平安京の不安定さと不確定さ
以前、私は平安京と言われた土地は水害に弱いことについて述べましたが、その他の平安京の不確実な点を述べていきたいと思います。
まず地理的に盆地にあり、夏は蒸し暑く、冬は底冷えをする気候が挙げられます。これについては大和(現奈良県)にあった平城京もそうなのですが、明らかに交通の便の悪い内陸部で周りを山に囲まれた場所にあるというのが何か意図的なものを感じます。
世界に存在する洪水伝説と、
次に平安時代の貴族で名前の残っている人の一覧を見たことがあります。古い時代ですから数は少ないのは当然でしたが、ざっと400人ほどの記述がありました。
これをどう考えるかと言えば『明らかに数が少ない』というのが印象でした。
400年同じ場所にいて記述に残る人が400人はあり得ませんから、記述漏れやそこに乗らない「名もなき人たち」が多数いたことにしましょう。しかし、そうであっても数が少ないのです。
平安京に対しての
桓武天皇の弟であり。彼と対立し
彼は平安に遷都しようとする桓武天皇を止めるために当時の仏教勢力が担ぎ上げたもう一人の神輿という立場にあり、兄弟の不仲はなかったとされていますが、彼は流刑にて四国に行く間の道中に、食を絶ち四国の地を踏むことなくその生涯を終えています。
これらのことから日本でよく言われる「
怨霊の話につては別の時にしようと思っているので、ここで止めておきますが、平安時代というのは、名は「平安」でありますが、歴史を調べていくと、政権対立とその処罰の歴史です。
言い方を変えると「ものすごく怨嗟に満ちた土地」とも言えます。迷信や祟りを信じ、平安時代の貴族が生きていたのなら非常に住みたくない土地の様に思われます。なぜこの土地にこだわったのかは私にも理解が出来ません。
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