第158話 困惑する警告

 披露宴はつつがなく終わった。

 開始が十一時で、終了は十五時過ぎとまだかなり暑い時間だ。

 この時期は夜中でも暑いが。


 美香に頼まれていた白雪と和樹は、そのままホテルの喫茶スペースに集まった。

 白雪はドレスだし、和樹も礼服だ。この格好であまり普通の店には入りたくないが、ここならそれほど問題はない。


「悪いね、時間もらっちゃって」

「いえ、私は大丈夫です。和樹さんこそ、すみません」

「気にするな。俺も用事があるわけじゃないしな」


 その二人のやり取りを見て、美香が納得したように頷く。


「友哉から聞いてたけど……ほんとに家族みたいだねぇ」

「え、あの……その」

「いいわよ。話は聞いてるし」


 そう言ってから、美香はウェイターを呼んで紅茶と菓子を注文した。


「あ、奢りでいいから。その代わりちょっとだけ話を聞かせてほしいだけ」

「あの、お話って……私にできることでしたら、ですが……」


 美香が最初に言及したのは白雪の方だ。和樹の同行を求めた時に拒否はされなかったので、聞かれて困る話ではないのだろうが、そもそも白雪も自分しか知らないことなどそう多くはない。

 そのため、何を聞かれるのだろうと身構えてしまう。


「回りくどくてもなんだしね。まず確認だけど、玖条さんって、の令嬢よね?」


 いきなりそう言われるとは思わなかった。

 質問の意図は図りかねるが、かといって隠すようなことでもない。


「玖条家というのが、旧貴族の家柄であったそれを指してるのであれば、一応はそうです。といっても、実質勘当されてる身ですが」


 二月に貫之によって、事実上玖条家と無関係と宣言された。あれは勘当されたようなものだろう。


「ありがと。で、去年……十色泰と結婚しそうになったというのは、間違いないわよね?」


 一瞬息が詰まった。

 その名前に、激しく動揺している自分がいる。

 無意識のうちに体が強張り、両の腕で自分を抱くようにしていた。


「白雪」


 和樹が優しく、白雪の手に自分の手を重ねてくれた。

 それで、少しだけ安心する。


「大丈夫か?」

「はい。大丈夫です。もう、終わった話ですし」

「ごめんなさい。もしかして、本当に嫌なことがあった?」


 白雪は大きく深呼吸して、それから顔を上げ、首を横に振る。


「特に何かされたということは……なかったのですが、思い出したくもない相手というのは、確かです」

「それは……申し訳ない」

「あの、なぜそのことを?」


 もう五ヶ月近く前の話だ。

 玖条家と関係がなくなった時点でそもそも住む世界の違う人間だし、そうでなくても玖条家自体も十色家とは距離を置くようになったと、三月ごろに紗江から聞いている。


「あ、うん。別に玖条家関連で聞いたわけじゃなくて、十色家に関わった人に話を聞いてるの。まあ、さすがに玖条家ご当主は取材拒否されちゃったんだけど」


 話が見えない。

 和樹も首を傾げている。

 特に和樹にとっては、見たこともない、白雪の婚約者というだけで、ほとんど何も知らない相手のことだ。困惑するのも無理はない。


「私も、会ったことがあるのは……二回だけですし」


 年が明けて婚約者だと告げられた時と、そのあとの誕生日の二度だけ。

 さらに言えば触れられてもいない。

 ただそれでも――今でもまだ、寒気がする。


「ごめん、本当に嫌な思いしたって感じだね。その……大丈夫だったの?」

「あ、いえ。本当に触れられてすらいないので……大丈夫、です」


 そう言いながら、添えられていた和樹の手を握る手に力がこもる。

 一瞬白雪を見た和樹は、その手を包むように少しだけ応えてくれた。

 それで、少しだけ緊張が和らぐ。


「もしよければ、婚約破棄に至った経緯を教えてもらえる?」

「え……あ、その……実は私も、よくわからないんです」

「え?」

「その、突然伯父がそう決めてくれたので……」


 本当はそこに和樹が少なからず関わっているはずだが、ここでそれを話すつもりはない。

 和樹の方を少し見たが、和樹もそれに対して何の補足もしてこなかった。つまり彼も話すつもりはないのだろう。

 本音を言えば、どうやって和樹が貫之を説得したのかは聞いてみたいのだが、一緒に暮らすようになってから一度だけ聞いた時は『俺が言う事じゃない。いつか、白雪が伯父さんに直接聞くと良い』と言われてしまっている。

 なので本当に何があったかは知らないのだ。


「そっかー。じゃあご当主……教えてくれそうにないか」


 美香はさくっと諦めたらしい。そして、もう一度白雪に向き直る。


「ごめんなさい、変なことを聞いて。ちなみに、その後の十色家の話は知ってる?」

「えっと……実は少しだけ。大学にその、中学の時の同級生がいて、そっちの話を少しだけお聞きしています。その、過去の悪行が明るみに出たとか出そうとかってくらいですが」


 確か色々な過去のが露出して、裁判沙汰になりそうだとか何とか、美雪は言っていた。

 ただ、関わり合いになりたくもないし、当然だがそんな情報は一般には出回らないので、もう自分には関係ないことだと思って、気にしていない。


「うん、それで合ってる。なんだけど、決定的な証拠がないから、追い詰めきれてないみたいでね。それで、玖条さんにも話も聞きたかったんだけど……」

「そういう意味では、私はお力にはなれないです。少なくとも、私はその、非合法なことをされたわけではありませんので」


 そもそも指一本触れさせてない。

 さすがにこれで訴えるのは無理がある。

 十色泰あのおとこの時代錯誤かつ白雪の尊厳を否定するようなあの考えは到底受け入れられないが、世間的にはあれに同意する人だっているだろう。

 そもそも貫之おじも追従はしていたのだ。


「そっかー。ごめんね。嫌な事思い出させて」

「いえ、大丈夫です」


 そう言いながら、大丈夫ではないのは自分自身分かっていた。

 あの男のことを思い出すだけで、今でもわずかに身体が震える気がするほどだ。


 ただ。


「大丈夫か、白雪」

「……はい。でも、ちょっとだけすみません」


 白雪はそういうと、和樹の手を握る。

 あの時助けてくれたその手を握っていられることが、何よりも白雪を安心させてくれるのだ。


 その様子を美香は少しにやにやしながら見ていたが、やがて少しだけ真面目な顔になった。


「ただ、ちょっと一応の警告ね。十色家は三月に入ってから、急に醜聞が出てかなり問題になったの。誰がそれをばらまいたかは分からないんだけど。ただ、タイミングが一致してるから、きっかけとなったのが貴女との婚約解消だと言われてるの」

「……そ、そう……なんですか」


 それについては美雪も話していた。自分と十色泰の婚約、というより自分があの界隈でそこまで注目されているとは自覚がなかったが、影響は大きかったのだろう。


「だから、十色家は玖条さんを恨んでる可能性がある。この場合、玖条家というより、貴女本人を。今は色々悪目立ちしてるから何かやる可能性は低いとは思うけど、連中の過去の所業を考えたら、用心はしておいた方がいいわ」


 そういうと美香は和樹を見た。


「まあ、今は頼りになる人が一緒にいるみたいなので大丈夫かしらとは思うけど」

「そういう話であれば、出来るだけ気を配るようにはする。忠告、感謝する」


 和樹はそういうと、軽く頭を下げた。

 一方の白雪は少し困惑気味だ。


 今更十色泰が何かしてくることがあるのかというのには恐怖を感じないではないが、現実問題、何かされる可能性は低いようには思う。

 犯罪行為にまで及ぶとしても、さすがに白昼堂々何かしてくるとは思えない。

 そして白雪の行動範囲は、基本的に大学の往復か家の周辺での買い物など。 ほぼ確実に人目がある。

 遠出する時はほぼ和樹と一緒で、和樹が一緒ならどんな事態でも大丈夫という信頼があるのだ


 その白雪の視線に気づいたのか、和樹はまだ白雪が握っていた手を、少しだけ握り返してくれた。


「大丈夫だ、白雪。必ず守る」

「……はい。ありがとうございます」


 それを見ていた美香は、半ば呆れたような顔になっていたが、和樹を見ていた白雪はそれに気付いてはいなかった。

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