第137話 白雪のアルバイト

「じゃあ、火曜日の午後二時から七時までと、二週に一度、土曜日の朝八時から二時までの二回のシフトでいいかな」

「はい。お願いいたします」


 白雪はそう言うと、頭を下げた。

 大学が始まって二週間。

 履修する講義も決まり、時間割が確定したので、念願のアルバイトを始めることにしたのである。

 場所は家から最寄りのコンビニエンスストア。

 月に大体三十時間程度と非常に少ないが、それでも白雪にとっては初めての仕事となる。


 学校のスケジュールは、月、水、木曜日は大体午後六時には家に帰ってこれるスケジュールで、金曜日だけ七時を過ぎる。

 火曜日は午前中だけにしてあるが、そこにアルバイトを入れた。土日は休みなので、それも片方アルバイトにあてた。もちろん、スケジュールについては和樹とも相談して決めたものだ。


 自分の容姿に対する影響は把握してるので、あえて少し似合わないメガネをかけて誤魔化すことにした。

 容貌さえ何とかすれば、女性的な体つきというのは大分不足しているので、変に注目されることはないだろう。言っていて自分で悲しくなるが。


 難点は、美雪や孝之が買い物に来る可能性が高いことだが、これに関しては近さを優先したので諦めた。むしろ先に話しておいたほうが面倒がないだろうと思って、すでに話してある。


「ところで今日はこれから入れるかな?」

「あ、はい。えっと……大丈夫です」


 今日は土曜日。現在時刻は朝の八時前。

 和樹は今日は仕事先に出かけているので、お昼を準備する必要がない。


「ちょうどよかった。君の働く時間に被る小鳥遊たかなしさんと竜崎りゅうざきさんってバイトの子がいるから、基本その子らに仕事のやり方を聞いてほしい。これから来るはずだ。僕はちょっと別の店に行くから」


 今話していたのはこの店の店長なのだが、彼は他の店も受け持っているらしく、あまり店にはいないらしい。年齢は四十歳くらい。ちなみにバッグヤードに彼の子供の写真が飾ってあった。

 アルバイトは他にもいるようだが、シフト表を見ると白雪の予定時間はどちらもその小鳥遊、竜崎という人との三人体制で担当することになりそうだ。

 名前を見ると『小鳥遊美咲』『竜崎美佳』とあるので、女性だろう。

 力仕事には不安が残らなくもないが、女性であることは少し安心できる。


「おはようございます」


 自動ドアが開く音がして、挨拶の声が聞こえた。

 客でこのような挨拶をする人は滅多にいないだろうから、おそらくこの人がもう一人のアルバイトだろう。


「あ、おはよう、竜崎さん。この子がこの間話した新しいバイトの子。玖条さんだ。玖条さん、こちら、さっき話した竜崎さん」

「竜崎美佳です。よろしくね」

「玖条白雪です。よろしくお願いします」


 挨拶しつつ頭を下げてから顔を上げて、紹介された人物を見て――白雪は軽く固まってしまった。

 竜崎美佳は、身長は白雪よりやや低い。佳織より少し大きいくらいだろう。今の服装は、上はハイネックのスプリングセーターで、下はスキニーパンツ。特にスタイルが際立っているというほどではないが、容貌は際立っていた。

 やや青みがかったようにも見える黒髪は肩のあたりで切り揃えられていて、白雪のそれと比べても遜色ないほどに美しく、艶めいている。

 やや大きめに見える瞳、細い顎と美しいと言っていい鼻梁は、空想の作り物でもここまできれいにはならないのではないかと思えるほどだった。

 やや幼い印象もあるが、ある意味では理想的な少女のようだとすら思える。


「はは。竜崎さん可愛いだろう。ちなみに小さく見えるけど、玖条さんより年上だよ」

「店長。セクハラで訴えますよ」

「おおう。それは勘弁してくれ。あ、小鳥遊さんも来たね」


 店長の言葉の直後に自動ドアが開き、もう一人女性が入ってきた。

 やや染めた茶色の髪をポニーテールで括って、ジーンズに長袖のポロシャツという簡素な出で立ちだが、とても活動的な印象の女性だ。おそらくこちらに先に会っていたら、この人も十分美人だと思ったが、竜崎美佳という女性の方が際立っている。


「いいところに。小鳥遊さんも。こちら、玖条さん。今日から入ってもらうので、指導よろしく。後は任せていいかな」

「はーい。了解。私は小鳥遊たかなし美咲みさき。よろしくね。玖条さん」


 そう名乗った美咲は、見た目通りに活動的な性格のようだ。

 

「はい。玖条白雪と申します。よろしくお願いします。小鳥遊さん」

「うわ、かたいなぁ。私のことは美咲でいいよ、年齢そんな変わんないだろうし」

「え。でも……」

「いいっていいって。じゃ、竜崎さん、私彼女バックに案内してますね」

「ええ、よろしく」


 その様子を見て、店長は店を出て行った。ずいぶん忙しそうだ。


「じゃあ、こっちがスタッフ用エリア。制服は……私と同じで大丈夫かな?」


 美咲はそう言うと、レジの裏手にあるエリアに白雪を連れて行く。

 そこは意外に広い部屋になっていて、壁にロッカーが並んでいた。


「ロッカーは特に誰、とか決まってないから好きに使っていいの。一応ナンバーロックかかるから、貴重品置く場合とかはセットして。で、制服制服……」


 そう言うと、美咲は箱から店の制服を取り出した。きれいに洗濯され、アイロンもばっちり当たってると分かる。


 渡されたそれをとりあえず着てみると、なんとなく気持ちが変わったような気がした。

 制服の効果だろうか。


「うん、大丈夫だね。じゃ、早速……と、最初は竜崎さんに聞いて。私、ちょっと裏の整理を最初にいつもするからさ」

「あ、はい」


 裏というのが何のことかわからなかったが、どうやら冷蔵庫の裏にスペースがあって、そこに大量の飲料が保管されてるようだ。それを補充したりするのだろう。


「えと、竜崎さん、よろしくお願いします」

「ええ。まあ、レジ打ちなんてそう難しくもないから……その前に、聞いてもいい?」

「何でしょう?」

「そのメガネ、度が入ってないようだけど、ファッション?」

「え」


 いきなりそう言われるとは思わなかった。確かに度がないただのガラスだが、間近で見たのならともかく、ほとんど初見で気付かれたということになる。


「あ……はい。一応……」

「そ。まあ好きにしていいわ。じゃあレジ打ち教えるわね」


 そう言うと、美佳は白雪を伴ってレジの使い方を教えてくれる。

 最近は色々な決済方法があるが、この店のシステムは客側が支払方法を選択し、自ら行うので、そこで迷うことはない。トラブル発生時の対処方法はあるが、マニュアルに従ってやるだけだ。

 その他にも特殊な支払方法もあるらしいが、それほど難しくない上に、美佳の教え方はとても上手だった。


 そうしている間に何人かお客さんが来るが、特に何の問題もなく処理できた。

 特にトラブルも起きない。

 考えてみれば自分もそうだが、コンビニの店員の顔など、普段あまり見ることはない。そういう意味では、メガネもやや警戒しすぎたかとは思う。


 そのうち美咲も合流し、お客が減ったタイミングで今度は裏側の仕事も教えてもらった。

 それほど難しくはないが、きめ細かく色々見る必要があるなと思える。


 ふと、冷蔵庫のガラス戸越しに見ると、美佳一人のレジに、三人ほど客が並んでいた。


「あの、これ、行った方が?」

「お、そうだね。玖条さん良く気付いたね。うん、並んでる時は出来るだけヘルプ。レジは待たせないのが基本」


 白雪は頷いてレジに入る。

 ほどなく客は捌けた。


「ありがとう、玖条さん」


 美香のお礼に、白雪は小さく会釈する。


(小鳥遊さんもきれいですが、竜崎さんは本当に可愛らしいです……けど)


 ただ、年齢が全く分からなかった。

 先ほどの店長の話だと、自分より年上は確定らしいが、それがなければ同年代かむしろ下だと思っただろう。


「お、白雪ちゃんいた~。……ってあれ。何そのメガネ」

「いらっしゃいませ……みゆさんですか」


 現れたのは美雪だった。

 今日は夕方から会う約束をしていたのだが、その際にバイトのことを話してしまっていたのである。


「ああ……まあ白雪ちゃん、可愛いから……って」

「玖条さん、知り合い?」

「あ、はい。同じ大学の友人です」

「そ。仕事に支障なければ好きにしていいわ。裏を調整してくるから、レジは任せるわね」


 そう言うと、美佳は冷蔵庫の裏側に入っていった。


「ね、凄い可愛い子だね、今の人。先輩?」

「です。でも、私達より年上らしいですよ」

「え?!」


 美雪が驚いていた。もっとも、多分それが当然の反応だろう。


「白雪ちゃんがそのメガネかけた理由は……まあ想像できるけど、なんかあの先輩がいるならなくてもいいんじゃ?」

「ちょっとだけ思いました。あの人、観察力もすごいです。このメガネが度が入ってないって、ほとんど一目で見抜きましたし」

「なんかクールプリティーって感じだねぇ」


 そうしている間に何人か客が来たので、美雪は邪魔にならないように、とペットボトル飲料やお菓子を買って帰って行った。多分後で一緒に食べることになりそうだ。


 そうこうしている間に、あっという間に勤務時間が終了となる。とりあえず問題はなかったと思う。

 今日は白雪と美咲は同時に終了だが、美佳はまだシフトが残っているようだ。


「お疲れ様。いい仕事ぶりだったと思うわ。今後もよろしくね、玖条さん」

「はい、今日は色々教えていただき、ありがとうございます、竜崎さん、美咲さん」


 見た目は年下っぽいが、実際には間違いなく年上だろう。落ち着き払った態度や立ち居振る舞いは、明らかに年長者の貫禄がある。

 白雪と美咲は、終業処理をしてコンビニを出た。途中までは道は同じらしい。


「お疲れ様、玖条さん。どうだった?」

「初めてでしたが……なんか労働してるって気になりました」

「そりゃ何より。ところでさ、あの竜崎さんどう思う?」

「すごくかわいいと思いました……でも、年上なんですよね」

「らしいけど、私も年齢知らないんだよねぇ。一年一緒に仕事してるけど、まともに教えてくれなくて。ただ、店長によると、八年前からあの店にいるらしいよ」

「な、八年前……」


 あの店のアルバイト募集は十八歳以上。つまり最低でも、彼女は二十六歳ということになる。白雪はあまりコンビニを利用することはなかったが、和樹なら知っているだろうか。

 すると美咲は、何かを思い出したように笑った。


「一度だけ年齢聞いたことがあるんだけど、竜崎さんなんて言ったと思う?」

「さあ……?」

「『三百万くらいかしら?』だって。いや、教えてくれる気がないってわかりすぎる解答だったよ」


 さすがに白雪も唖然とした。

 正直三十歳でも冗談だと思えるのに、三百万である。


「謎ですね……」

「うん、謎。でもいい先輩だよ」

「そういえば……美咲さんは大学生?」

「うん。市立いちりつ大の二年。玖条さんは、一年生?」

「はい」

「そっか。じゃ、これから色々楽しいだろうね。バイトも大変な時もあるけど、頑張ろうね」

「はい、ありがとうございます」


 そう言うと、美咲は手を振って去って行った。

 白雪も一礼して、家に帰る。

 とりあえず、バイトは順調にスタートしたと思えた。

 いい先輩達がいてくれて助かった。あれなら、アルバイトは上手くやれる気がする。


 なお、和樹は結局あの翌日、十三回忌法要に行く決心をして、参加の旨返信を出した。まだ複雑そうな表情をしていたが、いい結果になるといいと、白雪は願わずにはいられない。

 本音を言えばついていきたいとすら思えるが――さすがにそれはない。

 今回は留守番になるだろう。

 十三回忌法要の予定は、ちょうどゴールデンウィークの最初の休み。つまり来週の末だ。

 とりあえずどうするかを考えつつ、白雪は家に戻っていった。


―――――――――――――――――――――――

先に言っておくと、竜崎美佳は今後ほとんど出番ありません。

良い先輩がいるのでバイトは大丈夫ってだけで。

ちょっとした遊びで、彼女はこっちでは重要キャラではないので……(謎)

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