第136話 和樹の傷2

「ころ、した……?」


 さすがに、あまりにも予想外の内容だったので、思わず反芻してしまった。

 だが、それだけはないと断言できる。

 確かに彼は柔道も修めているが、それゆえに逆に人を殺すようなことは絶対にしないだろうし、そもそもそんなことをできる人ではないはずだ。

 第一、今『事故』と言ったはずだ。『故意』ではない。


「ああ、すまん。さすがに直接手をかけたとか、というのじゃないんだが」


 そう言うと、和樹は少し考え込む様に天井に視線を移した。


「そうだな……。白雪、俺と出会った時のことを、覚えてるか?」

「え?」


 突然そんなことを言われるとは思わず、少し不思議そうな顔になってしまった。

 ただ、もちろん覚えている。

 危うく車に轢かれそうになったところを、紙一重で助けてくれた。

 あの時助けてもらったのが、今に繋がっている。


「もちろん覚えてます。あの時はありがとうございました。最初に和樹さんに助けていただいた時です」

「そう……なるか。それはともかく……あれ、良く間に合ったと思わなかったか?」


 言われてから、少し考えて、小さく頷く。


 あの時。

 道を渡る際に、白雪もマンションから出てきた和樹はもちろん目撃している。

 道の幅はおよそ七メートルほど。マンションから出てきた直後の和樹と、道を渡ろうとしていた白雪との距離は、十メートル近くはあった筈だ。

 そして車はあの時、時速八十キロ近くの、とんでもない速度で走っていた。白雪が車に気付いたのは、衝突するおそらく二秒程度前。

 だが、人間の移動速度では、停止状態から二秒で十メートル移動するのは、不可能とは言わないが相当に難しい。

 なので、良く間に合ったものだと思ったことは、一度ならずある。


「時々俺は勘が良くてな。なぜか良くないことが起きる直前に、それが分かることがあるんだ。虫の報せとかその程度のものだが……あの時もそれがあった。だから、ギリギリ間に合ったんだ」

「そう……だったんですか」


 良く間に合ったものだと思っていたが、そんな理由があったとは思わなかった。

 だが、それと先ほどの告白が結びつかない。


「子供の頃からそういうことがあってな。友人の事故の気配を感じたりすることは結構あった。田舎ってのは結構車の事故は多くてな。それでまあちょっと変わった勘のいい子供程度に思われていたんだが……中学の時、優一の家が旅行に行くと聞いた時、それが感じられてしまった。大きな事故の気配というか。で、それを優一に警告したんだ。できれば中止しろってな」

「それは……」


 いくら子供の頃からそういう話があっても、科学的な根拠がある話ではない。当然、中止はしなかったのだろう。そして、おそらく。


「まあ、当然中止されることはなく……そして、事故が起きた。優一と妹さんは大怪我をして、父親である秀夫さんは意識が戻らずそのまま帰らぬ人となった。母親の百合子さんはかろうじて命はとりとめたが、歩けなくなって、多分今でも車椅子生活だと思う」

「それはでも、和樹さんは無関係では」

「まあ普通なら、そうだろうな。ただ……俺がそう、優一に警告してたのが、どこからか広まってな。それで、俺が事故の原因じゃないかって言われることすらあった。それ以前から、稀にそういう小さな事故を予見してたこともあってな……結構不気味に思ってた人も多かったらしい。だから、優一の事故は最後のきっかけだったのかもしれない」


 この時期に十三回忌ということは、事故が起きたのはおそらく五月くらいか。

 逆算すると、中学三年生。それは、つまり。


「じゃあ、和樹さんが中学の時に……その、修学旅行に行かなかったのって」

「ああ、そんな話もしたか。体調崩したのは事実だよ。『死神』なんて陰口叩かれたからな。当時の俺は、それを受け流せるほどではなかったんだ」


 それは誰でも無理だろう。

 白雪でも、それに耐えらえるかと聞かれたら、できるとは思えない。


「結局通えなくなって、強引に中学は転校したんだが、それでも噂ってのは広まるものでな。ただ俺の場合幸いだったのは、家族は、そんな俺を庇ってくれた。だから、潰れずに済んだのだとは思う」


 それで、和樹が高校の間だけこちらに家族で引っ越していた理由もそれでわかった。本当に優しい家族なのだと思える。


「だから、家族には本当に感謝してる。おかげで、高校、大学……まあそれなりに過ごすことはできた。大学では誠や友哉にも会えたしな」


 和樹があまり実家に戻らない理由も、それで分かった。

 地元には少し近づきがたいのだろう。

 そしてそれだけに、今回この法要のお知らせが届いたのは、和樹にとっても当時を思い出してしまうきっかけになったという事か。

 ただ、少し白雪には引っかかることもある。


「これまで、法要のお知らせは……来なかったのですか?」


 白雪もやっているから知っているが、年忌法要は主なものでも三回忌と七回忌がある。それぞれ和樹が高校生の時と、大学生の時に実施されているはずだが。


「来たことはないと思う。親からも聞いていない。それに……俺のこの住所を、以前住んでいた地域で知ってるやつはいないはず……なんだが」

「そうなんですか?」

「親同士の繋がりで、うちの両親の住んでる場所くらいは知ってるだろうが……だから、知ってるなら、うちに問い合わせたくらいしかないし……」


 ただそうなると、経緯が経緯なだけに、両親は教えないという選択を取った可能性も高いが、それでも今回、あえて教えたということになるかも知れない。


「何かの間違いで送ってしまった可能性もあるかもだが。まあどちらでもいいか」

「行かない……のですか?」

「そうだな……行く理由がないというのが本音だ。今更どの面下げて優一に会えばいいのか、わからないからな」


 そういう和樹の言葉は、しかしその言葉ほどには確信がないように思えた。

 少なくとも、白雪にはそう思える。


「本当に、私が口出しすることではないのは、十分承知なのですが」


 白雪はそう言うと、和樹の手に自分の手を重ねる。


「和樹さん、もしできるなら、行って下さい。多分きっと、そうした方がいいと、和樹さん自身が思ってます」


 その言葉に、和樹は驚いたような顔になる。


「いや、俺は……」

「和樹さんのその心の傷は、本当に悔しいですが私では癒せません。でも、和樹さんが時々、何か辛そうにされていたのは、いつも気になっていたんです。本当に自分勝手なお願いだというのは分かってますが……和樹さんに、その傷をいつまでも負っていてほしくない、というか……」


 前に雪奈から聞いた、和樹が人との距離を取る理由。おそらくその理由は、おそらくこれだ。親しくなって、もし『何か』を見てしまえば。それを警告するしないに関わらず、和樹はその責任を感じてしまうのだろう。だから、人との距離を取ろうとする。


 だが、白雪にとっては和樹は、すでに文字通り家族という距離にまで近付いている。そして、一度ならず和樹には助けられている。ならば、その和樹の予感は、少なくとも白雪にとっては呪いではなく福音だ。

 断じて、忌むべきものではない。

 もしこの先そういう事態が起きるのなら、それを知れるなら回避すればいい。可能なら、それを一緒に乗り越えたい。


 何より、おそらくこれが解決しない限り、和樹は絶対に自分の気持ちに答えてくれないと、白雪には感じられていた。


「話してくれたのは、家族としてだと、それは嬉しいです。でも、和樹さんが辛そうにするのを、ただ見ているのも、私には我慢できません。本当は、私がそれを癒してさしあげられたらいいのですが……多分、無理です。でも、きっとこれに行く必要があると……そう、思えるんです」


 白雪はそのまま、まっすぐに和樹を見つめ続ける。

 すると和樹は、むしろ呆れたように大きく息を吐いた。


「相変わらず、いざとなると本当に頑固というか強引というか」

「え?」

「……前向きに検討するよ。ただ、約束はできないが」


 そういうと、和樹は白雪の頭に手を置いて、少し撫でてくれる。

 それがとても心地よくて、白雪は思わず目を細めた。


「あと……ああいうことは他人にはあまり言うなよ。誤解されたら厄介だぞ。俺ならともかく」

「え……あ、はい」


 返事をしてからどれの事だろうと考えて――思わず顔が赤くなった。

 考えてみれば、ひたすら大胆な事ばかり口走っていた気がする。


「ありがとな、白雪。正直……俺一人でこいつを受け取ってたら、もっと動揺してたと思うから」

「お、お役に立てたのなら、嬉しい、です」


 この場合どう反応すればいいのか分からず、白雪は下を向いたままそれだけを言うのがやっとだった。

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