第4話
「……」
「…………寝てる」
その日の日直だけが入れる準備室に、伊織くんは居た。その隣にオリカミも穏やかに眠っている。
上の方にある小さな窓以外締め切られたこの空間は、学校の喧騒から切り離されているように静かだ。そのうえ電気もつけられていないこの空間は程よく暗く、そして涼しい。思わず眠ってしまうのも分かる。
私も今日の日直で、放課後になっていつまでも姿を見せない伊織くんにもしやと思っていたのだ。
(結局、伊織くんはずっと警戒しているままだし)
伊織くんは変わらず営業スマイルだし、オリカミも警戒を怠っていない。そんな日々張り詰めている二人が、今は幼い寝顔を見せている。
とくにオリカミは伊織くんと似たサラサラ、ふわふわな立派な毛並みを持った大きな狼だ。それが丸くなって眠っていたら、触りたくなってしまうのが動物好きの本能。その柔らかそうなお腹で昼寝したら、さぞいい夢が見れるだろう。
心の形は実際に触れることができるから、なお私を悩ませる。
(警戒心が強い伊織くんが寝ちゃうんだから、相当疲れていたんだろうね。そっとしておこう)
ここ最近、オリカミは目に見えてやせ細っている。
風の噂じゃ前の学校は仕事でほとんど通えていなかったらしいから、初めての中学生生活で消耗しているのだろう。
(私たちは友達でもないし、寝顔を見られたくもないよね)
日直の仕事は私だけで終わらせて、あとで先生にでも報告しておこう。
「っ……」
「わ、!」
そっと足を動かそうとしたとき、伊織くんが身動ぎをした。
起こしてしまったのかと焦るが、そのまま身を固くしていると、すぐにまた寝息が聞こえた。ほっと一息をつくが、オリカミが小さく唸っていることに気が付いた。
よく観察してみれば、どうやら起きているわけではないらしい。夢見が悪いのかな、と思ったその時、私の耳に伊織くんの声が届いた。
『うるさい』
はっとして伊織くんを見るが彼は眉間にしわが寄っているだけで起きているわけではなさそうだ。
(寝言……?)
そのままじっと伊織くんを見つめていると、再び声が聞こえた。
『上手くいかない』『頑張ってる』『分からない』『どうすればいい』
次々と言葉が聞こえるのに、伊織くんの口が動いている様子はない。まさかと思ってオリカミの方を見ているとその口が小さく動いていることに気が付いた。
「しゃべっ!?」
慌てて口を押えるも、私は混乱したまま。
だって、今まで一度もこんなことはなかった。確かにオリカミたちは心の具現化であって本物の動物ではないが、狼がじゃべったことは不思議なことに縁がある私をも驚かせた。
いつの間にか、伊織くんも苦しそうにうなされていた。
その前に呆然と立ち尽くす私の耳に、再び弱々しい声が届く。
『たすけて』
「伊織くん!」
「っ!」
ほとんど反射のように肩を叩けば、伊織くんはハッと勢いよく上半身を起こした。
その顔色は青白く、呼吸は全力疾走した後のように荒い。今にも倒れてしまいそうなその姿に、私は思わず伊織くんの背中を撫でた。
しばらくそうしていると、伊織くんがいつもの調子に戻ってきた。そして目を丸くして、背中を撫でていた私の方を見た。
「紬……?なんでここに」
まだ状況を理解していないのか、いつもの伊織くんより冷たい態度に少したじろぐ。だけど、もしかしたらこっちの方が素に近いのかもしれない。
「日直で、いつまでも伊織くんが来ないから……」
「……あ、そうだったね。ごめん、逃げていたらいつの間にか寝ちゃってたみたいだ」
途端に、伊織くんは申し訳なさそうに眉を下げた。
いつのまにかすぐ近くでオリカミがこちらを見上げている。そう小さく座っていると、出会った当初よりも何倍も小さく見える。というか
(本当に小さくなってる!?まさか精神疲労で心が削れてるの……?)
距離を取っていたせいで気付かなかったが、オリカミは確実に小さくなっている。それはつまり、伊織くんの心もその分だけ削れているということで。
「助かった、起こしてくれてありがとう。それじゃ、日直の仕事を死に戻ろうか」
あんなにも目に見えてやつれているのに、自分をいたわること無く痛めつけるその姿に、怒りが湧いた。
「伊織くん、うなされていたよ」
「っ」
伊織くんが小さく息をのんだ。
視線が刺さって、空気が重たくなった気がした。オリカミも警戒心をあらわにしていて、踏み込みすぎたと冷静に考える自分がいた。
でも、後悔していない。だって、あのたすけてという声は間違いなく聞こえた。
「固いところで寝ちゃたから、変な夢を見ちゃったんだ」
分かりやすく話を反らそうとする伊織くんだけど、それとは真逆にオリカミは私の足に寄ってきた。初めての接触に、私は思わず声に出して喜びかけた。
『心配してくれたのかな』
再び声が聞こえる。
やはりオリカミが発しているようだった。予想通りふかふかの体を押し付けられて、撫でまわしたい衝動に駆られる。
「でも、起こしてくれたのが紬でよかった。紬には助けられてばかりだね」
そう柔らかい笑みを浮かべれば、オリカミが私の足の上に陣取った。
いつも冷たい態度と裏腹に、今日のオリカミのデレがすごい。逃がさないとでもいうように、そのさらふわな毛並みを遠慮なく押し付けてくる。
『冷たくした』『何を期待している?』『どうすればいい』『しっかりしないといけないのに』『わからない』
だが、聞こえてきたその声に怒りが再燃した。
この人はこの期に及んで、まだ自分の気持ちを抑えているの!?心の底では怯えているのに、オモテじゃまだお世辞を並べている。
今回の件は不可抗力にせよ、他の女子に付きまとわれるのが嫌なら拒否をすればいい。プロのモデルなんだから、それくらいは許されるはずだ。それなのに、伊織くんは頑なに我慢している。
そんなに自分の心を痛めつけたって、辛いのは自分なのに。
「その割に、伊織くんはちっとも嬉しそうじゃないね。むしろ困ってるみたい」
「……え?」
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