第127話 新たな未来へ

 四月に入り、ようやく桜が開花し始めた。

 今年の桜前線の動きはここ数年では最も遅いらしく、各地の桜祭りのスケジュールも混乱しているらしい。


 四月一日に、上の部屋は業者が入ってきて、家具などが撤去された。もちろん立ち合いは必要で、白雪はそれに一日付き合っていたが、特に問題なく終了した。グランドピアノをどうやって出すのかと思ったら、足を外すと意外に運び出せてしまうのには驚いた。

 搬出が全て終わった後、本当に空っぽになったあの大きな部屋を最後に見た時は、こんなに広かったのかと驚いたほどだ。ちょっとした球技なら出来そうだとすら思えた。


 そして、最後にスマホの鍵の権限の無効化を確認してもらい、マスターキーを不動産屋に返したのが、午後五時過ぎ。返す時は、さすがに少し感慨深かった。


 ちょっと疲れた気分にはなったが、今となってはすっかり馴染んでしまった和樹の家だと、やはり疲れが取れるのが早い気がする。


 大学の入学式は週明けの四月八日。

 入学式に着ていく服は準備済みだ。

 さすがに和樹に来てもらう事にはなってない――と思ったら、和樹も当日に大学に用事があるらしい。なので、一緒に行くことになっている。そういえば何の用事か聞いていないが。


 あとは本当に、入学を待つのみである。

 ちなみに交通手段はバスまたは徒歩。

 バスに関しては和樹からの助言で、バスに乗る場所を調整することで、ほぼ座っていけるルートがあるらしい。

 まともに駅から乗ると非常に混むらしく、ちょっとありがたい。

 歩いても多少勾配があるが、四十分程度。荒天か、真夏などで日差しがきつくなければ、基本歩くつもりである。


 せっかくの桜の季節なのに、今年は花見はしないのかと思ったが、どうやら一度は計画したのだが、今年の桜前線の動きは予想外で、結局取りやめになってしまったらしい。

 どうせ大学のキャンパスに大量の桜があるし、と思ったが――そんな折、和樹から提案されたのが、鎌倉の花見だった。


「鎌倉で、ですか?」

「ああ。段葛、覚えてると思うけど、あの両サイドにある木って、全部桜なんだよ」

「え。そうなんですか」

「ああ」


 そういって、和樹が見せてくれた去年の映像は、見事なまでの桜並木が続いている光景の写真。


「今年はなんか開花が遅くなったから、逆にタイミングが狂って、特に平日は比較的すいているらしい。どうだ?」

「そのお誘いを断る理由はないですね。鎌倉はとても好きな街ですし」


 もちろん白雪にとっては、デート以外の何者でもない。


「じゃ、明後日で、早めに行くか。その方が空いてるだろうし」

「はい、楽しみにしてます」


 出来れば天候に恵まれますよう、と白雪は願わずにはいられなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「うわ……すごい」

「これは……予想以上だな」


 鶴岡八幡宮へと続く段葛。

 その両脇にある桜は、全てがほぼ満開だった。

 それが、段葛に文字通り桜のトンネルを作っている。


「すごいですね、これは。こんなのは京都でも、ちょっとありません」

「ここまでまっすぐな桜並木なんてあまりないからな……俺も初めて知った」


 惜しむらくは、天気が少し悪いことか。

 一時的に雨も降る予報になっているが、これが青空だったらさぞかし素敵だろう。

 朝の八時にもかかわらずそれなりに人がいるが、まだ少ない方か。

 今日の白雪の服装は、ミントグリーンのブラウスにロングのフレアスカート。その上からカーディガン。それにスプリングコートを羽織っている。

 コートは雨が降る場合を考慮したもので、履物もショートブーツだ。

 和樹の服装はいつも通りといえばいつも通り。


 とりあえず二人は、そのまま段葛を歩いて、鶴岡八幡宮へと向かう。

 もちろん白雪はずっと和樹と手を繋いでいた。

 和樹の提案で、折角なので合格を報告しよう、ということだが――。

 白雪の内心は違う。

 願いをかなえてくれてありがとうございます、と。

 そのお礼を言いたいのである。


 さすがに比較的朝早いのもあって、まだ参拝客も少ないようで、とりあえず二人はそのまま参拝を行った。


(願いをかなえてくれて――ありがとうございます)


 これからも和樹に会いたいという、絶対に無理だと思っていた未来。

 それが叶ったどころか、それ以上の結果になったのが、神様のおかげかは分からない。ただ、もしかしたらわずかに力を貸してくれたのかも、とすら思える。


(そして――できれば、本当にこの人と、家族になれますように――)


 父親と娘ではない、家族。

 人生のパートナーとしての家族になりたい。

 それが新しい白雪の願いだ。


「なんかまた真剣だったな、白雪」

「そうですね……願い事、叶っちゃってますから、そのお礼とかを」

「そうか」


 多分、大学合格のことだと思っているのだろう。あるいは気付いてくれないかと思ってしまうが、多分今はまだ難しい。


 そのまま、二人は周辺を散策していたのだが――急遽家に帰った。

 というのは、突然雨が、それも集中豪雨的に降ってきてしまったからである。

 雨の中の寺社というのも風情はあっていいが、そのつもりで来ているわけではない。

 よりによって雨が降り始めたのが、周りに店などが全くないエリアだったので、雨宿りもできなかった。


 何とか家に帰り着いたのは、昼前。

 白雪がうっかり折り畳み傘を忘れてしまっていたため、和樹の持っていた一本だけであり、少なからず濡れてしまった。

 さらに運悪く、雨の影響で電車が遅れてしまい、最寄駅に着くのに通常の倍以上かかってしまったので、かなり寒い状態で震えることになった。


「すみません……うっかりしてて」

「それは仕方ないが、早いところ風呂に入った方がいいな。風邪をひく」

「はい、そうですね」


 スプリングコートは多少の水は弾いてくれる素材だったが、さすがにその限界を超えてしまっていたので、すっかり濡れてしまって、むしろ下の服まで水がしみ込んでいる。

 今日の気温は二十度もなく、特に雨が降り始めてから一気に下がり始めたので、かなり身体を冷やしてしまった。


 和樹がすぐに風呂をセットし、二人続けてすぐに入る。

 その後は、とりあえずリビングでのんびりしていたのだが――。


「そういえば和樹さん、お昼はどう……ふぇくちっ」

「……白雪、ちょっとごめんな」


 そういうと、和樹が額に手を当ててきた。

 その手が、ひんやりとして気持ちがいい――というより。

 それをひんやりとしてると感じるということは……。


「熱があるな。白雪、すぐに横に」

「あ、でも、その」

「いいから。俺のベッド使ってくれ。しまったな。下手に風呂に入らない方がよかったのか」


 そう言うと、無理矢理ベッドに押し込まれ、体温計が渡された。

 掛け布団と毛布にくるまっても、まだ少し寒気がする。

 どうやら本格的に風邪をひいてしまったらしい。

 和樹が手早く風邪薬を出して持ってきてくれた。

 本来空腹で薬を飲むのは良くないが、鎌倉で多少食べているので大丈夫だろう。


「とりあえずこれで。あとは……寝てるしかないが。熱は?」


 先ほど渡された体温計を取り出す。


「三十八度……ですね。うう。やはり熱がありますね」

「だな。ちゃんと寝てるように」

「あの、和樹さんは大丈夫ですか?」

「俺は大丈夫っぽいな。生活環境が変わったから、その疲れが出たのかもしれないし。とにかく寝てなさい。なんか温まるものを作ってくる」

「あ、いえ、そんな」

「寝てなさい。いいな」

「……はい」


 白雪が頷くと、和樹が部屋を出ていく。


 とたん、薬が効いてきたのか――すぐに眠気が襲ってきた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


(あれ……寝てましたか)


 どのくらい寝ていたのだろうと思ったが、それほどではないようだ。外はまだ明るい。

 雨はまだ降っているようで、灰色の空が窓から見えた。

 もぞもぞと布団の中で動いてみるが、身体は少し楽になっている気がする。


 和樹のベッドで寝るのは、これで三回目だ。

 最初が、京都から無理矢理帰ってきて、疲労困憊で倒れ込んだ時。

 二回目は、去年の夏。白雪がお風呂掃除でびしょぬれになってしまった時。


(今はここが私の家、なんですよね)


 なんともいえない不思議な感覚である。

 ずっと憧れていた人と一緒に住んでいるという事実は、本当に嬉しいと思うと同時に、この状況で付き合えてないというのもまた、普通に考えたらまずありえないのだろう。

 だが、現実としてそうなってしまっている。


 正直、ここからどうやって今の枠組みを崩せばいいのか、全く分からない。

 和樹にとっては、白雪は守るべき家族で、本当に今は娘だと思われている気すらする。だが、白雪としては和樹とは恋人になりたいのだ。

 白雪の『好き』は家族としてではない。いや、ある意味では家族としてだが――それは、自分で選んだ相手への『好き』だ。

 そしてその気持ちを共有したいが――今すぐは難しいだろう。


 その時、コンコン、という控えめな扉をノックする音が響いた。


「はい」


 白雪が返事をすると、少し開いたままだった扉が完全に開いて、和樹が現れる。


「白雪、とりあえず温まるものを作ってきたけど、食べられるか?」


 見ると、温かそうな雑炊がトレイに載せられていた。

 この様子から察するに、寝てたことに気付かれていなかったようだ。

 時計を見てみると、一時前。まだ三十分ほどしか経ってない。


「はい。いただきます」


 鎌倉で少し食べているとはいえ、ちゃんとお昼ご飯を食べていないので、身体は空腹を訴えている。


「なんか……和樹さんの雑炊、懐かしいですね」

「そういえば前にもこんなことあったか。あの時は白雪の家に持って行ったんだっけ」

「はい。あの時も助かりました」

 

 そう言うと、白雪はトレイを受け取ろうとして……和樹を見やった。

 そういえば、あの時は。


「せっかくですから、食べさせてください」

「……まあ、いいけどな」


 和樹がすくってくれた雑炊を少しずつ口に含む。

 わずかな塩味と梅干の酸味が、とても美味しい。


「なんか風邪ひくと甘えん坊になるな、白雪は」

「私だって、人に甘えたくなることくらいあります。甘える相手は選びますが」

「家族枠はこういう時はありがたいな」

「そう、かもですね……もぐ」


 ゆっくりと食べ終わった白雪は、身体以上に心が温まったと思えていた。

 少しふわふわとするのは――風邪の影響の方がありそうだが。


「あとはとにかく寝てることだ」

「あ、でも和樹さんのお昼ごはんと、お夕飯……」

「そっちは俺で何とかするよ。白雪は寝て、とにかく回復するんだ。入学式を風邪ひいて欠席とか、したくないだろう?」


 確かにそれは嫌過ぎる。


「夜、何か食べたいものはあるか? できる範囲ならリクエストにこたえるが」

「えっと……じゃあ、お鍋とか」

「そういえば具材あったな、一通り」

「そろそろ暖かくなるから、最後のチャンスかなと思って買ってたんですよね。使わないとですし、なんか温まりそうですし」


 鍋の準備は出汁も含めて一通り終わっている。

 あとは煮込むだけだ。

 今日の夜はかなり気温が下がるらしいので、ちょうどいいだろう。


「分かった。そっちは俺が用意するから、それまでは寝てろよ。いいな」

「はい。ご迷惑をおかけし……あう」


 和樹の軽く握ったげんこつが、白雪の額を小突く。


「家族なんだから、当然だろう。そういう言い回しは、今後禁止だ」

「うう……わかりました」

「じゃ、しっかり休んでおけ。なんかあったら、呼んでくれていい」


 そう言うと、和樹はリビングの方に消えた。

 とはいえ、扉は少し開いた状態になっているので、呼べば本当にすぐ来てくれるだろう。


(なんでしょう……幸せ過ぎて、本当にいいのかって思っちゃいます)


 自分一人ではない、好きな人が常に一緒にいる状況が、これほどに心地よいとは思ってもみなかった。

 本当に、本当に嬉しくて、ともするとどうにかなってしまいそうだ。

 この家に来てから、和樹に抱き着きたくなる衝動を抑えた回数は、もう数える気がしない。


(私、いつまで自分を抑えられるんでしょう)


 自制心は強い方だという自信はあるし、好意をそのまま示すことは、和樹にとって、少なくとも今は迷惑になると分かってる以上、絶対にしないと決めている。


 だが、気を抜いた状態だと、間違えた対応を取りかねない。

 その時は、家族故と誤魔化すしかないだろう。


 気付けば、もう四月も一週目は終わりつつあり、来週からは、新しい大学生活が始まる。

 これまでとは違う、新しい生活が始まるのだろう。

 こんな、好きな人と一緒にいられる未来が来るとは、思ってもいなかった。だが、これが今の現実であり――そして未来へと続く道である。


 ふと、スマホを取り出して、今日撮ってきた写真を見る。

 無数の桜が咲き乱れる中、二人並んだ状態を撮ってもらったものだ。


「和樹さん……ずっとずっと、大好きです」


 ほとんど声にならないその告白は、少しだけ熱っぽい白雪の吐息に解けて、和樹の元に届くことはなかった。



 不可避だと思っていた絶望へとつながる未来は、覆った。

 ならばこの先も、可能性がゼロではない限り、諦めない。

 新しい未来は、まだ何も決まっていないのだから。


 目を閉じた白雪は、それを強く思いながら――静かに、眠りに就いていた。





白雪姫の家族 第一部『白雪』 ―――――― 了

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