第125話 卒業式

 壇上の白雪は全卒業生を前にして、一度大きく深呼吸する。

 それから、手に持った紙を開き、台の上に置いた。

 もっとも、内容のほとんどは覚えている。忘れそうになった時だけ見るくらいで十分だ。


「新たな高校生活への希望を抱いて、この聖華高校へと入学してから、早三年近い月日が流れました――」


 卒業式の式次第の、閉会の辞の一つ前。

 在校生の送辞に答える形での、卒業生代表による答辞。

 それを行うのは、もちろん元生徒会長である白雪だ。

 これ自体は、それこそ三年生になった時から決まっていたことでもある。


(でも、本当にこの言葉通りの気持ちでここに立っていられるとは、思いませんでしたね)


 答辞の内容それ自体は、ごく一般的な内容だとは思う。

 色々参考にして、先生とも相談して決めたもので、実は原案は去年のうちに出来ていた。

 これまでの三年間の、教職員を含めた高校への感謝と、在校生たちへの激励。そして、卒業して新たに旅立つ自分達へのエール。

 去年、征人が行ったものと、そう違うところはない。

 だが、白雪は絶対その内容には同意できる状況ではないと思っていた。


 その状況が、わずか半月でここまで変わるとは、予想できるはずもない。

 まさに奇跡が起きたとしか思えない。

 正月に願った、『和樹と今後も会えるように』という願いが本当に叶ってしまうとは、思いもしなかった。むしろそれ以上の形になっている。

 もっとも、それは文字通り『家族として』ということで、白雪が本当に望む形ではないかもしれないが、それでも今は十分すぎる。


 本当にこの高校に来てよかった。

 もしあのまま京都の学校に行っていたら、おそらく今の状態はないだろう。

 きっとあの『氷の白雪姫』のまま、何をなすべきかもわからず、ただ伯父に言われるままに結婚していたに違いない。

 抗う事すら思いつかなかっただろう。

 それはすべて、この聖華高校に入ることで手に入った可能性だ。


 だから――。

 白雪は心の底から、この高校と、ここで知り合えた全ての人たちに感謝をしたい。その気持ちを、ひたすらに乗せて言葉を紡いでいた。


「――最後に、聖華高校のさらなる発展を願って、私の答辞とさせていただきます。卒業生代表、三年A組、玖条白雪」


 最後にそう結ぶと、一歩下がり一礼する。

 心の底からの、全てに感謝を示すその所作に、体育館に集まる教職員、卒業生とその保護者ら、そして在校生の一部も、言葉を失ったようになり、一瞬、完全な静寂が訪れた。

 それから、ちらほらと拍手が起き、それがやがて体育館中を満たしていく。

 白雪はやや戸惑ったように壇上から降りた。

 確かリハーサルでは、ここで拍手がある予定はなかったはずだが。


 とにかく自分の席に戻ると、やっと拍手が止んだ。


「お疲れ様、姫様」


 すぐ横にいた雪奈が、小声で話しかけてきた。


「ここで拍手って話はなかった……はずですが」

「誰ともなくしちゃったんだと思うよ。私もちょっと、うるっと来た」

「そ、そうなんですか……?」


 確かに気持ちは乗せたと思うが、そこまでだったかは――自覚はない。

 ただ、そう思ってもらえたのなら、役割は全う出来たとは思えた。


 その後にすぐ閉会の辞となり、卒業式は終了する。

 そして順番に退場となり、卒業生は一度教室に戻った。

 卒業式に参列していた保護者達は、校庭で生徒たちが出てくるのを待つことになる。無論、親がいない白雪には、本来誰も来るはずはないのだが――。


「姫様、月下さん、来てたよね」

「ええ。なんとか都合つけて、来てくれました」

「嬉しい?」

「わかってることは聞かないでください」


 もう、雪奈には白雪の気持ちは知られてしまっている。

 だから、隠す意味はない。


 あの日、まだ諦めなくてもいいかもしれない、とは思えたが、かといってすぐに変わるとは思えない。

 ただそれでも、家族として和樹が大切な人である事実は、変わらない。

 だからとりあえず、今まで通りに接しようと決めている。

 同じ決意を、和樹への気持ちを自覚したときにもしたが、あの時とは違う。

 あの時は、卒業後、もう二度と会えないという覚悟をしたうえで、自分にとって良い思い出となる記憶をためるために、今までと何も変えずに振舞うと決めた。


 だがすでに、そんな必要はなくなっている。

 今までと変えないのも、あくまで暫定だ。

 まだ新しい生活に馴染めないうちに、無理をしたくないから変えないだけ。

 どうすべきかは、まだ決めかねている。


 雪奈は満足そうに頷くと、いったん自分の席に戻った。

 ほどなく担任教師が入ってきて、全員分の卒業証書が配られる。

 そして、担当からの最後の挨拶となった。


「……以上だ。みんなの担任で良かったと先生は思ってるし、今後もそう思い続けたい。だからこの先の人生、みんなそれぞれ頑張ってくれ!」


 生徒全員が『はい』と答える。無論、白雪もだ。

 いいクラスだったとは思う。時々、ちょっと面倒なこと――文化祭など――はあったとはいえ、クラスとしてのまとまりもよかったし、何より二年間同じだったのだ。仲間意識も、自然強くなる。


 あとはめいめい、解散となる。

 聖華高校は謝恩会をやる風習はないので、これで全て終わりだ。

 一部の生徒はそもそもまだ進路が確定しておらず、これから試験があるというも者もいる。そういう生徒は、すぐに帰宅すべく、さっさと教室を出て行っている。

 白雪も、一刻も早く和樹に会いたいと思って、雪奈、佳織と一緒にすぐに教室を出ようとしたのだが――。


「あ、玖条さん……!」


 誰かに呼び止められて、慌てて立ち止まる。

 振り返るが、誰が呼んだのか分からなかった。

 なんとなく、男子の何人かの視線は感じるが――。


「えと……なんでしょう?」


 すると、男子の一人が進み出てきた。

 テニス部の部長を務めていた生徒だとは記憶している。

 今年の文化祭実行委員も務め、いわゆる男子高校生らしい爽やかさがある人物だが――今は、呆れるほどの緊張で満ちている気がする。


「そ、その、これで最後だし、そのっ」

「はぁ」


 そう、気の抜けた返事をしてから、このパターンはかつてあったものだということを思い出した。

 今は和樹に会いに行くことだけ考えていたし、三年生になって、夏以降は受験もあってなくなっていたから、すっかり忘れていたのだが。


「俺と、今後付き合ってもらえないでしょうか!!」

「ごめんなさい」


 ほとんど間髪入れずに、白雪はそれだけ言うと頭を下げた。

 やってから、いくら何でも返事が早過ぎたか、と思うが、気を持たせるのも良くはない。

 少なくとも今の白雪には、かつてとは違ってはっきりと好きな人がいる。この先、気持ちにこたえてもらえるかはわからなくとも、今、和樹以外を好きになるつもりは全くない。

 だから絶対に承諾できない以上、それならばきっぱりと断る方がいいだろう。


「そ、そうか……」


 明らかに項垂うなだれる男子を見ると、悪いことをしたという気には――ならない。

 むしろ、わずかに煩わしいとすら思えてしまうその感覚は、かつてはなかったものだ。公言できないとはいえ、自分に好きな人がいるからだろうか。


「それでは、失礼します」


 もう一度会釈をすると、他にも誰かが声をかけようとしてる気配はあったが、白雪はそれを無視して雪奈、佳織らと校庭まで出た。

 すぐに雪奈の両親が現れ、それから佳織の両親――いつの間にか俊夫も一緒にいたのでおそらくそちらの両親――らが現れる。


(お父さんやお母さんがいたら――来てくれたのでしょうね)


 多分おめでとうと言ってくれて、抱き締めてくれただろう。

 それをしてもらっている雪奈と佳織が、少しだけ羨ましくはなるが――。


「白雪、卒業おめでとう」


 現れたのは、和樹だ。

 さすがに今回もスーツを着ている。今まで滅多に見なかった彼のスーツ姿を、ここ半月で二回も見ることになるとは思わなかったが。


「ありがとうございます、和樹さん」

「答辞もよかったぞ。思わず拍手してしまったくらいだ。あれ、多分だが予定になかっただろう?」

「はい。私もびっくりしました」

「それだけ良かったってことだろう。お疲れ様だ」


 白雪が近くに寄ると、和樹がぽんぽん、と頭を叩いてくれる。

 それがとても心地よい。


「この後の予定はあるのか?」

「今日はもう特にないですね。月末頃に、クラス全員の進路が決まったら集まろうって話はありますが」

「そうか。まだ受験終わってない人もいるんだよな」

「唐木さんも試験は終わってますが、発表はまだのようですし。自信はあると言ってましたが」

「そうか。受かってるといいな。……じゃ、帰るか」

「はい。……あ、和樹さん」

「ん?」


 白雪は、和樹の確認を取らず、和樹に抱き着いた。

 そのまま、背に回した腕に力を籠める。

 和樹は一瞬戸惑ったようだが、それでも白雪をやさしく受け止めてくれた。


「ずっと見守ってくれて、ありがとうございます。そしてこれからも、よろしくお願いします」

「ああ。これからもよろしくな、白雪」


 無論、この行為自体には、今周囲で他の人たちがやってるように、家族が抱擁を交わしているという以上の意味は、現時点ではない。

 ただ、それが傍目にはどう見えるかを白雪は十分に承知していたが、それでもこの時、その衝動は止められなかった。


 白雪が、卒業生はもちろん、後にその話を聞いた在校生の間にも少なからぬ衝撃が走ったということを知るのは、この少し後のことである。

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