ちはやふる
「ちはやふる」とは最近のマンガのタイトルにもなったことで、百人一首の句であることが解る人が増えましたが、ちょっと昔では、落語の
今回はこの句に対する私見を述べていきたいと思います。
一応この句のざっくりとした意味は「
「ちはやふるかみよもみせずたつたわからくれないにみずくくるとは」この句にはいきなり
ここから私見と時代背景、用語などから以下の推測を行います。
「かみよ(神代)」と読まれているところを「かみを(神尾)」と書き換えます。古い
奈良、平安時代のあったとされる「
この和漢混交文は「今我文書也」などの文章に漢字あてはめて日本風の主語+修飾語+動詞の形で書いたものになります。
次に「ちはやふる」を
「神代」を「神尾」としたことは、古い時代の事ではなく、単純に神様の尾としたいからです。この場合の神の尾というのは、龍田川から、奈良にある龍田神社を表しているととるのが、良いでしょう。その意味は
洪水が起こらないように神事を行い奉納の舞まで行ったが、龍田の神は姿はおろか、尾の先すら見せてくれなかった。龍田川の洪水によって、神域である鳥居ですら水没してしまったのに、なぜ怒りを治めてくれないのですか?という風になります。
なぜこういう解釈をしたかというと700年代中期に、765年から奈良の北を流れる
竜田川、広瀬川という川は現在の地図にはないようですが、現在では「佐保川
(さほもしくはさをがわ)と呼ばれていますが、この佐保も佐保姫伝説からの引用でしょう。奈良では「春の佐保姫」秋の「龍田姫」と呼ばれてますが、この佐保川は奈良の北西にて合流し、元々の龍田神社があった
龍田神社(現在は大阪との県境に移されています)は斑鳩ということから「蘇我氏」との関係が暗示されます。では広瀬神社はどうでなのしょう?
広瀬神社に対応する人物というと、飛鳥時代(
このように「ちはやふる」の句には単純な在原業平の句ではなく、もっと昔の怨霊大祭を願った句であると考えるのもロマンであり、私なりの考えでもあります。
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