閑話 最近話題になっている「弥助」についての私的な感想
どこぞのゲームで弥助と称するサムライが登場していますが、あれは何なんでしょうか?おそらく織田信長に宣教師からもらわれた人物のことなのでしょうか?
このことについて私見について話したいと思います。
おそらくこの弥助という人物はスペインに記録が存在する当時の宣教師が、織田信長に謁見した時の話が元となっています。ルイスフロイスという人物の書いたとされる「日本史」という文章です。
ある時に宣教師が弥助を連れて信長の元に訪れた時に、肌の黒い人物を始めてみた 信長はそれが、本物であるか確かめるために水を含ませた布で何度も体をこすらせてそれが本物であることを確認したうえで、宣教師からかれを「もらいうけた」。
本能寺の変の時にその死傷者の中に弥助は含まれていなかった。
この2つの文章があるのみです。
この文章からわかることは、弥助の存在は、その当時の宣教師にとって、あまり重要ではなかったということです。宣教師が布教を許可してもらう場合は、贈り物をします。布教の対価としてです。
信長の場合も贈り物を送られたことが、同じように記録があります。
贈り物をうけとったときに信長は、置時計を「壊れたら直せないので」という理由で返しています。この場合は布教を許可してもらうという状況ですが、贈り物の対価を要求し、許されています。
弥助の場合は偶然連れて行ったのかはわかりませんが、引き渡す場合の対価を要求していません。していたら記述があるはずです。
このことからその当時の宣教師が、弥助に対してあまり価値をみなしていなかったもしくは消耗品扱いだったという背景がみられます。実際にあの時代にイスパニア(スペイン)がアフリカや南米で行っていたことからも、それはわかるでしょう。
そしてその後本能寺にて信長がいなくなるまで、何度も宣教師から信長への接触はあったと思われますが、そこには弥助の文字は一文字もありません。
つまり、弥助を気に入って武士に取り立てたや、中間(雑用係)として近くに置いていたのなら、そのことに対しての記述があってしかるべきなので、それがないという時点で、そういう扱いではなかったと考えられます。
そうなると可能性は宣教師から信長が弥助を「保護した」というものです。この場合の保護は衣食住の提供であって、街中を自由に歩き回る権利はなかったでしょう。
その当時においても珍しい外国人で自分たちと肌の色の違うもの。奇異の目にさらされるのは当然であり、妖怪変化の類として排除しようとするものや、見世物にして儲けよう(実際江戸時代の象がその扱いを受けました)とする人ないとは言わない街中に、彼を出すことはしなかったでしょう。
言い方は失礼かもしれませんが「愛玩動物扱い」に近い扱いが、最も考えられる結論になります。その後、秀吉の記録にも、家康の記録にも弥助は登場していません。
特に家康はウイリアムアダムス(のちの三浦按針)をブレーンとしてそばに置いたことからも、彼を見つけ出していれば、必ずあっているはずです。
それらの記録もなく、宣教師側にも、かれのその後を積極的に探した形跡も見受けられません。
そのような人物を侍として作品に登場させる人間の気が知れませんが、そのきっかけになったのではないかというものには心当たりがあります。
昔のNHKの大河ドラマはその昔は
そのため弥助の登場シーンは増やされ、立ち位置は信長のボディガードのように書かれていましたが、実際の信長が、素性も知らない、肌の色の違いの意味も解らない人物をそばに置くのか?という意味ではありえないはなしでしょう。
多分その作品を見た人が、彼を侍として登場させたという、実に浅い考えで作られたのでしょう。今の時代劇はその時代設定を使っただけのフィクションでしかありません。それを証拠として出すならば、それは役者の演じる役が本物であると思い込む、底の浅い人間でしかありません。
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