第4章 大陸の歴史と文学

中原とはなにか?

 中国の故事に「中原に鹿を追う」というものがあるのだか、意味は天下分け目の戦をするという宣戦布告分せんせんふこくぶんだったらしい。

 ではここにおけ中原とは何を示すのだろう。


 中の原というのだから、何らかの間に存在する土地と考えるのが無難であり、あの国の地形を見た時に、無難な選択であるが、「黄河と揚子江などの九江きゅうこう」の間と、とらえるのが無難に見える。

 その土地は平坦であり、作物を育てるのに適した肥沃ひよくな土地、それを鹿肉(上等な土地)という意味で争うという意味だったのだろう。


 大陸の国の歴史において、優遇されているものとそうでないものがある。漢王朝とそれに続く魏王朝は歴史的記述も多くあり、優遇されているように見える。

 ほかには北宋ほくそう南宋なんそうで有名な、宋王朝、そして明王朝であると、私は思う。

 なぜそう思うかというのには、三国志などの歴史書が、焚書ふんしょ(焼き捨てられる)行為にあったはずなのに、宋や明の時代にその写しとされるものが発見されて、大幅な記述の追加や、内容の変化がみられていることにある。


 だいたい「古い家を壊したらそこから古い書物が出てきた」というだけで怪しいのに、それを何の疑いもなく正しい記述であるととらえるのがおかしい。

 似たようなことが伊勢湾台風の後日本で起こっているが、その時発見された「武功夜話ぶこうやわ」は歴史書と正式には認定されていない。


 それと、漢、魏、宋、明の国の初代皇帝(魏の場合曹操)で考えると、すべてが中原と言われる土地の中で生まれている。そうであるから、それらの国がやたらと持ち上げられている風潮が見える。

 時代が長いとされる周王朝(始皇帝の前に皇帝がいるという矛盾)は地図で言うと、五丈原ごじょうげんあたりの生まれのであり、始皇帝はウイグル(西夏)、ずいや唐は黄河の北方系と言われているし、元はモンゴル、清は満州が元々の拠点である。

 つまり「中華思想」という観点からする地、まさに、中心地の文化圏生まれを正当な国としているのだろうというのが、今回の結論になる。

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