第1話

「今日からこの月代つきしろ学院に転入することになったたちばなだ」



 進級初日のホームルームで、担任の先生の言葉に合わせて黒髪の少年が頭を下げる。



「今日からみんなと一緒に学ぶことになりました、橘伊織たちばないおりです」



 耳障りのいい柔らかい低音と共に、橘くんは顔をあげた。背が高く、すらりと伸びた手足に白い制服が良く似合っていた。

 クセ一つないサラサラな黒髪が揺れて、夜空のように輝く瞳がこちらを見渡す。最後にふわりと笑みを浮かべれば、止まっていた教室の時間は一気に動き出した。

 


「うちには芸能コースもあるから慣れてると思うが、くれぐれも浮つかないよう――」

「「「きゃーっ!本物の伊織くん!?」」」



 アイドルにでも会ったような黄色い悲鳴に、担任が思わず口をつぐむ。顔には出さないが、私も心の中で顔をしかめる。

 そんなクラスの女子から熱のこもった視線を一身に受けて、橘くんは変わらず柔らかい笑みを浮かべていた。



(さすが人気モデル。慣れてるなあ)



 橘くんはティーンファッション誌の売れっ子モデルで、表紙以外にも月間コーディネートの彼氏役で出ている。知らない女の子なんていない。

 私だって毎月買って読んでいるくらいだし、直接対面じゃなかったら普通に喜んでいた。



(憧れていたから、余計にな)



 私には人の心が動物に具現化して視える。

 人の周りに佇むそれは、私の気持ちに関係なく他人の本音を突き付けてきた。遊ぼうと誘ってくれた子の動物が疎まし気に私をにらんでいたり、心配そうに声をかけてくれた先生の動物が面倒くさそうに舌打ちしていたり……動物たちが可愛くなかったら私はとっくに人間不信になっていただろう。



(芸能界なんて闇が深いっていうし、王子様のように優しいって言われてる橘くんの本心とか見たくないよ……)



 そう考え込んでいた私だが、女子のテンションにオロオロしている担任と目があってしまった。パッと笑顔を浮かべた担任に、嫌な予感がする。



「おお南見!お前はこんな時も落ち着いていてさすがだな!」



 違う!私は目を付けられないように存在感を消していただけ!

 そういう気持ちを込めて苦笑いを返したのだが、残念ながら我が空気の読めない担任には伝わらなかった。



「よぉし!橘の面倒はお前が見てやれ」

「え”、ちょっ、先生!?本気ですか!?」



 思わず声をあげてしまった私に、クラス中の視線が集まる。

 特に女子からの視線が痛い。まずいまずいまずいっ、このままじゃ一年かけて築いてきた人間関係が崩れてしまう!



「でも、私には荷が重いと言いますか……こういうのは級長の仕事だと思います」



 現に、級長の鈴城ユリアが一番私をにらんでいる。彼女の机の上でくつろいでいた心である白猫も、今は毛逆立たせて私に威嚇している。ユリアちゃんは良いところのお嬢様で、橘くんのファンクラブ一号であることをよく自慢していた。

 発言力のある彼女に目をつけられたら、秘密寒けなく干されてしまう。



「鈴城は橘のファンなんだろ?橘の事務所からのお願いで可能な限り配慮しなきゃならないんだ。それに、ミス処世術と頼られる南見なら橘も安心だろう」



 私が安心できない。

 担任の心である筋肉モリモリなゴリラがサムズアップしてきたが、もう少しユリアちゃんの顔に目を向けてほしい。

 必死に空気を変える言い訳を考える私を他所に、騒ぎの中心である橘くんはユリアちゃんに笑顔を向けた。一瞬にしてユリアちゃんは人が変わったようにうっとりとした顔を浮かべた。



「いつも俺を応援してくれてありがとう。俺の事情で嫌な気持ちにさせてたらごめんね」

「伊織様が誤ることではありません!わたくしも配慮が足りていませんでした。確かに南見さんはよく気が利く子なので、わたくしも安心してお任せできます。……ねえ、南見さん?」



 空気読めるんだから橘くんに手を出すんじゃないわよ、という副音声が聞こえそうだった。実際、ユリアちゃんの白猫――名付けてユリ猫は机でバリバリ爪とぎをしている。私は顔が引きつらないように気を付けつつ、小さく頷くのが精一杯だった。


 こうして教室に断れない空気が広がり切ったところで、空気の読めない担任は再度爆弾を投下した。先生のゴリラは嬉しそうにドラミングしている。



「受けてくれてありがとな!じゃ、橘の席は南見の隣な」



 ゴリラが嫌いになった瞬間だった。

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