第157話 初夏の花嫁
「白雪、準備はできたか?」
「はい。これ、おかしくない……ですよね」
白雪はそういうと、リビングに出てきてその場でくるりと回る。
白雪が纏っているのは紺色のワンピースのドレス。
ひざ下のスカートは緩やかなフレアスカートで、袖は少し肩のところで膨らんだ後は緩やかに七分丈の袖が伸びていて、袖口は少し広がっている。
少しだけ開いたデコルテには首飾りを着けた。これは、かつて和樹にもらったものではなく、白雪が引っ越す際に持ってきたものである。
玖条家の装飾品はどれも非常に立派なものが多かったが、さすがに白雪は全部持ってくる気にはならず、ほとんどは前の家に置いてきた。おそらく回収されただろう。
ただ、これは控えめのデザインと装飾が気に入っていたので、持ってきたものの一つだ。
「いいんじゃないか。良く似合ってる」
「ありがとうございます。和樹さんも似合ってます」
「まあ、男はこういう時服装に悩まなくて済むのはありがたい」
和樹が来ているのは黒のスーツ。ネクタイだけ白。
ただしジャケットは着ていなくて、手に持っている。この暑さでは着る気にはならないのだろうが、持って行かないわけにはいかない。
「それじゃ、行くか。電車ですぐとはいえ、遅れるとなんだしな」
「はい」
そういうと、二人は並んでマンションを出た。
空を見上げると、雲がほとんどない空で、眩しい太陽が地上を照り付けている。真夏一歩手前という七月上旬だが、もはや真夏と言っていい気温だろう。十時の時点ですでに気温は三十度を超えている。
「友哉もこんな時期にやらなくてもと思うが」
「でもきっと、素敵だと思いますよ。えと、私たちは披露宴だけ、ですよね」
「ああ。正しくは、式それ自体は先日地元で家族だけでやったらしい。今日は、どちらかというと友人や仕事関連に対するお披露目というところだ」
暑い中歩いて駅に着くと、目的の路線のホームにたどり着く。
周囲の目が注がれているのは自覚できるが、隣に和樹がいるので声をかけてくる人間は当然だがいない。
この状態では、さすがにカップルに見られているだろうと思うと、白雪は少しだけ嬉しくもなってくる。
「でも、いい天気で良かったです。滝川さんと沙月さんの結婚披露宴」
「そうだな。誠の時もそうだが、天気に恵まれてるな」
駅のホームは地下なので今は空は見えないが、本当にいい天気だった。
暑すぎるくらいではあるが、さすがに会場は涼しいだろう。
今日は、滝川友哉と弓家沙月の結婚披露宴なのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うわー。姫様素敵。参加できてよかったよ、私」
「久しぶりですね、雪奈さん。雪奈さんもそのドレス、素敵ですよ」
雪奈に会うのは五月の連休以来。
雪奈は暗めの緑色のワンピース。ただ、スカートは白雪の様に広がっているタイプではなく、スーツの様なスタイルだが、背の高い彼女には良く似合っている。
友哉と沙月の結婚披露宴は港湾地区の老舗のホテルで開催された。
会場は大きな窓から港が見えるホールで、円形のテーブルがいくつも並べられていた。
招待客は全部で四十人程度。多くは友哉の仕事関連なのだろう。かなり年嵩の男性もいる一方、若い、和樹と同年代から少し上という人も多い。見た目が非常に整っている人がやたら多い印象だったが、和樹によると、モデル関係の仕事の友人だろうとのこと。
女性もそれなりにいて、こちらも美人と言い切れる人が非常に多く、やはりモデル関連の仕事の付き合いなのだろうと分かる。
この場にいる限りにおいては、白雪ですらそこまでは目立たないと思えてしまうほどだ。
披露宴は最初に新郎新婦が挨拶し、あとは適宜歓談してもらう形式だ。
一応挨拶等のイベントはあるようだが、まずは交流してくれという事だろう。
ちなみに今回は和樹も壇上に立つことはないらしい。
和樹と白雪のテーブルには、雪奈とおそらくはその両親、それともう一人、見たことがない女性がいた。
身長が雪奈よりさらに高い。百七十近くありそうだ。ただ、それよりも目を引くのはその圧倒的な美貌とスタイル。
服装はかなり暗い赤のカクテルドレスで、色的にはかなり地味なはずなのに、それでもなお、華やかさを感じるほどだ。
モデル関係の人かと思うが、それならこのテーブルに配される理由が分からない。
ちなみにすぐ隣のテーブルには誠と朱里、それに一歳半になる愛那と、おそらく誠の両親だろう。
関係者を固めていると思われるテーブル配置なので、おそらく関係者なのだろうが、誰なのか全く分からない。
と思っていたら――。
「美香ちゃん久しぶりねぇ。また美人になって」
雪奈の母親の美也――名前は後で聞いた――が親し気に声をかけていた。
和樹はそれで女性の正体に合点が行ったらしい。
「あの、どなたなのでしょうか」
「友哉のお姉さんだ。間違いない」
「ああ、なるほど」
あの友哉の姉なら、この美貌も納得である。
年齢的には三十歳くらいだと思われるが、女性としての魅力は白雪も圧倒される。同じ年齢に届いてもこれほどの魅力を出せるかというと、全く自信が持てないレベルだ。
「お久しぶりです、美也さん。雪奈ちゃんは……覚えてる?」
すると雪奈は少し首を傾げつつ、小さく頷いた。
「なんとなくですねぇ。多分会ったの、一回か二回くらいじゃないかと。美香さん、大学で関西の方行っちゃって、そのままずっとでしょう?」
「それは残念。でも大きくなったねぇ。朱里ちゃんの妹だから同じように小さいかと思ってたのに」
「私はお父さん似らしくって」
その朱里は、娘の愛那を抱きかかえて必死にあやしている。一歳半の子供にこの会場はちょっと厳しいかもしれないが。
「そして……友哉と沙月ちゃんから話は聞いてたけど、貴方が月下さんと玖条さんね。友哉の姉の美香です。よろしくね」
「えっと、月下和樹です。初めまして。友哉には学生時代からお世話になってます」
「は、はい。玖条白雪です。よろしくお願いします」
思わず圧倒されそうになりつつも何とか自己紹介をしてから、会釈をする。和樹も同じような感じらしい。美人に圧倒される和樹というのは少しだけもやもやするが、この相手では仕方ないという気もした。
「そういえば、そちらの二人は、聖華高校出身なんだよね。じゃ、私の後輩だ」
「そういえばお姉ちゃんから聞いたことあったっけ」
「ま、私もう三十歳だから……二人は卒業したばかりだっけ? じゃあ十一年も上だけどね。でも後輩ちゃんだ」
年代的には、自分の母と自分たちのちょうど中間くらいというところか。
同じ高校出身となると、少しだけ親近感がわく。
「堅苦しい校風だと思ってたけど今思うと色々楽しかったとこだったな、とは思うわ。二人は卒業したばかりだから、まだ懐かしむってほどじゃないか」
「そう……ですね。でも、楽しかったし充実してたのは確かです」
三年生の最後は散々ではあったが、高校三年間が楽しかったのは間違いない。
あそこに通っていなければ、今の自分がなかったのは確実だ。
「姫様の人気はすごかったけどねぇ。でも、美香さんも在学中すごかったんじゃ?」
「ああ……まあ、そのね。色々あったわ」
「姉さんのそれは黒歴史に近いからな」
いきなりそうツッコミを入れてきたのは友哉だった。
すぐ横に、白いウェディングドレスを纏った沙月がいる。
「あ、友哉さん、沙月さん。ご結婚おめでとうございます」
「お二人ともおめでとうございます。今日はお招きいただき、ありがとうございました」
雪奈と白雪の挨拶を皮切りに、次々と挨拶をする。
「姉さんをどこのテーブルに入れるか迷って、席数的にここにさせてもらった。すまんな、和樹」
「何よそれ。廃品置き場みたいに」
「弟の結婚式に参加し損ねる姉が何を言うか」
友哉によると、なんと美香は結婚式に参列できなかったらしい。なのでその後のこちらの披露宴に参加しているのである。
確かに考えてみれば、今回の披露宴は二人の友人関係――というかほとんどは友哉の――だけで、親族は来ていない。例外が美香だ。
「私だってものすごく来たかったんだから。せっかくの可愛い可愛い義妹の晴れ舞台、見逃したことは一生悔やむ。というかあの編集長、いつか締める」
なにやら物騒なことを言っていた。なまじ美人がすごむと、本当に迫力がある。
ちなみに後で聞いたが、美香はフリーの記者をやってるそうで、関西を中心に活動しているらしい。
ところが、結婚式直前に担当してた案件に大きな変更があって記事を書き直すよう依頼されたらしい。それを何とか書き上げたところで疲れ切って寝てたら寝坊したという、前代未聞のことをやったという。
寝坊したのが悪いような気がするが、そこについて突っ込むのは野暮だろう。
「お義姉さん、こっちに来てくれてありがとうございます」
「うんうん。私も可愛い義妹が出来てホントに嬉しい」
「ほどほどにな……全く。でもまあ来てくれたのは感謝する、姉さん」
「可愛くない弟が可愛いこと言ってる」
美香の言葉に、周囲から笑いが漏れる。
「ともあれ、楽しんでくれ。またあとで来るが」
「頑張ってらっしゃいな」
その後はしばらく食事に集中した。
食事はいわゆるフランスコースだが、絶品だったのはドリア。なんでもこのホテルがこのドリアの発祥の地ともされているらしい。
実際とても美味しかった。ぜひ再現したくなってくる。
「あ、そうだ。玖条さん。終わった後でいいんだけど、ちょっとだけ時間もらえない?」
コース最後のデザートを食べてるところで、美香が声をかけてきた。
「え?」
「ちょっとだけ聞きたいことがあって。そう時間は取らせないから」
何だろうと首を傾げつつ和樹の方を見ると、小さく頷いてくれた。
「分かりました。あの、和樹さんが一緒でもいいですか?」
「ん? うん。わかったいいよ」
一体何だろうと、和樹と二人、少し疑問は出たが――デザートのあまりの美味しさに、その疑問はすぐ氷解して行った。
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