第二章 古典文学、歴史学、自然科学などの総合学問として判断する歴史と矛盾

古事記と日本書紀

 このタイトルは私が子供の頃に学校にあった書籍のタイトルです。ほかにも「信長と秀吉」なんてタイトルの本のあるハードカバーの書籍の歴史のシリーズでした。


 ところで、「古事記」と「日本書紀」は何と読むのが正しいのでしょうか?通説では前者は「こじき」後者は「にほんしょき」と呼ばれていますが本当にそうなのでしょうか?


 なぜこのような疑問を持ったかというと、それに続く続巻のタイトルがおかしいのです。

 「先代古事記せんだいくじき」は古事記より前のことを書いたものという触れ込みですが、というのが定説になっています。でしたら読み4仮名も「せんだいこじき」でなければいけませんがこれは「せんだい」と訳します。

 また日本書紀は、続く歴史書がありますが、その名前も「続日本紀(しょくにほんぎ)」「日本後記(にほんこうき)」でありこの読み方にも矛盾が生じています。


 まず古事記のほうですがあきらかに「こじき」とよめます。この作者は「稗田阿礼ひえだのあれい」という人だといわれていますが、これは人名としてはおかしいのです。「阿」の字は中国の作家の書いた「阿Q生伝あきゅうせいでん」にもあるように別称として使われています。そして「ひえだのあれい」という読みに意味があり、これは「日枝のあれ」と漢字を音読みする人たちには読めないようになっていて、日枝とは現在の「日吉神社ひよしじんじゃ(天皇家に関係する猿田彦をまつる神社)」にあった何かを指しているのでしょう。

 現在日本が正式な「古事記」の原本としているものは、忌部家いんべけに残されていた、家系図の乗っていないもの「ではなく」美濃の国に存在していたものが「正本」とされています。

 しかしこの正本と呼ばれるものも、1300年代中期に旅の僧によって写本をされたという記述があり、この本も元々あったものか、自称旅の僧によって書かれたものが残されたものかは不明となっています。

 この古事記については江戸時代の学者「本居宣長もとおりのりなが」の注釈のついた「古事記伝こじきでん」というものがあり、そこには1柱の神を4つの状態にわけ、その状態によって神の見え方が違うことが書かれています。

 これを私見では「」と認識しています。


 日本書紀については「太安万侶(おおのやすまろ)」という人物が西暦720年頃に編纂されたということになっていますが、ただ太安万侶の墓とされているものは文字が「大安麻呂」と書かれており、ここにも不一致が存在します。

 また日本書紀は何度が貴族による講釈(その時代の偉い学者による研究論文のようなもの)が行われていますが721年に初めのものが行われていますが、「全く読めなかった」とあります。またそこから数十年後の同じ講義では「原文の意味が残っていなくて、全く違う解釈になっていた」とおりました。そして日本書紀が今の形におおよそ確定たのは10世紀(900年代)とされています。

 しかしながら、続編が、続日本紀、日本後記であることに変わりはなく、「紫式部日記」においては式部は古典に精通しており、「日本紀のにほんぎのつぼね」と周りからやっかみ半分で言われていたことがわかります。ではこの場合の「日本紀」とはなんなおでしょう?紫式部については存在がとても怪しい人物なので、また別の項目を立てて私見を述べたいと思います。


 このように「古事記」も「日本書紀」も実に怪しいところの存在する書籍なのは、ここからは仮定の話ですが、「」だと思っています。なぜそのように思うかと言えば、日本にある有名な神社の中には「過去から現代にいたるまでの歴史を書かれたものの存在する神社があったり、神社の始祖である神の系譜を書いているものがあったりで、そこには矛盾が生じています。その為、古事記と日本書紀は調べるほどに様々な解釈の成り立つものともいえるでしょう。

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