第121話 貫之の理由

白哉はくや……白雪の父親を、殺した?」


 言われたことの意味が分からなかった。

 今の言葉をそのまま解釈するなら、貫之が『あの女』と呼んだのは、白哉の妻であり、白雪の母親である雪恵のことだろう。

 だが、『殺した』とは穏やかではない。

 第一、白雪の両親は交通事故で死んだはずだ。


「そうだ。あの女と駆け落ちなどしたことが、結果として白哉を殺したのだ!」

「ま、待ってください。どういう理屈でそんな話に!?」

「白哉はとても優秀だった。将来は玖条家をさらに発展させるとして期待されていたし、私の補佐をすべく、子供のころから努力も怠らぬ、優秀な弟だった。ところが、高校卒業間近になって、突然一緒になりたい女性がいると言い出し、父に反対されると、駆け落ちをして行方をくらました」


 その話は知っている。

 他ならぬ白雪から聞いた話だ。


「その結果、白哉は生活に苦労することになった。挙句、事故で死んでしまった。もし白哉があの女にたぶらかされていなければ、今頃白哉は玖条家の優秀な一員として、今も生きていただろうし、より素晴らしい人生を歩んでいただろう」

「なっ……それは……」


 それは、絶対にないと言い切れる話ではない。

 突然現れた、名家の出身でもない普通の女性であった雪恵。

 彼女さえいなければ、白哉はその後も玖条家にいて、今頃別の誰かと結婚し、貫之と共に玖条家を支える一員になっていたという未来は、あり得ないとは言えない。

 玖条家側からみれば、確かに雪恵にたぶらかされたという見方もできるのだろう。


 だが。


 それが違う、というのは和樹も断言できる。

 玖条白哉と北上雪恵は、間違いなく心から愛しあって結ばれている。そして、その選択を悔いたことだけは、おそらく一度もない。なぜなら白哉にとっては、雪恵を選ぶことが、『最優先事項』だったからだ。


 確かに生活には苦労しただろう。大変だと思ったことは、一度や二度ではないかもしれない。

 ただそれでも、二人で共にあることを選んだ。そして二人の間に生まれた白雪をこの上なく愛し、幸せな家庭を築いていたはずだ。

 それは、白雪を見ていれば――亡き両親との絆を誰よりも大切に思っている彼女を見ていれば――分かる。


「玖条白哉さんが亡くなったのは、確かに不幸な事故だったでしょう。でもそれで、彼が不幸だったと決めつけるのはあまりに短絡的だ。一度でも、白雪から彼女の両親の話を、聞いたことがあるのですか」

「知らん! 聞く意味もない。白哉はもういないのだぞ。だというのに、あの忌まわしい女の娘だけが生き残った。その娘に、どうして愛情を傾けることができるというのか!!」

「白雪は、その白哉さんの娘でもあるんだぞ!!」


 和樹もいつの間にか感情が昂って、怒鳴りつけていた。


 おそらくこの伯父は、白雪を見るたびに喪失した白哉おとうとを思い出さされていたのだろう。

 そして同時に、弟を奪ったと思っている雪恵の面影もまた、見ていたのだ。

 白雪には、あの二人、どちらの面影もあるのだから。


 大切だった白哉おとうとと、それを奪った憎い女性との間に生まれた白雪に、貫之は愛情と憎悪、どちらも抱いていたのだろう。


 そして、その天秤が憎しみに傾いてしまった。

 何をどうやっても、白哉はもう死んで、帰ってこない。

 そして、雪恵ももういない。

 弟を失った悲しみを、そして失うきっかけになったと思っている雪恵に対する憎しみを向ける先が、白雪になってしまったのだろう。


 多分、大人気おとなげないとかそんなことは、十分承知しているに違いない。

 それでも、感情が納得してくれなかったのだ。

 その気持ちは――和樹も少しは分かる。

 もし今回、和樹が間に合わず、白雪が命を断っていたら――多分和樹は、その原因となった貫之を、絶対に許せなかっただろう。それはもう、理屈ではない。


 だが。

 白雪は同時に、白哉の忘れ形見でもある。

 その事は、貫之とて十分に承知しているに違いない。

 だから、和樹のぶつけた言葉に、貫之は何も言い返すことが出来ぬまま、和樹をにらみ返すだけだった。


「なぜ、それだけ大切だと思っていた弟の忘れ形見を、愛してあげられないんだ」


 多分本来、貫之は家族をとても大切にするタイプなのだろう。

 征人が評した通りだ。

 あるいはそれが、玖条家の人間の性質なのかもしれない。

 白雪と貫之は、全く似ているところがない様に思えるが、家族を大切にしようとする、という一点において、確かに同じ血を感じる気がする。


「……今更私は、あの娘に愛情を注ぐことなどできん。それをする資格もない」

「だからといって、彼女が不幸になるための道を押し付けて、しかも卑怯な虚言まで用いるのは、フェアではないでしょう」

「虚言、だと?」

「白雪に聞きました。彼女の両親を、分葬すると脅していたそうですね」


 貫之はそれに対して、何も返さなかった。

 それが、和樹の言葉を肯定している。


 一度埋葬した遺骨を、再び墓から出して別の場所に葬るには、手続きがいる。

 そして、それは基本的に、祭祀承継者と呼ばれる墓の管理人がその決定権を持つ。

 この祭祀承継者は墓を維持する役割を持ち、一般的には親族の誰か、墓を実際に運営する人間が請け負うのだが、白雪の両親の墓は永代供養の墓だった。つまり、祭祀承継者だからといって、費用的負担はない。


 そして、祭祀承継者は一般的には遺族が設定される。

 この場合、あの墓の祭祀承継者として設定されている可能性が高いのは、二人の娘である白雪と、あの墓を作ることに同意した、白哉の父でもある先代の玖条家当主だ。貫之が設定されている可能性は低い。

 そして、祭祀承継者の一人である白雪が拒否すれば、通常であれば遺骨を移動させることはできない。


 昨夜、友哉に確認したのは、このことである。

 無論、貫之一人が祭祀承継者になっている可能性もあったが、先ほどの話から、それはないと確信出来ていた。


「……知らんな。あの娘が勝手に勘違いしたことだ」


 卑怯な、とは思うが、今更だろう。

 ここに来るまでは、この事実が一番の切り札になると思っていたのだが――こういう話になるとは思ってもいなかった。

 そして、今なら――。


「白雪の結婚を取りやめてください。これ以上彼女を追い詰めないでほしい」


 貫之は沈黙している。

 だが、すぐに拒否することはなく、考え込む様に沈黙した。

 どのくらい時間が過ぎたか、和樹がもう一度何か言おうとした時に、貫之が顔を上げる。


「……よかろう。確かに強引に過ぎたようだ。親族を死に追いやるのは、さすがに本意とするところではない」

「では」

「十色家には取りやめを連絡する。それでいいのだな」

「ありがとうございます」

「礼を言われることではない。ただ、白雪の命を助けてくれたことには、礼を言おう。白雪を――我が玖条家の者を助けてくれたこと、感謝する」


 そういって、貫之は立ち上がると、執務机の方に行く。

 そして、なにやら机の上の機器を操作してから「山口、お客様がお帰りだ」と発言した。ほどなく部屋の扉からノックの音が響き、貫之が「入れ」というと、先ほどの執事が現れる。

 彼は先に貫之の元に行き、何事か指示を受けると、それに頷いた後に何事かを話して、それから和樹に向き直った。


「どうぞこちらへ」


 和樹はそれに頷いて立ち上がり、執務室を出た。

 扉を出て振り返ると、閉じられる前にもう一度一礼する。

 その時、貫之が何か言ったように見えたが、聞き取れなかった。

 それから、執事に続いて屋敷の中を歩く。


「これは、独り言でございますが」


 突然、執事が話し始めた。

 無論周りには、和樹以外誰もいない。


「旦那様は年齢としの離れた白哉様を、それは大変大事にされておりました。お二人の母君は、白哉様が生まれてすぐに病で亡くなってしまわれたので、白哉様のお世話は、無論乳母もおりましたが、それ以上に貫之様がいつも気にかけておりまして。それはもう、自分のお子の様に」


 実際、貫之と白哉の年齢差は二十歳。ほとんど親子の様な年齢差だろう。


「それだけに、白哉様がいなくなった時は、旦那様はたいそう落ち込んでおられました。ただ、その白哉様からは、その後も定期的にお手紙が届いておりました」


 その話は初めて知った。

 おそらく白雪も知らない話だろう。


「私も幾度か見せていただきましたが、とても楽しそうにされている様子が書かれておりました。時折、写真も。最初、雪恵様を恨んでいた旦那様も、白哉様が幸せであるのならと思うようになり、お二人の結婚をお認めになろうとしておりました。あの事故の報せが届いたのは、まさにその時だったのです」


 和樹は言葉を失った。

 そして同時に、あまりにも不幸なタイミングだったのだということも理解できた。


 二人を認めようとした矢先に、その二人が死んでしまった。

 それで、貫之は弟を失った悲しみを、白雪にぶつけることしかできなくなってしまったのだろう。

 それがどれだけ理不尽であるかを、承知の上で。


「此度の件も、旦那様自身、良いことだとは思ってらっしゃらなかったと思います。ですがあの方は、時として非常に頑固でもいらっしゃいますので」


 頑固なところも玖条家の特色か。

 白雪もあれで、相当に頑固というか強情なところがある。

 思えば、出会った最初からそうだった。


 貫之側にも、理由がなかったというわけではないという事だろう。

 だからと言って、自殺をしようとするまで追い詰めていいというものではない。

 だが少なくとも、今回は最悪の事態は避けられた。

 あるいはこの先、断絶してしまっている絆を取り戻す機会もあるかも知れない。


「失礼、独り言が長くなりました。年を取るとどうにもいけない」


 いつの間にか門に着いていた。


「それでは月下様。此度はありがとうございました」

「いえ。突然の面会に応じていただいたこと、そして白雪のために決断してくれたことに、改めて感謝しているとお伝えください」

「かしこまりました。では、お気をつけて」


 和樹は頷くと、門から出た。

 後ろで扉が閉じる音を聞いてから、改めて振り返る。


(多分……ほんの少しのすれ違い、だったんだろうな……)


 白哉と雪恵が会わなければ、確かにあの悲劇はなかっただろう。

 だがその結果生まれた白雪は、両親の愛情を一身に受けて育った。

 少なくとも、両親を失うまでは、彼女は自分を不幸だと思うことはなかっただろう。


 そして、その後。

 もし、貫之が白雪を姪として、家族として接してくれていれば、あるいは白雪の中に白哉の面影を見て、貫之の弟を失った悲しみを、白雪が癒していたかもしれない。

 そして白雪も、年が離れているとはいえ、貫之に父の面影を見ることもあったかもしれない。

 だが、すべてが悪い方向に転がってしまった。

 多分本当に、ほんの少しのすれ違いで。


「さて、とりあえず白雪に伝えておくか」


 電話をしようかと思ったが、白雪がいるのは病院だ。

 少しくらいは良いかもしれないが、やはりはばかられる。

 その時になってから、ふとスマホを見てみると、白雪からメッセージが届いていた。


『検査で問題がなければ、今日にも退院できるそうで、二時ごろには病院を出られそうです。伯父にも伝えて、今日は家に帰るつもりですので、夕方には家に着くかと思います』


 腕時計で時刻を見てみると、十二時前。

 ここから白雪のいる病院までは、歩いても三十分くらいだ。

 今から行けばちょうどいいだろう。


「よし、とりあえず行くか」


 そう言うと、和樹は白雪の入院している病院に向けて、歩を進めていった。

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