第141話 事情説明

 実家の最寄り駅に着いたのは、もう日が暮れかけるころだった。

 日本でも有数の観光地であり避暑地でもあるこの地域は、特にこの時期から観光客が増える。

 本来は小さな駅だろうに、この時間でも結構な数の人がいるし、外国人もちらほら見えた。


 気温は二十度はおろか、十度ちょっとだろう。

 元実家の辺りは三十度とまで言わずとも、おそらく二十五度を超えて夏日かと思うような汗ばむ陽気だったが、流石は避暑地。むしろ寒いくらいで、和樹は脱いでいたジャケットを再び羽織った。それでもまだ寒いと思える。


 電話で連絡したので、父親が来てるはず――と思ったら、ちょうどそのタイミングで、駅前のロータリーに見覚えのある車が入ってきた。


「久しぶり、父さん」

「うむ。元気そうだな。まあ乗りなさい」


 促されて、和樹は助手席に乗り込んだ。


「美幸も帰ってきてるんだ。ちょうどよかったよ」

「……ああ、連休で、か」

「うむ。平日の講義の大半が休講らしい」


 大学の教授も休みたいという人が多いという事だろう。

 その分の埋め合わせが結構後で大変なのだが、美幸の専攻は社会学と聞いてるので、理系である情報学部とはまた違う気はする。


 車は見覚えのある道を通り、二十分ほど走ってやはり見覚えのある家の前に停車した。

 前に来たのは去年の正月、つまり真冬だったが、今回は春。

 さすがに木々の瑞々しさはかなり違う。


「なるほど、冬とは感じが違うんだな」

「そう思うなら夏に来い。ここは涼しいぞ、夏は本当に暑い日の昼間以外は、ほぼ空調なんぞ要らんからな」

「それは本当に羨ましいな……考えておくよ」


 実際問題、夏の予定がどうなるかはまだ分かっていない。

 今回実家に立ち寄ったのは、そのあたりもちゃんと説明はしておくべきだと思ったからでもある。

 もっとも、より大事な、説明すべきことがあるのは分かってはいるのだが、さすがに親にどう説明したものかと悩むところだ。


 白雪との関係は、多分普通の人は絶対に理解されないのは理解していた。

 実際のところ、自分でもよくわからないところはある。

 白雪を家族として捉えているのは間違いない。

 白雪は和樹にとって、守るべき被保護者であり、いつか幸せになってもらいたい相手でもある。

 父性愛というものがあるとすれば、それが白雪に向けられているのは間違いないだろう。


 ただその一方で、白雪が実際にはそこまで保護が必要な子供ではもうないことは分かっている。

 実家の問題が完全に片付いているのかどうかは分からないが、今のところ白雪は、実家からの支援が二十歳で途切れることになっている以外、問題はない。

 まだ一年半以上先で、詳しくは聞いていないが、白雪自身預金はかなりあるらしい。生活費を出すと言ってきたくらいだ。無理をしなくていいと言ったのだが、どうやら実家からの仕送りは相当な金額だったらしく、かなり余っているようだ。


 それは今後白雪が独り立ちしていくために使えるお金でもあるだろうし、和樹も十分な稼ぎがあるので受け取っていない。


 それに、白雪の実力ならおそらく奨学金を獲得することは難しくない。

 大学の学費に関しては玖条家がきっちり払ってくれるらしいので、それを生活費に充てることができれば、おそらく白雪は一人で大学卒業までは和樹の庇護がなくても問題なく生活できると思われる。


 ただそれでも、心配だからという理由からなのか――白雪に独り立ちを促すつもりは、今のところ和樹にはない。別に無駄にお金を使わなくて済むなら、その方がいいと思っている。

 正しくは、それが理由だと後付けで考えている。

 白雪を保護すべきだというのは間違いなく思ってるし、実際保護者を自認している。ただそれでも、なぜそこまでそう考えるのかは、和樹自身にもよくわかっていない。


 いずれにせよ、家族にこのことを話すつもりは、現状ない。

 もっとも、いつまでも話さないというわけにはもちろんいかないだろうが、その前に白雪が独り立ちしている可能性もあるとは思っている。

 実際、美幸があの家に遊びに来たのは、あの花見の時が最初だ。

 両親が来たのも、学生時代には最初を除けば二回あっただけで、社会人になってからは一度もない。

 据え置きの電話などは置いていないので、うっかり白雪が電話と取って、という昔ながらのハプニングも起きようがない。


(ま、なるようになる……ではダメなんだろうが)


 一緒に暮らし始めて、まだ一月半。新生活もようやく落ち着いてきたところだ。

 今後どうするかは、ちゃんと二人で相談して決めるべきではあるだろう。

 実際、白雪だって大学の友人との付き合いもあるし、実家のしがらみがなくなった以上、あるいは付き合いたい異性が現れる可能性だってある。


(なんかあまり、想像は……できんが)


 あれだけの美貌があるのだから、男性からのアプローチが一人や二人どころか、ダース単位でいても不思議はない気はするのだが、白雪からそういう話を聞いたことはほとんどない。

 それに少し安心してるのも――否めない。

 親心的には複雑な気分というところか。


「どうした、和樹」

「いや、何でもない……母さん、美幸、久しぶり」


 玄関を入ったところに、母の優月と妹の美幸が待っていた。


「全く、一年半分振りね、顔を見せるのは」

「私ですら九カ月振りだよ、お兄ちゃん」

「すまん、ちょっと本当に色々忙しくてな」


 そう言いながら、靴を脱いで家に上がる。

 とりあえず手洗いうがいだけ済ませると、リビングに行くと、ちょうど優月が麦茶を出してくれた。


「ありがとう、母さん」

「ホントにもう少し顔を出しなさいな。メッセージは見てるけど、フリーエンジニアってそんなに忙しいの?」

「忙しい……のが普通なんだが、ちょっとここ一年くらいはそれ以外の理由もあってな」


 両親と妹が不思議そうな顔になる。


「今回来たのは、その説明をするためでもあるんだ。ま、別にそう大した話じゃないんだが」

「その話は長くなりそう? 先に食事を始めましょうよ」


 優月の言葉に時間を確認すると、確かに夜の七時をもう周っていた。


「分かった。それじゃ、食事しつつで。深刻な話ってわけじゃないからな」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ふー。いい風呂だった」


 和樹はお風呂の後、自室に戻るとベッドで大きく伸びをした。


 食事中に一通りの説明を済ませ、両親も一部意味は分かっていなかったようだが、ともかく和樹の仕事が安定していることは理解してくれたようで、まずは一安心してくれたらしい。


 もっとも、社会人になってもう五年目だ。フリーで仕事を請け負うようになってからだと、七年にもなる。さすがにいい加減、新人というレベルではない。

 とはいえ、親からすれば子はいつまでも子なのだろうと思う。

 子供どころか結婚すらしていない和樹だが、それはなんとなくわかってしまう。

 多分、白雪に対してはいつまでもそういう見方をしてしまう気がするのだ。


(もっとも……今回は白雪の後押しがあればこそ、か)


 食事の席で確認したが、やはり優一に住所を教えたのは両親だった。

 実のところ、両親は優一が後悔していたことも、謝りたいと思っていたことも、彼の母親からとっくに聞いていたという。

 親のネットワークは侮れない。


 だがそれを、両親は全く和樹には説明せず、和樹自身がどうするかを決めるべきだと思っていたらしい。

 だから、和樹が法事に参加するためにかつての地元に行くかは、よくて五分五分と思っていたという。


(白雪がいなきゃ、五分五分どころか百パーセント行ってなかっただろうな)


 そうしたら、今このように晴れやかな気持ちであった可能性はない。

 本当に白雪には感謝している。

 ただ。


(保護者としては情けない限りだな)


 自分のことで心配をかけてしまうようでは、保護者失格だ。少なくとも、和樹にとっては、親は子供に心配されるような事態はあってはならない。怪我や病気などは仕方ないにしても。


 もっとも、白雪との実際の年齢差は八年。

 小さいとは言わないが、かといって本来親子というほど離れてるわけではない以上、彼女が成長していると評価すべきなのかもしれないが。


 その時、コンコン、と扉をノックする音が響く。


「はい」

「お兄ちゃん、入っていい?」

「ああ、いいぞ」


 ベッドの上に座った姿勢になったところで、美幸が部屋に入ってきた。

 和樹より先に風呂に入っていたので、もうパジャマだ。

 まだ五月にもなっていないこの季節、この地域は夜はかなり気温が低くなるので、冬用に近い厚手のパジャマだが、どこか子供っぽい様に見えるのは、妹だからか。

 この辺りはなんとなく、白雪の方が大人っぽく見える。


「明日には帰るんだよね?」

「ああ。あまり留守にするわけにもいかないし、仕事もあるしな」


 そう答えると、美幸はデスクの前にある椅子――今は何も何もデスクには乗ってないが――に、背もたれを前にして座る。


「ちょっと聞きたいことがあって。白雪ちゃんとは、今も……ご近所づきあいしてるの?」


 美幸からその名前が出るのは予想外だったので、一瞬言葉に詰まった。

 ただ、考えてみれば一年前のあの花見の際、美幸と白雪は一緒の部屋で寝泊まりしていたわけで、その後にも写真を送ってくるなど、連絡を取り合っている可能性はある。

 さすがに、白雪も今の現状を美幸に伝えているとは思わないが、気にするのはそれほど不自然というほどではなかった。


「まあそうだな。それがどうかしたか?」

「ん。ならいいの。ちゃんと言ったこと守ってるようでよろしい」

「……あれか」


 去年の八月の花火大会で、美幸が誕生日を忘れられて怒っていた時。

 あの時に『今後ちゃんと身近の女の子のことは気にしてあげるように! 具体的には白雪ちゃんをないがしろにしたら、怒るからね』と言ってきたのだ。

 もちろん、保護者を自認する和樹としてはそれは当然の事だったので了承したが――あの時からすれば、今のような状況になるのは予想外だ。

 とはいえ、『ないがしろにしない』というのは間違いなく果たせてはいるだろうし、今後もその気持ちは変わらない。

 白雪が幸せになるのを手助けするのは、もはや和樹にとっては義務にという感覚が近い。


「それを確認しに来たのか?」

「うん。まあね。白雪ちゃんから無事大学に入ったことは聞いてたけど、そんな密に連絡取り合ってるわけじゃないからね」

「お前に心配されることじゃない。用事はそれだけか?」

「あ、うん。メインはこれだけど、あとちょっと、私の部屋来てくれない? パソコンでわかんないことあって」

「はいはい」


 そう言うと和樹は立ち上がり、美幸の後に続く。

 正直に言うと、不意打ちで家に来るなと言いたいところではあるが、それを言うと逆に勘繰られる気がしたので、言えなかった。こういう時、美幸は妙に勘がいい。


(ま、その前に白雪が独り立ちしてる可能性も十分あるしな――)


 それが妥当だと頭では理解しているし、そうあるべきだとは思っている。

 ただ、今の和樹はその未来図が、なぜかあまりしっくりと来ないのに、少しだけ首をひねるのだった。

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