第二章 古典文学、歴史学、自然科学などの総合学問として判断する歴史と矛盾
古事記と日本書紀
このタイトルは私が子供の頃に学校にあった書籍のタイトルです。ほかにも「信長と秀吉」なんてタイトルの本のあるハードカバーの書籍の歴史のシリーズでした。
ところで、「古事記」と「日本書紀」は何と読むのが正しいのでしょうか?通説では前者は「こじき」後者は「にほんしょき」と呼ばれていますが本当にそうなのでしょうか?
なぜこのような疑問を持ったかというと、それに続く続巻のタイトルがおかしいのです。
「
また日本書紀は、続く歴史書がありますが、その名前も「続日本紀(しょくにほんぎ)」「日本後記(にほんこうき)」でありこの読み方にも矛盾が生じています。
まず古事記のほうですがあきらかに「こじき」とよめます。この作者は「
現在日本が正式な「古事記」の原本としているものは、
しかしこの正本と呼ばれるものも、1300年代中期に旅の僧によって写本をされたという記述があり、この本も元々あったものか、自称旅の僧によって書かれたものが残されたものかは不明となっています。
この古事記については江戸時代の学者「
これを私見では「1つの神を4つに分けた」と認識しています。
日本書紀については「太安万侶(おおのやすまろ)」という人物が西暦720年頃に編纂されたということになっていますが、ただ太安万侶の墓とされているものは文字が「大安麻呂」と書かれており、ここにも不一致が存在します。
また日本書紀は何度が貴族による講釈(その時代の偉い学者による研究論文のようなもの)が行われていますが721年に初めのものが行われていますが、「全く読めなかった」とあります。またそこから数十年後の同じ講義では「原文の意味が残っていなくて、全く違う解釈になっていた」とおりました。そして日本書紀が今の形におおよそ確定たのは10世紀(900年代)とされています。
しかしながら、続編が、続日本紀、日本後記であることに変わりはなく、「紫式部日記」においては式部は古典に精通しており、「日本紀の
このように「古事記」も「日本書紀」も実に怪しいところの存在する書籍なのは、ここからは仮定の話ですが、「いくつかの神話をつなげたもの」だと思っています。なぜそのように思うかと言えば、日本にある有名な神社の中には「過去から現代にいたるまでの歴史を書かれたものの存在する神社があったり、神社の始祖である神の系譜を書いているものがあったりで、そこには矛盾が生じています。その為、古事記と日本書紀は調べるほどに様々な解釈の成り立つものともいえるでしょう。
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