鬼のイメージを考える

 「鬼と言って思い出すイメージ」は何か?それは虎革の腰巻と、角、金棒にいる場所が普通の場所ではないというようなものでしょうか?

 ではなぜそのようなイメージなのかというので、よく言われるのは、 鬼門の方角が丑寅の方角とされ、北東であるから丑と寅のイメージからといわれていますが、本当にそうなのでしょうか?ちなみにその反対の方角は、同様に裏鬼門といわれますが、方位的には未(ひつじ)申(さる)の方角、南西になりますが、ここには何もかかってきていません。桃太郎が鬼を退治したときに仲間にした、犬、猿、雉を申酉戌としたときに、その逆側あたるのも寅卯辰で対応していません。

 しかし南東と北西に当たる位置はたつみ、辰と巳の間、北西は戌と亥の間でいぬいと文字もあり方向も対応しているのだから、対応したものがないことが不自然なのです。

 では他に鬼というと何でしょう?まず鬼怒川きぬがわを知っている人はそれが温泉につながっていることを知っていると思われます。鬼怒川は江戸時代まではその名の通り「鬼ノ川」と書かれていたそうです。日本の温泉といえば草津もそうですが、硫黄というものが多く含まれるものが多いです。硫黄は火薬の材料であり、硫酸のざいりょうでもあり、独特のにおいのある物質です。

 そして硫黄は水に溶けると白濁化はくだくかし、その成分を含んだ水は飲用にも、栽培にも不適格であり、金属の劣化を招きます。このあたりが鬼のイメージ、不気味な雰囲気というものにかかわってきているのではないでしょうか?


 次に桃太郎の話に対応する、吉備津彦きびつひこの話をします。桃太郎は「鬼が島」にいた鬼を討伐とうばつしたことになっています。しかし吉備津彦という言葉を分解すると吉備の津(港)にいた彦(貴人)という意味です。そうなると吉備津彦は、備の国の国の沿岸、もしくは島に存在していた貴人ということになります。吉という字が対応しているのもそこになります。

 つまり吉備津彦はどう考えても兵庫から岡山に存在した国の王という表現が正しく、吉備の国を討伐した人物という表現は正しくありません。

 つまり元々あった備の国を滅ぼしたものが、勝手にそこの王を鬼としたというのが、正しいのではないでしょうか?

 日本の正史といわれるものを読んでいくと、鬼、阿來丸あくるまる蜘蛛くもと称される討たれた者たちが存在します。それらに対する記述はあからさまに一方的な、だまし討ちや惨殺を記述しています。

 それと同時に日本の正史といわれるものはどこまで、正しいのか?書き換えはなかったのかという話になります。有名なところでは戦中と戦後で明らかに記述が違います。他にはなかったのかというと、私はあったと思っています。


 昔、大学の歴史学科の人物と話したことがありますが、彼は記述されている文献第一主義をとっていました?ですが、その記述が書き換えられたものなら?という点は考慮していないひとでした。

 なぜそういう話をするかというと明らかに書き換えられたものがあるからです。その話は今回の鬼の記述とは離れますので、ここではしないでおきます。

 

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