第152話 かけ違う気持ち
「美味しい! この微妙な塩加減……多分天然の塩気なのでしょうけど、凄いですね」
和樹と白雪が入った店は、入口に付近に幾分行列が出来ていたので、混んでいるのかと思ったが、並んでいたのは店頭販売のしらすの天ぷらで、店自体はお昼時にもかかわらず空いていた。
そこで、折角の季節だからと二人が頼んだのが生しらす丼だったのだが、どうやらかなり大当たりを引いたらしい。
白雪はとても美味しそうに食べていたし、和樹も以前食べたそれより美味しいと思えた。
季節モノがこのように当たると、少し嬉しくなる。
「いいお店でしたね、和樹さん」
「そうだな。意外に……広いしな。店構えだと小さく見えるが」
この通りは観光客向けの店が並ぶ通りで、それぞれの店の広さは、通りに面している部分はかなり狭い。あっても五メートルくらいなのだが、その分奥に広がっていた。
「この後はどうします?」
「適当に歩いてもいいのと……ちょっとさっき、気になるのがあったので、それは行きたい」
「気になるもの?」
「ああ、ちょっとな」
白雪が首を傾げている。
和樹も一瞬その文字が目に入っただけで、その後歩き去ってしまったが、あとから思い返すとちょっと気になるので、どうせ時間もあるし確認したくなったのである。
白雪が聞きたそうにしていたが、それは後で、ということにして、二人はこの後の予定を考える。
「明日も講義は午後からなので、私はのんびりできますが……和樹さんは……」
「今の俺に聞くな。たまにまだ前の仕事の話は来るが、急ぎの案件はまずない。だから暇だしな。なので今日は、白雪が気が済むまで付き合うぞ」
「え……いいのですか」
「お礼も兼ねてるからな。実際、白雪のおかげで長年の
「私はそんな……ただ、和樹さんが行った方がいいと言っただけで」
「それがなければ、多分俺は行ってないからな。俺が勝手に恩を感じているだけなんだから、今日については我侭言っても大抵は聞くぞ」
そうは言っても、白雪の事だからそんな無茶なことは言わないという信頼はある。少なくとも今日一日は思いっきり付き合うつもりだ。
元々、大学での仕事が始まる前の最後の週末にそれを提案しようと思っていたのだが、思わぬ休日が舞い込んだので、これ幸いと実施してるに過ぎない。予定が少しだけ前倒しになっただけだ。
むしろ、まだ人が少ない平日におかげで、人混みが苦手な和樹自身もかなり助かっているのは事実である。
「えと……じゃあ、鎌倉一巡りしたら、江ノ島の方にも行きたいです。その、初めて行った時みたいに」
「ああ……なるほどな」
白雪が、自分のことを父親の様に思っていたと告白した、二年半前。
その直後、初詣でこの鎌倉を訪れ、その後そのまま江ノ島を巡った。
その翌年も同様だったが、今年はさすがに受験生であることもあって、江ノ島には行っていない。
その埋め合わせもしたいというところか。
「この季節に行くのは初めてだしな。わかった。じゃあある程度巡ったら、あっちに移動するか」
「はい。といっても……ここの通りも誘惑多過ぎですけど」
「まあ……そこはいつでも来れるといえば来れるしな」
「あ、でも和樹さんが気になるところだけは、行きましょうね。でもどんなところなんです?」
会計を終えて、店を出た二人は、来た道を戻る方向に歩いていた。
「ああ、歩いてる際に見えたんだが。一瞬見えただけの文字が気になることってあるだろ?」
「ああ……ありますね。あとから理解して、あれ? とかなる」
「まさにそれなんだが」
「なんて書いてあったんです?」
「……それがな。『いちごビール』ってあったんだ」
「へ?」
白雪がぽかんとしていた。
和樹も、あとから認識して不思議になったが、その時にはその場所はもう通過してしまっていたので、分からなくなっていたのだ。
まあいいか、と思って食事を優先したが、思い返すと気になるので探すことにしたわけである。
実は気になったのでスマホで調べると、実際いちごビールという商品は世の中に存在するらしい。世の中聞いたことがないものはあるものである。
ただ、とにかく味が想像できない。
いちごといえば甘さと酸味豊かな果物。一方のビールは苦みを基本とした飲み物だ。これを混ぜてどうなるのかというのはとても気になるところで――。
「和樹さん、あれでは?」
白雪の声に顔を上げると、そこには確かに『いちごビール』の文字があった。
どうやらいちご関連の商品の専門店らしい。
「これ……だな」
「さすがに私はビールはダメですが、いちごスムージーも気になります」
「とりあえず、頼んでみよう」
店は本当に小さなもので、店員が二人、カウンターと奥に少しだけ座れるスペースがあるだけだ。
二人はそれぞれ、いちごビールとスムージーを頼む。
すると、いちごビールは、普通のビールと思われるものににいちごシロップと思われる物を混ぜていた。
「はい、どうぞ」
渡されたのは、透明なプラスチックカップに満たされた、透き通った赤い液体。
白い泡は確かにビールのそれだが、しかし色合いはビールとは思えない。
白雪が受け取ったスムージーは、いかにもな見た目だが、これはこれでとても美味しそうだ。
「とりあえず……飲んでみるか」
まずは一口――と思って、思わず驚いてしまった。
口当たりが甘く感じる。ただ、甘すぎるということはなく、炭酸の刺激もあるがむしろ滑らかと言っていい。
しかし、喉を通り抜ける感覚と、その後味は間違いなくビールだ。
なんとも不思議な飲み物だった。
「どう……です?」
白雪が恐る恐るという感じで聞いてきた。
「美味いよ。意外だが、これはこれでありだ。口辺りが柔らかく、しかし飲むとしっかりビールの感じもある。ビールが苦手という人は結構いるんだが、これなら飲める人はいる気がするな」
すると白雪が興味深げに見ているが――さすがにこれをあげるわけにはいかない。
もっとも、十八歳ともなればほぼ成人なので、実際には悪い影響が出る可能性はほとんどないだろうが、少なくとも往来では飲むべきではないのは確かだ。
「うう……気になりますが、それはまたの機会にします」
そういうと、スムージーをストローで吸い込む。
こっちはこっちでかなり美味しいのか、白雪は顔をほころばせていた。
「さて、とりあえず駅の方に向かうか」
「はいっ」
白雪が嬉しそうに笑うのを見て、和樹もなぜか嬉しくなった。
思えば、高校時代の白雪は、常に卒業後の進路に不安があった。
だからだろう。
和樹との距離が近付いて、より家族の様に接すれば接するほど、白雪が将来に対して何か不安を抱いているのが、わかるようになっていった。
ただ、その正体が分からなかったが、他人だからと必要以上に踏み込まないようにしていたのはある。
だが、そこに踏み込まなかったがゆえに、危うく最悪の結果になりかけたというのは、和樹にとっても痛恨だったのだ。
(家族として支えると決めたのだから――白雪が幸せになってもらうのを、見届けないのとな)
白雪がこの先も幸せであってほしい、望む未来を手にしてほしいという、去年の正月に初詣の際に抱いた和樹の願い。
その気持ちは、ますます強くなっているのを、和樹は自覚していた。
和樹にとっては白雪は、文字通りの意味で幸せになってほしい家族だと思っている。両親を失い、心にやすり掛けするように過ごしてきた彼女には、幸せになる権利も資格も、さらにいえばそれだけの力もあるはずだ。
それを手助けすることは、本来であれば家族が行う事だろう。
ただ、今の家族は、少なくとも白雪を助けられるのは和樹しかいない。
あの玖条貫之と最後に別れた際の一言でも、それを託されたと思っている。
(理想をいえば、ちゃんと白雪と一緒にいてくれる、家族以外の人がいたらいいんだろうけどな……)
それは『家族』では果たせない役割だ。
だからそれまでは、『家族』として白雪を支える。
実際には『家族』ではないというのは理解しているが、和樹にはそれを壊すつもりは全くない。
確かに、白雪は魅力的な女性だ。それは疑いようもない。
一緒に住むようになって、その白雪の特別な存在になれているということ自体は、和樹にとっても嬉しいと思えることである。
ただ一方で、自分があくまで家族であり、いつか白雪が独り立ちするための手助けをしなければと思う気持ちも、強くなっている。
正しくは、そう思わなければ自分自身間違いを犯さないという保証はできないのだ。
だから明確に、和樹は白雪との間に線を引いているのである。
が――。
それを最も望んでいないのが、当の白雪であることには、和樹はまだ気付いていないのだった。
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