第126話 スタートライン

 卒業式があったのが三月一日。

 そこから、あっという間に一ヶ月近くが経ってしまった。


 白雪は、三月中旬に、ついにあの家を引き払った。

 以後、和樹の家で一緒に暮らしている。

 もっとも、劇的に変わったことは、実はほとんどない。


 強いて言えば、お風呂に入る時に事故が起きないようにと、和樹が気にしているくらいだ。もちろん寝る部屋は違う。

 ただ、それでも夜遅くまで――お風呂に入った後も――話していられるのは、白雪としては嬉しい限りだ。


 何気に、和樹も結構ゲームをやっていると知ったのも、一緒に住むようになってからだ。白雪が帰ってから結構やっていたらしい。


 ちなみに、保留になっていた誕生日プレゼントは、ホワイトデーである三月十四日にしっかり実施されてしまった。

 実際、新しいバッグは必要だったので、一緒にお店に行って選んでいる。できるだけ安いものを、と考えていたのだが、結局それなりに高価なものを買っている。

 和樹曰く『こういうのは良いものを長く使う方がいい』とのことで、そこには白雪も完全に同意するところなので、諦めて買ってもらった。そのあたりの価値観は白雪も全く同じで、今思い返せば両親もそうだった気がする。

 買ってもらったのは肩にかけることもできてリュックにもなるタイプのバッグで、非常に丈夫で軽量、かつ見た目以上に容量もあって、とても使い勝手が良さそうである。


 なお、進学後にパソコンが必要になるのは確実だが、それに関しては今借りている和樹のパソコンをそのまま使う予定である。和樹曰く、ほとんど白雪の物だと思っていいとのことだが。

 いっそ買い取るといったら、今更だからと言われてしまっている。


 事実上の引っ越しをしてからしばらくは、生活リズムはやはり違ったのか、少し忙しくしていた気はするが、一週間も経つとさすがに落ち着いていた。すっかり生活には慣れてしまった。


 いつもと違うのは天気の方で、例年だと三月下旬には桜が満開になるのが、今年は寒い日々が続いていて、未だに咲く気配がない。

 そのおかげで、入学式の頃が見頃になるらしい。

 三月下旬時点での満開予想は、入学式のある四月上旬と重なっている。

 すると、あのたくさんの桜の中で入学できるのは、悪くない。


 そして三月下旬になってようやく、クラスメイト全員の進路が確定――第一志望かどうかはともかく全員進学――し、クラスで集まることになった。

 場所は、和樹の家の最寄り駅近くにある、大きなカラオケ店。

 大部屋一つと、普通の部屋四つを貸し切ってのパーティだ。


 クラスで集まって、最後に卒業を祝うということで、みんなで集まったが――女子ほぼ全員から、卒業式で白雪が抱き着いた人物――和樹について聞かれてしまった。


 もっとも、白雪も分かってやったことなので、とりあえず家族同然の付き合いをしている人だとだけ教えている。


「じゃあ、近所のお兄さん的な人なんですか?」

「そうですね……本当に近所だったんです。それで、私は親類が卒業式に来れませんでしたから、代わりに来ていただいたんです」

「文化祭にも一度、いらしてますよね」

「はい。普段のお礼にお呼びしました。三年生の時は都合がつかなかったんですが」

「で、玖条さんはその人とお付き合いしてるの?」


 当然こういう質問がくるのはは分かってはいたが――。


「いえ。お付き合いはしてないです。そうだったら、楽しいのでしょうけどね」


 これに関しては嘘を言うわけにもいかない。


「え。ってことは、玖条さんはその人のことを、その、好き、とか?」

「ご想像にお任せします」


 質問攻めは軽く十分以上は続いたが、さすがにそのくらいで終わってくれたというか、単に食事をしたくなったからでもある。


 小部屋は本当に歌を歌う人が使っていて、大部屋が食事するためのスペースという位置づけになっている。白雪はあまりあちこちに行くのも、と思って大部屋にいるようにしているが、佳織はさっそくあちこちで熱唱してるようだ。


「やっほー、姫様。久しぶり……でもないか」

「先日会ったばかりですね。雪奈さんは準備はもう大丈夫なんですか?」


 先日、お互いに大学で必要そうなものを一緒に買いに出かけたばかりだ。


「多分大丈夫。自宅から通うしね。佳織もだけど」

「唐木さんは、一人暮らしでしたっけ」

「うん。そう聞いてる」


 俊夫が通う大学は首都圏からはやや離れている。

 やろうと思えば通えなくもないらしいが、片道三時間近くかかる距離。

 さすがに通うのはちょっと厳しい。

 なので、大学の近くで一人暮らしをするらしい。

 他にも地方に行くクラスメイトは何人かいて、別れを惜しんでいる者もいるようだ。


「佳織も一緒に行くかと思ったんだけどね」

「え? 佳織さんの大学は首都圏では?」

「うん。そうなんだけど、実は唐木君の引っ越し先からでも実家からでも、通学にかかる時間はそう変わらないんだって」

「あ、なるほど……って、同棲するってことですか!?」

「いや、結局なくなったみたい。かなり本気で考えたらしいけど。あの二人、それぞれに兄と姉がいるんんだけど、そっちは地方でホントにそうなってたらしいし」

「あ、そういえば……」


 二年前の初詣で偶然会ったのを思い出した。

 考えてみたら、あの二人はもう卒業したはずだが、今はどうしているのだろう。

 佳織に聞いてみようかと思って見回すが、見当たらない。

 さっき見た気がしたが、またどっかで熱唱しているのだろう。


「佳織がそれに続くかと思ったんだけどなぁ」

「大学に慣れてきたら、そうするんじゃないですか、あるいは」

「かもね。これに関しては姫様が一番先を行ってるねぇ」

「私のは……違いますから」

「分かってるけど……でも、我慢できそう?」

「何をですか、全く」


 そう言いながら――果たしてずっと今の様に行けるかは、白雪も自信はない。

 新しい生活に慣れるためと、和樹は時々家を空けてしまうので、今は余計なことを考えずに済んでいて、むしろ単に家が狭くなっただけという感じもある。

 正直過ごしやすさは格段に上だが。


「あ、あの、玖条さん」


 気付いたら、クラスメイトの男子が一人、白雪のそばに来ていた。

 雪奈を見ると、「あちゃー」という顔をしているので、目的は明らかだ。


「何か御用でしょうか?」

「その、玖条さんはまだ付き合ってる人はいないと聞いたから、それならその、俺とかどうかなって」


 実は、今日これで三人目だ。

 集合中に一人、店に着いた後の待ち時間に一人。

 むしろ、卒業式の時に一人だったのは、単にタイミングがなかっただけか。

 ただ、白雪の返事は決まっている。


「ごめんなさい」

「ダメ、ですか」

「あなたが悪いというわけではありません。ただ、そうですね……」


 こう何度も来られると、ちょっと面倒になってきた。

 遠巻きに見ている男子の様子から察するに、この様子だとあと五人くらいは、今日告白してくる気がする。


 彼らも必死なのだろう。

 卒業してしまえば、白雪とはほとんど会えなくなる。

 元クラスメイトという繋がりは残っていたとしても、こういうチャンスは今後はまずない。最後だからと、諦めきれずに告白してきたのだ。

 そして、今日告白してきた人も、卒業式で告白してきた人も、別に遊びではないこともわかる。

 ダメ元、という少しやけっぱちな部分はなくもないだろうが、少なくとも本気で白雪じぶんのことが好きなのだろう。


 だが、それは白雪も同じ。

 和樹のことが好きだ。

 できれば恋人になりたいと思っているが、それは現時点では無理な状況だ。

 ある意味では、一生切れない繋がりだけなら、もうできているかもしれないが、それは白雪が本当に欲しい繋がりではない。

 本当に欲しい繋がりは、まだ手に届かない場所にある。

 だが、今、手が届かないだけで――。


(そっか。私、また諦めかけていたんですね)


 あの絶望的な状況で、自分の未来のすべてを諦めた。

 それを助けてくれたのが和樹だ。

 その恩に報いるためにも、精いっぱい生きていこうと決めたはずだ。

 それは、このきもちにだって同じこと。


(これだって、諦められるものではないです。いいえ、絶対諦めたくはない)


 だとすれば――。

 もう、迷う必要はなかった。

 かつては結ばれるわけにはいかないからと思って諦めていたが――今は、違う。


 手に届かないなら、届くように努力すればいい。

 今の白雪には、それが許される。

 そして何より、それが白雪自身が最も望むことだ。


 言葉を一度切った白雪の次の言葉を、男子生徒が待っていた。

 繋ぎの言葉の選択を誤ったのか、男子生徒の顔が一瞬だけ希望を見出しているようにも見えるが――。


「私、今、とても好きな方がいるんです。私の片想いで、まだ全然振り向いてもらえてないのですけど、絶対に諦めたくない方が。だから今、その人以外のことを好きになることは、ありません」


 その瞬間、男子生徒は文字通り凍り付き、雪奈は口笛を吹こうとして、失敗していた。


「え、そ、それはいったい……あの、卒業式でいた人!?」

「それ以上は秘密にします。ですので、これ以上こういうお話をされても、私はお断りするだけです」


 白雪はそういうと、席を立ちあがった。入れ替わりに、先の男子生徒の周りに、他の――まだ今日白雪と話していない――男子が集まる。

 あれで、情報を共有してくれるといいのだけど、と思ってしまうが。


「姫様、言っちゃったねぇ。もう誤魔化す気はないんだね」

「そうですね……雪奈さんや佳織さんが言うように、絶対はないって、そう思うようにします。少なくとも今、私が和樹さんあのひとのことを好きなことを、誤魔化すつもりはありませんし、諦めるつもりもありません」


 あるいはこの先、和樹に白雪以外の恋人が出来たら、白雪の存在が邪魔になってしまうかもしれない。その可能性は、十分にある。

 そうなった時は仕方ない。その時は諦めるしかないだろう。

 だがそれまでは、まだ誰も彼の心をつかんでいない以上、誰にだってチャンスはあるはずだ。


 もう、和樹のことを諦めるつもりは、欠片もない。

 そう決めたとたん、なぜか心がとてもすっきりした気がした。


(ここから、なんですね)


 多分、ようやくスタートラインに立ったのだろう。

 自分の望む未来を、何の制約もなく目指すことができる、その、新しい一歩。


 同居しているという条件は圧倒的に有利なのかもしれないが、一方で、白雪は和樹に『恋愛対象にしない』と定義されているようなものだ。

 これを突き崩すのは、容易な事ではない。

 今の時点でただ好きだと伝えても、この枠組みを壊すことは出来ない。絶対にはぐらかされる。それは、確信に近い。


 ただ。

 その、大変さも含めて――これが恋なのだろう。

 ずいぶん遅れての青春という気はするが、未来に希望を見出せることが、今の白雪には本当に嬉しく思える。


「雪奈さん、折角ですし、歌いません?」

「お、いいねぇ。んじゃ……この辺とかどう?」

「いいですね。では、二人で」


 大部屋でもカラオケは使っていい。

 なので、白雪と雪奈は二人で、曲を設定して歌いだした。

 二人が選んだのは、定番のラブソングの一つ。


 昔は、このような場所で目立つ行為など、絶対にしなかった。

 それができるようになったのは、間違いなくこの高校での成果の一つだ。

 多分、この三年間で自分は大きく成長したと、白雪は思っている。

 それは、このクラスメイトと、何より雪奈と佳織、それに生徒会で関わった人たち。そして和樹のおかげだ。


 この先に絶対はない。

 やっと見えてきた未来へのスタートラインが、今目の前にある。


 願わくば――その先に、誰よりも愛しいと思う人が一緒にあってくれるように。

 そんな願いを込めて、白雪は歌っていた。



 ちなみに。

 その片隅で、一部の男子がお通夜状態だったのだが、それは白雪のあずかり知らぬことである。

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