第139話 氷解する呪縛
「ひ、久しぶり……だな、優一」
「おう。……って、まあ軽く挨拶返せる感じでもないか。でも、ちょっとくらい、いいか?」
「……ああ」
久しぶりに会う優一は、しかし記憶にある彼とそう変わりがないように思えた。
そう。
あの事故が起きる前の彼と、ほとんど変わらない。
それは、背の高さなどではなく――むしろそれは小さくなったように見える――、その雰囲気が、友人であった頃の彼と同じに思えるのだ。
優一との最後の会話の記憶は、あの事故のすぐ後。
病院にお見舞いに行って、痛々しい包帯をあちこちに巻いた姿だ。
そして、父親が死んだことが、和樹のせいだと罵倒された。
無論、優一とてそれが理不尽なことだとは理解していても、事故直後、父親を喪った中学生が、あのように責めるのを誰が非難できるというのか。
そして和樹も、自分が言ったことで災禍を招いてしまったのでは、という思いは、事故の話を聞いた直後からずっとあり――そしてそれを責める優一の言葉は、文字通り和樹にとって呪いになってしまった。
そもそも、和樹の感じるイメージは、近しい人ほど鮮明に、強くなる。
だから和樹はそれ以後、必要以上に人に踏み込むことをしないようなったのだ。
その壁をあっさり越えてきたのが、誠や友哉、朱里。
そして、白雪だ。
ただ、大抵の人にとっては和樹のその『警告』は呪いに思えたのだろう。
実際、これを話してもなお肯定的に捉えてくれたのは、家族と白雪だけだ。
未だに怖くて、誠や友哉、朱里にすら話せていないのである。
優一に案内されたのは、本堂と渡り廊下でつながった建物の、二階の一室。おそらく控室の様な場所だろう。
今日はかなり暑いためか、冷たいお茶と、いくらか菓子類が置いてある。
十三回忌法要の後に、故人を偲んでの食事会をするケースもあるらしいが、それは別の場所でやるらしい。無論和樹はそちらには参加しない旨を伝えている。
和樹は優一に勧められるままに、椅子の一つに座った。対面に優一が座る。
「時間、いいのか?」
「ああ。食事会は昼過ぎだからな。マイクロバスで会場に行くんだけど、出発までまだ三十分くらいあるから。玄昉のおっさん、いつもだけどお経省略してないだろうな、アレ」
玄昉というのはこの寺の住職のことだ。
和樹は直接の面識はほとんどないが、優一は長谷家がこの寺の檀家でもあるため、かなり付き合いがあるらしい。強いて言うと、なんか早口だったようには思うが。
「しかし……ホントにでかくなったな、お前」
「まあ……な」
「いくつだよ、いったい」
「一七八センチ……だったかな。最後に測った時そのくらいだ」
「でけっ。俺より十センチもでかいのかよ。前はチビだったのによ。まあだから、ホントにお前なのかって、声かけるまでビビってたんだがな」
そういう優一は、本当に和樹が記憶する以前の優一だ。
ただそれだけに、最後の記憶とのギャップが、和樹には辛い。
だが、あの事件は、もしかしたら自分が呼んでしまったのでは、という感覚が、いつまでも和樹にはあり、その罪の意識は、どうやっても――。
「まあ、世間話より先に、だな。和樹。本当に、あの時はすまなかった」
「え?」
「お前と最後に話した……あの、病院。あそこであんなこと、本当は言うつもり、なかった……はずなんだ。なんだけど……俺もガキだったってことなんだろうけど、それをずっと、謝りたかったんだ」
「いや、別にあの時のあれは、言われて当然っていうか」
「じゃあ、お前が俺たち家族が事故るように、呪ったっていうのか?」
「そんなことするわけないだろ!」
思わず声を上げてしまった。
幸い、部屋には他に人がいないので、注目されることはなかったが。
「だろ? それに、前から小さなトラブル警告してくれてさ、助かってたんだよ、俺」
「そんなこと……あったか?」
「あったよ。下校中に何故かお前が嫌な感じがするから道を変えたりとかあったろ?」
「……あったような……気がするが」
「あれ、あの後別の奴がその道通って、車に水撥ねられて悲惨だったことがあったらしいぜ。小さなことだけど、お前は結構俺や周りを助けてくれてたと思うんだよ」
「ただの偶然だろう」
「かもな。だけど……あの時のお前のあの、真剣な様子は、俺もずっと引っかかってたんだ。お前の言うことは、そういうものだってどっかで信じるようになっていたから」
そういって、優一は一度お茶を飲むと、何かを思い出すように視線を中空に漂わせる。
「かといって、それで旅行中止にとかできるわけはなくてさ。でも、なんかあるかもって……その、旅行中気を付けてたんだよ。そしたら……あれが起きた」
右折する車に猛スピードで突っ込んできた車。
それにフロント部分を弾かれ、吹き飛んだ長谷家の車が、電信柱に横合いから突っ込んだ。
「あの時、実は俺も父さんも、事故とか気にしてたんだ。お前の警告って、俺の家じゃ結構俺が話してたからな」
だが結局、事故は起きた。
あの時ほど、和樹は自分の言葉を後悔したことはない。
自分が話してなければ、あの事件は起きなかったのでは、と思ったことは一度や二度ではないのだ。
「あのさ。何度も言うが、お前が事故起こしたわけじゃないだろ?」
「それは……そうだが」
「なら、お前のせいじゃない。それに……お前のその言葉があったから、俺は生きてるんだよ」
「え?」
「言ったろ、警戒してたって。だからあの時、車が突っ込んでくるのが見えて、まずいと思った父さんはすぐブレーキを踏んだ。多分それがなければ、本当に真横からぶつかって、俺たちは全員死んでいたと思う」
確かに、車が当たったのはフロント部分。あと数十センチずれれば、かすった程度だったはずだが、接触事故は起きてしまい、あの悲劇が起きた。
しかし、もし停止していなければ、完全に横から激突しており、その場合はもっと悲惨な事故になっていた可能性が高かったという。
それは、当時の事故検証でも言われていたことらしく、父親が死んだのは、かなり不運な事だったらしい。
「当時から……おれはその、お前が警告してくれてたおかげで、大怪我はしたけど、生きてられたと……正直思ってた。なんだけどさ。その、あの直前、父さんが死んだって聞かされて……だから、本当にすまなかった」
「いやいや、謝られる話じゃない」
「だとしても、だ。それにあの後、お前があんな風に言われていた時、俺はお前を庇えなかった。結果、お前はいなくなって……その、ずっと後悔してたんだ。ただ、あんなことを言って、どうやってお前に会えばいいか分からないまま……気づいたら十年以上が経ってた。情けないな、本当に」
「優一……」
和樹が苦しんでいたように、優一もまた自分が言った、本当は言うつもりのなかった言葉に苦しんでいたという事だろう。
ただ、和樹にとっては優一のあの言葉は、ある意味言われて当然だと思えていたものであり、やはり優一が悪いとは思えない。
あれはあくまで、和樹の罪悪感を補強するだけの言葉でしかなかったはず――だったのだが。
「……ありがとう、優一」
「え? いやいや、そこは俺を責めるべきだろ!?」
「いや、それはない。お前が……そう思ってくれたことが、なんか……心のつかえがとれた気分になったんだ」
自分自身を呪っていた。
だから、人との距離を常に取ろうとしていた。
その直接の原因となった優一が、『そうではない』と言ってくれることが、和樹の中でずっと心に刺さっていた、杭のような呪いを、静かに外してくれた様に思えたのだ。
(予言っていうなら……白雪の方がよほどすごいな)
この話を知った時に白雪は、和樹がこの法要に行く必要があると言った。
確かに、来なければこのような気持ちにはなれなかっただろう。
本当に、白雪が背中を押してくれたおかげである。
「和樹?」
「いや。なんでもない。ただ、来てよかったな、と思ったんだ」
「それだな。正直、お前が来てくれるかどうかが、一番の賭けだった。まあ、ダメなら、俺がそっちに行くことも考えていたが……」
「その手間はかけさせずに済んだわけだ」
正直に言えば、もし直接来られたら、果たして会えたかどうか。
インターホン越しに拒否した可能性も否定できない。
そういう意味でも、白雪の言葉は、二重の意味で自分を救ってくれたように思う。
「ありがとな、和樹。ああそうだ。母さんと恵理子にも会ってくれ。二人も、お前に感謝してるんだ」
「……それこそ、会うのが怖いくらいだが……」
「むしろ二人は最初からお前に感謝してたよ。俺があれを言ってしまったことを知って、めっちゃ怒られたからな」
「そう……なのか」
「あとそうだ。恵理子は今度結婚するんだ。せっかくだからそれは祝ってくれよ」
「それは……おめでとう。って、今何歳だったっけ?」
「忘れてるとか、恵理子が泣くぞ。三つ下で、今二十三だ。お前、それ黙っとけよ。恵理子の初恋、お前なんだから」
「は?」
それは完全に初耳である。
第一、彼女と会っていたころの自分といえば、まだ相当にチビだったはずだ。
「だからかな。年上に思えなくて、でも時々大人っぽいからかっこいいと思ってたらしい。だから、多分今のお前見たら仰天するぞ」
「一応さっきの法要の場で見てるだろう」
「あ、それな。お前が和樹だって、俺ですら自信持てなかったんだぞ。恵理子はマジで分かってなかったからな。……っと、ちょうどいい。おう、今和樹と上にいる。来いよ」
後半はかかってきた電話に対する返答だ。流れから察するに、妹の恵理子からだろう。
ほどなく、扉が開いて現れたのは、同じく黒い服装の女性。
優一と一緒に遊んだことは多いが、妹である彼女とはあまり一緒に遊んだことはない。たまに、優一の家でトランプなどやる時に一緒にやったくらいだが、わずかに見覚えはある。
背は白雪より少し低いくらいか。年齢相応の落ち着いた雰囲気で、ショートカットが良く似合っている。
「久しぶりです、和樹さん。長谷恵理子です。って、ホントに和樹さんですよね。お兄ちゃんより大きいんじゃ? ちょっと立ってみていただけますか?」
「あ、ああ……」
「ほら、お兄ちゃんも……って、十センチくらい違うんだけど!? ホントに和樹さん?」
「間違いなく和樹だよ。俺もビビった。あの可愛いチビ和樹が、なんでこんなでかくなってんだってな」
確かに中学の頃はクラスで一番背が低かったが、酷い言われようである。
「お兄ちゃん、ちゃんと言うべきことは言ったんだよね?」
「もちろん。なあ、和樹」
「ああ、大丈夫だ。それから、恵理子ちゃん結婚するそうで、おめでとう」
「はい。ありがとうございます」
「初恋は実らなかったけどなぁ」
その瞬間、プチ、と何かが切れたような音がした様に思えた。
多分気のせいだと思いたかったが――目の前の女性から怒りのオーラが立ち上っているのが見える気がする。
「お・に・い・ちゃ・ん?」
「おう、なんだ? いや、こうやって前みたいに話せるようなったし、やっぱお前も知っておいてもら」
直後、ズドン、という強烈な音がして、優一が言葉を失ってうずくまる。
とても強烈なボディブローが優一に突き刺さったのが、和樹にもかろうじて見えた。
そういえば、確か恵理子は空手をやっていて、小学生にして黒帯一歩手前と聞いたことがある。
「お、おまえ……て、手加減ってものを……」
「和樹さん。お兄ちゃんが何を言ったかはともかく、忘れてくださいね?」
貼りつけたような笑顔が怖すぎる。
「あ、ああ。それに、いい出会いがあったんだろ。それは、何よりだよ」
「はい。ありがとうございます、和樹さん」
そう言って笑う恵理子は、本当に嬉しそうだった。
その横でうずうくまって悶絶してる兄が、やや不憫だったが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます