閑話7 征人の思惑

 立ち去る和樹を見送りつつ、征人はわずかに残ったコーヒーを飲み干してから、ゆっくりと喫茶店を出た。

 店の外に出て見まわしてみても、和樹の姿はもう見えない。


 征人はそのまま、目の前の運河の脇にある道に歩いていくと、それに近付いてくる人影があった。


「征人様」


 呼びかけられて足を止めそちらを向くと、征人と同世代と思われる女性が立っていた。

 セミロングの黒髪をハーフアップにした、どこか凛とした雰囲気のある女性だ。


亜理紗ありさ。玖条さんの居場所は、やはりわからないって?」

「はい。そのようです。京都ではなくおそらくこちらだろうとは思いますが」

「そうか。まあ、あとは彼に任せるとしよう。所詮私達には他人事だ」

「よろしいので?」

「うん。確かに私は玖条さんが気に入っていた。あれほどの女性はそうはいないからね。ま、でも、別に彼女でなければならないということはない。亜理紗、君だって十分魅力的だしね」

「ご、ご冗談を……」


 征人がクスクスと笑いつつ、そのまま運河沿いの歩道を歩く。

 亜理紗がそれに続いた。


「けど、スパイまがいのことまでさせて悪いね。卒業したら、学校の情報はほとんど手に入らないからさ」

「それほど大変だったわけではないです。ですが、そこまで玖条様のことを気にしてるのに……本当に征人様は分からないです」

「そうかな。会長として後を託した彼女の微妙な立場は、やはり私としても気になるよ。もっとも、ここまで事が性急に動くとは思わなかったけど」


 そう言うと、征人は運河沿いにあるベンチに腰掛ける。


「彼女は女性としても、もちろん一人の人間としてもとても魅力的だ。ただ、多分だけど、彼女をそこまで魅力的に見せてくれているのは、あの月下和樹という人物があってのことだと私は思っている。最初に副会長を打診した時の彼女と、今の彼女は、ほとんど別人と言っていいレベルだ。ま、正直に言うなら、あの間に入ろうものなら、文字通り馬に蹴られて、となりかねない」


 征人は心底楽しそうに言うと、亜理紗を見やる。


「実際、君の目から見てどうだった? 玖条は」


 月条がじょう亜理紗。

 去年、聖華高校の生徒会補佐委員を務めていた一人で、現在三年生。

 そして同時に、征人の家である、西恩寺家と繋がりのある、月条家の一人。

 元々は征人をサポートするために聖華高校に入学し、一年の時は文化祭実行委員の一人として征人をサポートしていた。


 その立場故に、征人の後を継いだ白雪を近くで見ることができたので、征人は亜理紗に頼んで、生徒会の状況を伝えてもらっていたのである。

 もっともそれは、途中からはほとんど必要としなかったが。

 それほどに、白雪の生徒会運営は、文句がないレベルでよく出来ていた。


 そしてそのまま、征人の卒業後も、学校や白雪の様子を時々伝えてもらっていたのである。

 無論、今回の調査については亜理紗が関わったことはあまりなく、それは別の者が動いていたが、亜理紗がその伝令役になっているのだ。


「私個人の感想を言うなら、確かに玖条会長は傑出していました。あの見た目に誰もが注目してしまいますが、会長としても、もちろん一高校生としても、あれほどの人はそういないでしょう。征人様の目は、確かだったと断言できます」

「うん、そうだね。それだけに……今回の話はいただけない」


 征人はそう言うと、少し厳しい表情になる。


「あの十色泰だけはない。亜理紗にとっては他人事ではないか」

「……はい」


 亜理紗の顔がわずかに歪んでいる。

 それを見て、征人は自分の発言の迂闊さを呪った。


「すまない、配慮に欠けたね」

「いえ。大丈夫です」


 そう言うと、すぐ亜理紗は元の表情に戻る。


 あの十色泰が毒牙にかけた女性の一人は、亜理紗の再従姉はとこだったのだ。

 月条家はそれなりの名家ではあるが、それゆえに十色家に言い含められれば、逆らうことが難しい力関係が働いてしまうという点では、一般家庭より立場が弱いともいえる。

 実際それで、幾ばくかの金銭と共に、彼女とその親は泣き寝入りせざるを得なかった。本人は今も、心的外傷後ストレス障害PTSDを抱えて苦しんでいるらしい。


「でもだからこそ、玖条会長が……いえ、あの聖華高校の白雪姫があの様な男の手にかかるのは、私も承服しかねますから」

「うん。まあでも、私たちができるのはここまでだ。あとは……彼女の居場所が分かったら連絡する、くらいだな。最終的には、貫之氏を説得できなければ、どうしようもない」


 あの月下和樹でも、玖条家という力の前では無力だ。

 ただそれでも、彼の存在が、白雪に力を与えるだろう。

 白雪が貫之に抗うだけの力を得ることができれば、それが今回の事態を覆す可能性になりえる。

 ただし、こうまでされても貫之に逆らわない白雪には、何か理由があるのだろうと思う。それを聞き出せるのは、おそらく和樹だけだ。


 もっとも、征人が一番分からないのはその貫之の行動である。

 彼自身は、ある意味あの十色泰の様な男は、最も嫌うタイプの人間のはずだ。

 少なくとも征人はそう聞いているし、実際他の評判を聞いてもそうだと判断できる。

 そんな貫之が、あんな男に、仮にも実の姪を嫁に出すというのは、正直考えられない。

 あるいはそこにも何か理由があるのかもしれないが、征人には皆目見当がつかなかった。


 和樹には意趣返しと言ったが、実際のところ、貫之の真意が分からないというのが、征人には一番気になっている。

 まるで、様にも見えてしまう。

 その理由が分かれば、また違う方法もあるかも知れないのだが。


(ま、私もまだ二十歳にもならない若造だしな)


 経験不足だけを理由にするつもりはないが、経験が足りていないのも事実だ。

 妖怪じみた者が多くいる西恩寺家やその周囲の中で、自分の価値を認めさせ、自らの立ち位置を確立していくには、やはりまだまだ力不足。

 好んでいたいと思う者はあまりいないだろうが、この先征人の戦場はそんな泥沼にも似た、足の引っ張り合いをする場所だ。

 ただ。


「やはり玖条さんは、には相応しくはない、かな」


 栄光も財も手に入る可能性のある泥沼だが、別に関わり合いにならずにそれらを手に入れる道もある。それに、それらに価値を置かない人にとっては、あの場所は醜い争いが繰り返される醜悪な場所だと映るだろう。


 そういう意味では、白雪はまだその片鱗を見せられているだけに過ぎない。

 関わり合いにならないで済むなら、彼女はその方がいいだろうし、それを望むだろう。

 何より、それが『白雪姫』らしいと、根拠もなくそう思ってしまう。


(私も彼女のファンなのだろうな、そういう意味では)


「征人様?」


 亜理紗が不思議そうな顔になっている。

 多分、自分は笑っていたのだろう。


「何でもない。さて、もうすぐお昼だし、折角こんなところまで来てるんだ。一緒に何か食べてから帰ろうか」

「いえ、私はそんな」

「いいからいいから。こっからは仕事抜きだ。さ、いこう、亜理紗」


 そう言うと征人は、亜理紗の手を強引にとって、繁華街へ向けて歩き始めた。

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