、日本人と中国人(中国の真ん中あたり)の人に例えられます。

それに揚子江カワイルカを配下にするということは、北方系の民族の国とされる唐が、他の地域の人たちを従えるという構図になります。

 実際に唐以降は中国では、仏教と、景教けいきょう(キリスト教もしくはユダヤ教)は禁教きんきょうとされるので、そのあたりが宋代、明代の人には気に障るのだとは思われます。何故ならそれらの人が「猪」と呼ばれる対象にあたるからです。


 玄奘の旅をなぜ行われたと考えると、仏教における「末法思想まっぽうしそう」と絡んできます。簡単に言うと「世も末」の語源であり、一種の世紀末思想ととらえていただくと分かりやすい話になります。

 であるから遣唐使において最澄さいちょう空海くうかいを派遣した理由もこの、末法思想に対する日本の政権担当者が恐怖状態にあったとされます。




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