閑話8 姉夫婦の見立て
自宅から歩いて十分ほどの距離にあるマンションのエントランスのパネルに、雪奈は目的の部屋の番号を入力し、呼出のボタンを押した。
ややあって、「いらっしゃーい。今開けるね」という声がして、エントランスの扉が開く。
雪奈は中に入ると、エレベーターに乗って六階まで上がった。
エレベーターを出て少し歩いたところにある六〇三号室が、目的地である。
エレベーターを降りると、すでに誠が扉を開けて待ってくれていた。
「いらっしゃい、雪奈ちゃん」
「お邪魔します、誠さん」
この家は、姉夫婦が結婚以来住んでいる賃貸マンションだ。
いずれは自分の家を、とは考えているらしい誠たちだが、さすがにまだそれは先の話として、今はこのマンションに住んでいる。
と言っても、このマンションも少人数ファミリータイプのマンションで、あの和樹の家とほとんど同じ間取りだ。つまり十分な広さがある。
「あ、これお土産です。あと、頼まれた買い物がこっちで」
「ありがとう。あとでお金渡すよ」
誠がそう言いながら荷物を受け取った。
あのカラオケの帰りに、雪奈は直接姉夫婦の家に来たのである。
電話したところ歓迎するとのことで、ついでに、と買い物も頼まれたのだが。
「夕飯食べてくでしょ? っていうかお母さんにはもう伝えてるけど」
「そのつもりだけどさ、違ったらどうするのよ」
「気にしない気にしない」
相変わらずの姉に、思わず笑いたくなる。
ベビーベッドを見てみると、姪の
「
「頑張ってね、新米ママさん」
「
誠はつい先日まで育児休暇を取得していたらしい。
今は復職をしているようだが、結構融通はきかせてもらっているという。
「で、どうだったの? 久しぶりに友達と会ってたんでしょ?」
「あ、うん。姫様も佳織も元気そうだった。それは良いんだけど……」
「なんかあったのかい?」
「うーん。文字通り『あった』みたい。ただ、もう終わってたけど」
誠と朱里が顔を見合わせる。
「佳織は……うん。まあ問題はないんだけど、姫様の方が、ちょっとびっくりするほど色々あったみたい」
「それって、一月に会った時に、白雪ちゃんが不安そうにしてた理由?」
「それも含めてっていうか……まあ一応、姫様に話してもいいって言われてるから、ざっと話すとね」
そう言って、雪奈はざっくりと白雪に受けた話を説明した。
もっとも、玖条家と白雪の間にあった問題がどういうものであったかは、詳しくは聞いていない。ただ、結婚させられそうになって、大学にも行けなくなりそうになったのを、和樹がなかったことにしてくれた、と聞いただけである。
むしろ重要なのは、今後、白雪が和樹の家に住むことだろう。
「うわぁ……それはなんていうか……和樹君も大胆な」
「そうか? あいつ、本気で家族引き取った、という認識な気がするぞ。それこそ妹さんが住むのと同じ感覚かも知れん」
「姫様もそう言ってた。自分は、少なくとも恋愛対象としては見られないって。だからお姉ちゃんたちにも、それで
続けて、白雪が話していた養子縁組の話もする。
それを聞いて、朱里が心底呆れたように大きなため息を吐いた。
「和樹君……ホントに昔っから女の子を近づけないからねぇ」
「昔からなの?」
すると朱里も誠も同時に頷く。
「前にも話したかもだが、和樹、大学時代は結構モテたんだ。俺が知ってるだけで、和樹のことが気になってたというか、好きだって思ってた女子なんて、先輩同輩後輩問わずで、片手の指くらいは思いつく」
「私は相談された件数だけで、片手の指どころか両手の指超えるわよ」
「うわ、そんなになんだ……」
「これに関しては、誠ちゃんには私がいたし、友哉君はある意味別格過ぎたってのもあるんだけどね。友哉君、かっこよすぎて自分ではつり合い取れないと思ってしり込みする人多かったし、実際モデルやってたしね。で、誠ちゃんや友哉君と一緒にいるから和樹君、自分は目立たないと思ってみたいだけど、目立つこの二人と一緒にいるから、和樹君のことも目に入って、いいと思った女の子は結構いたんだよ」
彼女持ちの誠と、別格過ぎる友哉のそばで目立たないと思っていた和樹。
だが、実際には彼も十分見目は整っている。気になるという女性がいても不思議はなかったということだろう。
「なんだけどな。とりあえず仲良くなろうって来ても、それすらなしのつぶてっていうか……マジで和樹、人との間に線を引くんだよ。正直に言えば、それは俺たちですら例外じゃない」
「そうなの!?」
それは驚いた。
少なくとも、姉夫婦とはかなり仲が良いと思っていたし、実際そう見えているが。
「他の連中よりはずっと仲がいいさ。だがあいつ、特に自分のこと……というか、なんか隠してるというか、俺たちに話してないことがある。それがなんだかは分からないんだが。ただ、それが和樹を、恐ろしく警戒心の強いやつにさせてると思う」
「話してないこと……?」
「
白雪が、色々な理由で今まで雪奈たちにすら自分の事情を話してこなかったように、和樹にも何かあるという事だろうか。
少なくとも、雪奈の目からは、和樹はむしろ社交的な、面倒見の良い男性だと見えるのだが。
「でもさ。雪奈じゃないけど、そう意味じゃ白雪ちゃんが一番望みはあると思うよ」
「望み?」
「多分だけど、彼の家族は別にすると、白雪ちゃんって和樹君に、現状一番近い人だと思う」
「お姉ちゃんたちより?」
「俺たちより、だな。八年も付き合ってて、水臭いとは思うが」
そういう誠は、しかし寂しさを感じさせる雰囲気はない。
「誠さん達は……その、残念じゃないの? 友達なのに、月下さんが隠してることがあるって」
「別に。友達だからって何もかも共有する必要なんざない。極論、夫婦だって家族だってそうだ。ただそれでも、あの二人は最も近い『家族』という枠組みを、赤の他人で作り上げるほどの近さだ。だからあるいは、和樹が抱えている何かを解きほぐせるとしたら、それは他人でありながら家族になってる、玖条さんだけじゃないかとは思う。実際、和樹にあそこまで近付いた他人を、俺は他に知らない」
「そういうもんか……」
「まあね。私だって、誠ちゃんに言ってないこと、あるし」
「え」
誠が意外そうな顔になる。
その顔が、彼に似つかわしくなくて逆に面白かった。
「あるよー。どっちかっていうと私の過去の失敗の数々」
「あ~」
納得してしまった。
まだ朱里が高校生くらいの頃、誠のことが好きだが、自分が全然成長しなくて悩んでいた時期に、彼の気を引こうと色々やらかしていたのを、雪奈は見ている。
というか当時小学生の、それも低学年だった雪奈に相談する当たり、相当切羽詰まっていたのだろう。
これを知ってるのは、確かに家族の特権だ。あの頃は、誠は朱里の近い場所にいても家族ではないのだ。
「え、ちょっと、なんか雪奈ちゃんが分かったような顔してるのは気になるんだけど!?」
「気にしない気にしない。誠ちゃん、大好きだよ♪」
「……誤魔化されてる気がする。ま、いいけどさ」
そう言うと誠は朱里を抱き寄せ――そのままキスをした。
が。
頼むからそういうのは
目の前でいちゃいちゃされる身にもなってほしい。
こんなのを見続けさせられていたから、誠への恋心など、雪奈は抱きようもなかったのである。憧れなかったとは言わない。だが、これに割って入るなど不可能だというのは、小学生の子供でも分かる。
「なんか雪奈ちゃんの目が怖い……」
「お姉ちゃんと誠さんは、もう少し周囲を気にした方がいいと思う。私はもう慣れたけどね……」
「そういえば、雪奈ちゃんは恋人とか、気になる男子とかいなかったのかい?」
いきなり誠が話を振ってきた。
が、動揺するということは――全くない。
「いないなぁ。っていうか、彼氏いないのは誠さん達のせいもあるんだけどね」
「え?」
「誠さんも友哉さんも、ホントにイケメンだよね」
「そりゃあ、私の旦那様だし」
「客観的に見ても、だよ。で、そんなかっこいい人がいつも近くにいたらさ、嫌でも目が肥えるわけよ。正直真面目に、学校の男子でかっこいいと思えたの、ほとんどいなかったもん」
別に外見で相手を選ぶつもりはあまりないが、それでも最初の印象は外見の影響が大きい。そしてその時点で、どうしても選別が行われ――結果、雪奈が付き合いたいと思えた男子は、今まで一人もいなかった。
なまじ背が比較的高い上に、すぐそばに白雪と佳織という二大美少女がいたこともあって、和樹ではないが雪奈はあまり注目を集めなかったというのもあるだろう。告白されたことは一度もない。
友人と言える男子生徒は何人もいたが、全員白雪姫狙いだったのは知っている。休日に会うような間柄には誰もならなかった。
お約束の、白雪狙いだったのがいつの間にか、的な流れは残念ながら全くなく、また、雪奈自身もそういう関係になりたいと思えた男子は一人もいなかったのだ。
あえて挙げるなら、白雪の前の生徒会長である西恩寺征人はとてもかっこいいとは思ったが、さすがに雲の上の存在過ぎて、憧れを抱く程度で終わっている。
「まあ、大学に入ればまた違うかな、とは期待はあるんだけど」
「うん、頑張れ雪奈。このままだと年取って、独り身なのに小学生になった愛那に『おばちゃん』って呼ばれた時『お姉さんって呼んでーっ』ということになるわよ」
「お姉ちゃん……なんかその、妙にリアリティのある未来図が嫌すぎる」
本当にそうなっていそうではあるが。
実際のところ、愛那が言葉をしゃべる頃ならともかく、親族という関係を理解してからだと、本当にそう呼ばれかねない。
だが愛那が十歳の時でも、自分はまだ二十八歳。その年齢で『おばちゃん』とは――呼ばれたくはない。
「さて、じゃあ食事の準備するか。今日は俺が当番だ」
「あ、手伝います、誠さん」
すやすや眠る姪を横目に見て、大きくなってもちゃんとお姉ちゃんと呼んでよね、などと思いつつ、雪奈は誠を手伝うために、席を立つのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます