第144話 白雪の料理教室

「おっじゃましまーす」


 元気のいい声が玄関から響く。

 このノリは和樹としては朱里を思い出しそうになるが、今回は違う。

 白雪の友人で、かつ同じ大学、同じクラスの春日美雪がやってきたのだ。

 なんでも、白雪に料理を教わりたいということで、強引に約束させられたらしい。


 ちなみに今日は大型連休の後半初日。

 昨日は白雪と一緒に焼き鳥屋で夕食を食べてきたわけだが、家に帰りついた直後に電話があって、白雪が強引に押し切られた。

 もちろん白雪は和樹に許可を取ったのだが、和樹としても白雪に大学で親しい友人ができるのは歓迎なので、それをダメという理由がない。

 ないのだが、家に押し掛けてくる言うことだと知ったのは、約束させられた後だった。

 白雪の説明がイマイチだったのは否めない。


 かといって、今更断るのも微妙だし、和樹としても先の通り白雪の大学の交友関係が増えるのを歓迎する気持ちもあるので、結局そのまま実施されることになったのである。


「急な申し出に応じていただいて、ありがとうございます」


 リビングに入ってきた美雪は、丁寧に頭を下げる。

 思わず、同じ名前――響きだけだが――の妹との、所作の違いに驚くほどだ。

 入学式の日に、玖条家同様名門の出身であることは聞いていたが、このような日常的な場所でも折り目正しい所作をされると、確かにそうなのだろうと思える。

 ある意味では、白雪よりもさらに自然にそれが出来ているとすら思えた。


「いや、俺は構わないが……いてもいいのか?」


 白雪に料理を教わりに来たということだから、和樹としては席をはずそうかと考えていたのだが、白雪がいてくれていいという事なのでとりあえず家にいる。


「はい。大丈夫です。むしろ、味見をしていただけると」

「その、変なものは作らせませんから」

「白雪ちゃん、ひどっ」


 白雪のフォローに一瞬不安になる。

 とはいえ、今も一人暮らしをしてるとのことだし、そこまで料理が苦手なわけではないだろう。


「そういうことなら構わないが」


 連休と言っても、まだ和樹にとってはどちらかというと、『出かけたらどこも混んでいる』という日程なので、できれば外に行きたくはない。

 五月の頭だというのに、すでに気温は夏日に到達してるので、二重の意味で出かけたくはないというところだ。


 去年のこの時期は、友哉の婚約者である沙月を紹介された時だけ出かけたが、今年はとりあえず誠や友哉と出かける予定はない。

 誠というか卯月家は長女の愛那の世話で今頃大変だろう。そろそろ首が据わっているはずだから、あちこちに出かけたくもなるだろうと思うと、忙しいに違いない。


 友哉は来月に結婚式だから、その準備で今頃忙しいはずだ。

 ちなみに当然和樹は招待されているし、なぜか白雪も招待されている。扱いとしては、沙月の友人という事らしい。


 一応明日は、白雪と出かけるつもりではあるが、実のところ行先はあまり考えてない。そろそろ生しらすが食べられる時期になるので、鎌倉か江ノ島か、というところだが。


 そうこうしてるうちに、キッチンからなにやら美味しそうな匂いが漂ってきた。そしてこの匂いには覚えがある。


(ハンバーグ……だな)


 白雪自身が得意料理だというそれは、おそらく専門店にすら全く引けを取らない。無論、素材によっても違うとはいえ、白雪なら安い挽き肉でもおそらく驚くほど美味しくしてくれると思えるほどだ。


(あれ、難しいんだよな……実際)


 和樹も挑戦したことはあるが、簡単なようでいて美味しくするとなると難しい。

 レシピ通り作ることは出来ても、白雪の作るようなあの味と食感は再現できるとは思えない。あれはもう達人の領域だ。


「う……なんで白雪ちゃんのはそんな上手く焼けるの……」

「大丈夫ですよ。みゆさんのもちゃんと焼けてますし、美味しいかと」

「同い年でこれだけ差があると自信なくしそう……これでも一人暮らし始める前に料理の練習、そこそこしたんだけどなぁ」


 そういう話声と共に食卓に並べられた料理は、ハンバーグと付け合わせの焼き野菜、生野菜サラダ、それにスープ、あとはご飯。

 なんとなく、初めて白雪に食事を作ってもらった時を彷彿とさせるラインナップだ。

 そして美雪が作ったのがどちらかというのは――失礼だが、確かにわかりやすい。

 決して上手く出来ていないわけではないが、白雪の方が見た目も含めて完璧すぎる。


「ほら、月下さんも一目でどっちがどっちって見抜いてる顔だし。……まあ白雪ちゃんの料理いつも食べてれば当然か」

「そ、それは……そうかも、ですが」

「とりあえず食べる、か」


 ちなみにハンバーグはやや小ぶりなものが二つ。

 白雪が作ったと思われるものと、美雪が作ったと思われるものだ。


「それじゃ――」


 いただきます、という言葉が唱和する。


「いや、何これ。ホントに同じ材料なの? 調味料まで全部同じ分量のはずなのに」


 美雪が唖然としている。

 とはいえ、美雪のそれが美味しくないわけではない。むしろ十分に美味しい。

 特に、箸をいれて肉汁が溢れる様は、十分にその味を期待させるし、実際その期待通りの味だ。

 ただ、白雪のそれは肉の旨味の閉じ込め具合というか、とにかく味が濃厚かつ芳醇というべきか。

 同じ材料とは思えないほどに旨味が感じられる。箸を入れた時にはさほど肉汁が溢れないのに、食べると口の中で溢れる旨味は、もはや達人の領域だろう。


「その、ハンバーグは私も一番得意な料理ですし」

「それでもこれはすごいよ。一朝一夕で成し遂げられるものじゃないのはよくわかる。すごいねぇ、白雪ちゃん。月下さんもそう思いますよね?」

「まあそれは……その通りだが。けど、こちらも十分美味しいと思うぞ」

「ありがとうございます。初めて作ったものとしては、十分だとは思うので」


 その言葉に、むしろ白雪が目を丸くした。


「え。みゆさん、ハンバーグ初めてですか。それでこれなら、十分ですよ」

「そこは……白雪ちゃんの指導の賜物ってのはあると思う。でも、自信にはなったし、目標も見えたし、かなぁ。今度孝君にも作ってあげようっと」


 一瞬誰のことだと思ったが、そういえば婚約者がいたことを思い出す。近所という事だから簡単に行き来できるのだろう。


「そういえば、白雪ちゃん、連休後半の予定は? 無理やり予定ねじ込んだ私が訊くのもなんだけど」

「えっと……明日、ちょっとお出かけする予定……ですよね?」

「ああ、そうだな」

「どこです?」

「あまりちゃんと決めてないんだが……鎌倉や江ノ島辺りと考えてるが……」


 すると美雪がしばらく思案顔になる。


「みゆさん?」

「あのですね。もしお邪魔じゃなければ、私も一緒に頼めませんか。私達、こっちのことは全然知らないから」

「俺は……構わないが、白雪はいいのか?」


 その白雪は何とも複雑そうな顔をしている。

 ただ、なにやら考えがまとまったのか、小さく頷いてから顔を上げた。


「ええ、私は構いません。確かに、みゆさんも斎宮院さんも、こちらのことは全然知らないわけですし、友人としてはこちらの良さを知ってもらえるという意味でも」

「まあ、白雪がいいなら、だが。じゃあ時間は――」


 食事をしつつ、明日の予定を軽く決める。

 食後に、美雪はスマホを取り出してなにやらメッセージを送信していた。

 おそらくは婚約者に連絡をしているのだろう。


「すみません、和樹さん。なんかみゆさんが強引に」

「いや、まあ俺は構わないが。彼女も俺の後輩と言えば後輩だしな」

「確かに……そうですね。……私も『先輩』とか呼んだ方がいいですか?」

「……今更過ぎるし、なんかそれは違わないか」


 すると白雪は、少し悪戯っけのある笑みを浮かべてから。


「そうですか、先輩?」


 その笑みが、なぜかとても蠱惑的に思えたのは、果たして気のせいだったのか。

 和樹はその理由に、その時は全く気付かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る