第124話 合格祝いの打ち上げ

「それじゃ、私たちの――」

「大学合格を祝って――」

「「「かんぱーい」」」


 ガコン、とぶつけ合うのは、プラスチック製のコップ。

 ここはカラオケボックスの一室。

 そこに聖華高校の元生徒会のメンバーのうち、女性陣全員が揃っていた。

 要はいつもの三人というだけだが。


 白雪は、二人から連絡があった二日後に久しぶりに会うことになり、以前も来たことがあるカラオケに来ているのだ。ちなみに、冷蔵庫と洗濯機の移動は午前中に終わっている。

 白雪にとっては、二人とのんびり会うのは、十二月以来、二カ月ぶりだ。

 年明けに登校日はもちろんあったのだが、白雪はあの話があった直後で、ほとんど誰とも話さずに早々に帰宅してしまっている。

 その後も登校日はあったのだが、あの騒動もあって、ほとんど行っていなかった。


「お二人ともおめでとうございます。ずっと連絡取りたくても、集中乱してはと思って取れなくて……本当に良かったです」

「まあ、試験自体は今月の中旬には終わっていたんだけどね。っていうか合格発表までの間が一番キリキリしたよー。佳織は?」

「私もです。自信はあっても、世の中絶対ってないですしね」


 絶対はない。

 本当にその通りだ。

 一度は諦めた未来が、今白雪の目の前に広がっている。

 こんな光景は、『絶対に』ないと思っていたのに。


「姫様は先に決まってたから、そっちは心配してなかったけど……でも、なんか一月に悩みあったの?」

「え?」

「一月にお姉ちゃんの赤ちゃん見に来てくれた時に、少し様子がおかしかったって、お姉ちゃんも誠さんも心配してたんだよね」

「あ……」


 あの頃は、文字通り未来に絶望しかない時期だった。

 結婚を決められ、望む大学にも行けない可能性が高く、何をどうしたらいいのか悩んでいた時期。

 できるだけ顔には出さないようにしていたつもりだが、やはり誠たちには気付かれていたらしい。


「えっと……ちょっと色々あったんですが、今は大丈夫です」

「うん、だと思う。っていうか……むしろいいことあったの?」

「ですね。ちゃんとお話しするのは去年末以来ですが、なんか……姫様、年末に比べるとずっと顔色がいいです」

「私、そんなでした?」


 すると二人は同時に頷く。


「何だろ。年末が近付くにつれてどんどん気持ちが沈んでいるというかナイーブになっているというか、そんな感じだった。受験のプレッシャーかとも思ったんだけど」


 無論それもあっただろう。

 ただ、白雪にとってはむしろその後の、高校卒業に伴う変化の方が、遥かに不安になる要素だった。

 人には気付かれないようにしていたつもりだが、やはりこの二人には気付かれていたらしい。


「すみません。ご心配をおかけしてたようで。今は、大丈夫です」

「うん、それは分かる。けど、何があったか説明は欲しいなぁ、とは。ねえ、佳織」

「ですね。姫様、今までで一番素敵な顔になってますし」

「え、え?」


 思わず頬を抑える。

 そんなに顔に出ていたのだろうか。


「そ、それよりせっかくカラオケに来たのですから……」

「うん、カラオケボックスって内緒話にも最適なんだよね、これが」


 ニヤリ、と雪奈が笑う。

 確かに、カラオケの部屋は大声で歌うことを前提としてるので、隣の部屋の話し声はまず聞こえない。

 よって、他人に話を聞かれる心配は、ほとんどないのだ。


「無理に話さなくてもいいけど、姫様が大丈夫なら」


 白雪はしばらく黙ってしまった。

 よく考えてみたら、確かにこの二人には話すべきかもしれない。

 二人は和樹のことも知っているし、それに白雪の家のことも知っている。

 そしておそらく、自分が和樹に好意を抱いているのも、気付かれているのだろう。

 美幸や沙月に見抜かれて、この二人に気付かれていないというのは、普通に考えればあり得ない。


 さらに、もうすぐ和樹と一緒に住むことになるのだ。

 ただしそれは、世間一般である様な甘い話ではない。

 文字通り家族が一緒に住むであり、そこに恋愛感情はない。少なくとも、和樹からはない。

 だが、そこを二人や、あるいは朱里達に誤解され、和樹に迷惑がかかる事態は、避けなければならない。

 それには、ちゃんと説明する必要がある。

 雪奈に説明すれば朱里や誠にも伝えてもらえるだろう。


 白雪は大きく息を吐くと、二人に向き直った。


「わかりました。実際……ちゃんと話しておいた方がいいと思いますので、お話します。その、これまでのことも、これからのことも、です」


 二人が姿勢を正して、一様に頷く。


「最初に、一つ謝っておきます。私は……和樹さんが、好きです。これまでずっと、否定してきましたが」

「うん、それは今更。違うと言われた方が驚く」

「です。そんなのは前提です。俊夫だって気付いてましたよ」


 力がいきなり抜けた。

 言う時にわずかに緊張したのが、バカみたいだとすら思えるほどだ。

 分かっていたこととはいえ、こうもあっさり言われると、本当に全く隠せていなかったのだと痛感させられる。


「そ、そうですか……でも、そう簡単な話には、ならないんです」


 そう前置いてから、白雪は自分自身の事情も含めて、これからのことの説明を始めるのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「そんなわけで……今度から、和樹さんの家に居候することになってしまったのですが、本当に、少なくとも和樹さんにとっては家族が居候するようなもので、そこをからかったりは、絶対にしないでください」


 一通りの説明を終えて、最後に白雪はそれを強調した。

 話したのは、自分の生い立ちと、和樹と最初に家族の様な関係であったこと。

 今回、結婚させられそうになって央京大学にもいけそうになくなったこと。それを和樹が何とかしてくれたこと。そして、あの家を出ていくことになって、和樹と住むことになったことである。


「いや、ちょっと……ホントにごめんなさい、としか。姫様がそんな大変な状況だったのに、何も手伝えなかったことが悔しいというか……」

「雪奈さん達は受験で大変でしたでしょう。それに、高校生にどうにかできる状態ではなかったですし」

「でも、月下さんが何とかしちゃったんだ?」

「……はい」

「すごいね、ほんとに。お伽噺の王子様そのものじゃん」

「そう……かもですね」


 毒のリンゴによって死に陥っていた白雪姫を救う王子様。

 本当に、白雪にとっては和樹は、あのお伽噺の王子様に等しかった。


「でもさ。月下さんだって、姫様のことが好きじゃないってことはないと思うんだけど?」

「そうですね。家族としては好きでいてくれていると思ってます」

「いや、最初はそうかもしれないけど……」

「少なくとも、私を恋人にしたいと思ってくれてないことだけは、確実なんです。それだけは、間違いないんです」

「直接訊いたのですか? まさか、告白して断られたとか!?」

「い、いえ……それは、ないのですが」


 佳織の言うように告白してしまえばはっきりするだろうが、そうすれば今後同居するにあたって、微妙な空気になってしまう可能性が高い。

 白雪としてもそれは避けたいし、和樹だって歓迎しないだろう。


「じゃあなんでそこまで……」

「和樹さんに、今回の件で養子縁組するのもありか、と言われたんです」

「養子縁組?」

「はい。通常は、親のいない子が、まったく別の家の子供になる法的手続きです。それによって、法的には実の子と変わらない権利を獲得できるようになる制度です」

「それは……家族だからって提案して来たんじゃ? ちょっと姫様と月下さんでは、親子って無理があるけど」


 二人にも、最初は和樹を父親のように思っていた、とは説明していない。

 普通は思わないだろう。

 その無理がある状態を和樹に受け入れてもらったわけだが、今にして思えば、本当によく受け入れたと思う。もっともそれが、今となっては枷になってしまっているのだが。


 そして、そう思っていることと、本当に法的に親子になることの間には、決定的な違いがある。


「確かにその通りだと思います。でも、一度でも養子縁組した場合、法的な関係が親子になるので、絶対に結婚できなくなるんです」


 雪奈と佳織が顔を見合わせる。

 当たり前の話だが、法律上親子は結婚できない。

 それは養子であっても変わらない。


「でも、よく知らないけど、養子縁組って、解除できなかったっけ?」

「できますよ。でも、解除しても親子であった事実は残るんですよ」

「へ?」

「だから、養子縁組した場合、なんです」

「ああ……」


 そう。

 現在の法制度では、一度でも親子という関係が成立した場合、たとえその関係を解消したとしても、親子であったという『事実』は残る。

 そして親子が結婚できないようになっている法律の都合で、絶対に結婚できなくなるのだ。


 仮にその制限を知らなかったとしても、養子縁組している状態で結婚できないことくらいは、誰にだってわかる。

 つまりそれは、和樹がということを意味するのだ。


 それに、いくら家族の様に親しいとはいえ、本来赤の他人の白雪を引き取るというのは、普通は考えない。下心があれば別だが、和樹に関しては確実にないと断言できてしまう。

 つまり、和樹にとっては白雪は本当に『家族』なのだ。どちらかというと、彼は本気で『白雪を幸せに嫁に出す』という未来図すら見ているかもしれない。


 白雪のその考えを聞いた雪奈と佳織は、どう答えたものかと悩んでいるようだ。

 実際、これに関しては二人に何かできるとは思えないし、してもらおうとも思っていない。

 裏を返せば、いつか家を出て行っても家族であるという関係は残るので、白雪はそれでいいと思っている。正しくは、思うようにしている。

 初恋は実らないとよく言われるし、いつかいい思い出にできるかもしれない。

 そうできる自信は、全くないが――。


「でもさ、姫様。何もそこまで、杓子定規に考えなくてもいいと思うよ」

「杓子定規……ですか?」

「確かに養子縁組はそうかもしれない。あるいは、月下さんが姫様のことを、恋人としては、今は見ていないかもしれない」

「それは……確実ですし」

「でもさ。それ、未来でも絶対じゃないよね? 未来に絶対なんてないし。姫様、今の央京大に行けるようになる未来は、絶対にないって思ってたんでしょう?」

「う……」


 確かにその通りだ。

 絶対にないと思っていた未来が、今訪れている。


「だったら、月下さんと姫様がこの先も『絶対に恋人同士にならない』なんて、誰にも言えないよね?」

「それは……そうですが……」

「だったらさ、もう少し柔軟に考えようよ。少なくとも、姫様は月下さんにとっても大切な人になってると思う。だったら、あとは姫様次第じゃないかな?」

「ど、どうしろと……?」

「色仕掛け……は、姫様のキャラじゃないしなぁ」

「で、できるわけないでしょう!?」


 今の自分の顔が真っ赤になっている自覚があった。

 そもそもそんなことをしたら、和樹に怒られるのは間違いない。しかも思いっきり、親目線で。そんなことになったら、落ち込むどころでは済まない気がする。

 さらに言うなら、どう考えても色気不足なのも否めない。

 この三年、身長は少しだけ伸びたのに、下着のサイズは一度も変わらなかったというか、相対的には縮んだといってもいい。ここだけは、もう諦めるしかないと思っている。


「あとは……あ、もう胃袋は掴んでるんでしたっけ?」

「佳織さん……いや、それは……そういう話は、なくもないですが……」


 家庭教師を始めてからだと、二年あまり。

 確かにそういう側面は――なくもない。


「まあともかく、姫様が一方的に諦める必要は、ないんじゃないかな。ね、佳織」

「です。あと、姫様はもっと自分に自信を持ってください。『白雪姫』の名は伊達ではないのです。それに、月下さんだって、今まで姫様が高校生だから、という一種の心理的ブレーキもあったんじゃないかと思いますけど、姫様だって四月から大学生なんですから。そういうハードルは下がってくと思いますよ」


 すると雪奈が興味深そうに佳織を見た。


「おー、いうねぇ。なんか大人っぽい気が。さては、唐木君となんかあった?」

「あ、あるわけないでしょう!? 俊夫はまだ、結果出てないんですから」

「……あの。『まだ』ってことは、結果出たら何かあるんですか?」


 揚げ足取りのような白雪の指摘に、佳織の顔が一瞬で真っ赤になった。

 その変化は、ちょっと病気かと思うほどだ。


「うわ。これは……佳織、大人の階段昇るのは良いけど、節度は守ろうね」

「な、何を言ってやがりますかねぇ!? 雪奈ちゃんは!?」


 佳織が意味不明の叫びをあげながら、雪奈にとびかかっている。


(……二人は順調そう、なんでしょうね)


 まだ結果は出ていないという話だが、俊夫なら大丈夫だろうとも思う。


(私は――まだ諦めなくてもいいんでしょうか)


 現状、和樹が白雪を一人の女性として見ていないのは確実だ。

 彼にとって、白雪はあくまで『家族』であり『娘』である。


 ただ。


 確かに未来は確定していない。

 先の出来事に『絶対』はない。

 それは他ならぬ、白雪自身が体験したことでもある。


(どちらにしても、まだ時間は――ありますよね)


 一度大きく息を吐いた。

 今すぐに切り替えるのは無理だろうが、少なくとも今後、これまでと同じような、そしてより近くでの和樹との暮らしが始まるのだ。

 時間はたくさんある。

 大好きな人のそばに入れることの嬉しさが溢れてしまう気はするが、こと、自制心に関しては自信がある。


 未来はまだ確定していないのだから――あるいは。


 白雪はもう一度大きく息を吐くと、半ば取っ組み合いになっている二人を横目に、テーブルの上にある選曲用のタブレットを手に取り、手当たり次第に曲を入れた。

 一曲目は、前にカラオケに行った時に、佳織が熱唱していたアニメソング。

 そのイントロが流れ出した途端、佳織のテンションが切り替わる。


 白雪たちはその日、三時間もカラオケを楽しんでいた。

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