第120話 貫之との対面
翌朝。
和樹はいつもと違う環境だと、明るくなるだけですぐに目が覚める。
ただ、今は二月なので、朝はそれほど早くはないが、それでもわずかに外は白んできているので、おそらく陽が昇る直前だろう。
見えたのが全く見慣れない部屋だったので、ここがどこだったっけ、と一瞬だけ思考し、すぐに思い出す。
それから、頭を動かして、ベッドの方を見ると――白雪と目が合った。
「おはようございます、和樹さん」
「ああ、おはよう、白雪。もう起きていたのか」
「はい、少し前に」
表情を見ると、昨日よりずっといい。
というより、なぜか白雪がとても嬉しそうだ。
「どうした?」
「やっと和樹さんの寝顔を見れたので、なんか嬉しくて」
いきなりそう言われるとは思わず、どう反応したものかと戸惑ってしまう。
「見て面白いものではないだろうに」
「そんなことありません。これでやっと、一ポイント返せました」
いつから寝顔を見ることがポイント制になったんだと思うが、多分気にしても無駄だろう。
一度身体を伸ばしてから、ソファに座り直す。
それからベッドの横に行った。
「今日は……って、帰りますよね」
「そうだな……さすがに一度帰る必要がある。こんな格好ではなんだしな」
「?」
白雪が不思議そうな顔になった。
「今日、君に伯父に会ってくるよ」
「え?」
その言葉に、白雪が驚いて目を丸くしていた。
「な、なんで和樹さんが……?」
「『娘』にここまでされたら、『父親』としては一言くらい言いたくもなるさ」
「そ、それはその、私たちの間だけの話で、そんな」
「言い換えるなら、親しい人にここまでされて黙っていられるほど、俺もお人好しじゃない。それに……」
和樹は一度言葉を切る。
過剰に期待させるのは良くないとは思うから、今は話すべきではないだろう。
「大丈夫。別に殴り込みに行くわけじゃない。ちゃんと話し合いに行くし、話しておくべきこともあるんだ」
白雪の顔に疑問符がたくさん浮かんでいるようだ。
実際、和樹と貫之で話すことがあるとは、普通は思えないだろう。
ただ、昨夜から今日にかけていろいろ考えて、あの事以上に、和樹には一つ大きな疑問が生まれていた。
それを聞く必要があると、和樹は考えている。
「言ったろ、昨夜。任せてくれって」
「そ、それは……そうですが……」
和樹は白雪を安心させるように、頭に手を置いて撫でるように動かす。
白雪はそれが心地よいのか、少しだけ嬉しそうに眼を細めた。
「大丈夫だ。悪いようにはしない」
「はい……わかりました。和樹さんに、お任せします」
「任された。ああ、退院の目途が分かったら、連絡をくれ。それと、スマホの電源は入れておけよ」
和樹は最後にぽんぽん、と頭を軽く叩いた。
「家族なんだろ。遠慮はなしだ、白雪」
「はい……。和樹さん、ありがとうございます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、白雪のための食事が来たのに合わせて、和樹は病院を辞した。
それから、いったん家に戻る。
昨日から走り回ったのに風呂に入ってない――タオルで拭いたりはしたが――ので、まずは風呂をいれる。
その後に、帰りにコンビニに寄って買ってきたもので軽く朝食を済ませたころで、お湯張りが終わったので、風呂を済ませて身だしなみを整える。
それから、あまり出すことがないスーツを持ち出した。
さすがに、普段の服では失礼だろう。
白雪に言った通り、殴り込みに行くわけではない。
時刻を確認すると、現在は九時過ぎ。
少し早いが、遅れるよりはいいだろう。
和樹は必要最低限の荷物だけを持つと、家を出た。
玖条家別邸の前に到着したのは、十時五十分。
「昨日も見たが……すごいな」
敷地は一辺三十メートルから四十メートルはある。
単純計算で、三百坪から四百坪。これで別邸だというのだから、京都の本家はどれほどなのだろうと思う。
門構えも非常に立派で、大きな木板に描かれた『玖条』という表札の存在感はすごい。大きな門の横に小さな通用門があるが、サイズ感が違うだけで、その通用門でも普通の家の門と同じくらいである。
「さて、行くか」
一度深呼吸をしてから、通用門脇のインターホンを鳴らす。
『はい』
「月下和樹です。玖条貫之殿とお会いする約束があってきました」
『伺っております。しばらくお待ちください』
昨日はあっさり門前払いを食らったが、さすがに今日はすんなりと話が通る。
五秒ほどで扉が開いた。
現れたのは、制服を着た四十歳くらいの男性。おそらく警備員だろう。
少し不思議そうに見られたのは、気のせいかどうか。
男性が道を開けてくれたので、中に入る。
そして顔を上げて、思わず声を出すのを、かろうじて堪えた。
おそらく入口から客が入って見える光景を、計算し尽くされているのだろう。
いかにも和風な建築の美しさがありながら、どこか壮麗さすら感じさせる。
木々の配置からその枝ぶりすら、計算されていると思われた。
「こちらでお待ちください。迎えが来ますので」
警備員はそう言うと詰め所に下がっていくが、警戒するような視線を外すことはない。
全くの部外者だから仕方ないだろう。
その視線に気づかぬ振りをしてたたずんでいると、一分ほどで別の人物が現れた。
「月下和樹様ですね」
その声には覚えがある。
昨日、電話で応対してくれた人物だろう。
いかにも執事然とした風体で、年齢は六十歳を少し超えたくらいだろうか。
「はい。突然の申し出にお時間を作っていただき、ありがとうございます」
「玖条家の執事、山口と申します。どうぞこちらへ。旦那様がお待ちです」
そういうと、先に立って歩き出す。
和樹はそのまま執事に続いて歩いて行った。
いかにもな日本家屋の玄関に入ると、その調度品に軽く驚く。
廊下も広く、掃除が行き届いているのがよくわかる。
そのまま、廊下を進んで階段を上がると、いきなり景色が一変して驚いた。
(二階は……洋風なのか)
ここからは上履きを履いていくらしい。
毛足の長い絨毯が廊下にまで敷き詰められていて、踏んでいいものかと悩みそうになるほどだ。避けていくわけにはいかないが。
そのまま奥へ進むと、一際大きな扉の前で立ち止まる。
そこで執事は、ノッカーを叩いた。
「旦那様。月下様がいらっしゃいました」
「入ってもらえ」
すると執事は扉を開いて、和樹に中に入るように勧める。
一度頷くと、和樹は部屋に入っていった。
完全に部屋に入ると、後ろで扉が閉まった音が聞こえる。
(彼が、玖条貫之……玖条家の現当主か)
部屋の調度品などは素晴らしいものが多いとは思ったが、そんなものを見ている余裕はない。
貫之は、大きなデスクに座っていて、こちらを正面から見ていた。
年齢は五十七歳というから、和樹からすれば父親の様な年齢である。
確かに、父親と似た雰囲気があるが、父よりも精悍な印象だ。
親しみやすさというものをまるで感じないが、今の状況では仕方ないだろう。
ビシッと着込んだスーツは、和樹の纏うそれとは違う高級感があるが、それが恐ろしいほどに似合ってると思わされる。
「月下和樹です。お時間を取っていただき、ありがとうございます」
「玖条貫之だ。まあ、かけたまえ」
そういうと、貫之は立ち上がってソファに向かう。
こういう場合にどこに座るべきか一瞬悩んだが、貫之が先に移動してくれたので、その対面に和樹は移動した。
それを待っていたかのようにメイドが部屋に入ってきて、お茶を置いて去っていく。その、あまりにも鮮やかな所作に、和樹は少しだけ茫然としてしまうが、すぐ貫之に向き直った。
そして和樹が何か言う前に、貫之が言葉を発してきた。
「まず、一応礼を言っておこう。かつて、白雪を悪漢から守ってくれたことがあったようだからな」
「悪漢……?」
「
その名前で思い出した。
聖華高校の文化祭に行った時に、白雪に襲い掛かろうとしていた男のことだろう。
あの顛末は白雪から『和樹さんに何か行くことは全くないのでご安心下さい』と言われていたし、もう一年以上も前のことなので、すっかり忘れていた。
「いえ。彼女を守ろうとして、やりすぎたかと思ってましたので、大事にならずよかったと思ってます」
「白雪と君は、どういう関係なのだ?」
「純粋に言うなら、同じマンションに住んでいる、というだけです。ただ、彼女に請われて家庭教師をしていたので、それで親しく交流はしていますが」
「ふむ……で。そのただの赤の他人が、白雪のことで何の用だ?」
赤の他人。
そう言われても仕方ないだろう。
さすがに、彼女が親の様に慕っていることを言うことはできないし、言うつもりもない。
だが、かといってそれで引き下がるつもりはない。
「なぜ、彼女が不幸になると分かっている婚姻を、進めようというのですか」
すると貫之は、あからさまに不機嫌そうな顔になった。
とはいえその反応は予想の範囲内なので、和樹がそれに気圧されることはない。
「それが君に何の関係があるのかね?」
「無関係ではありません。少なくとも、友人と言える人が不幸になるとわかっているのを放置できるほど、私は冷淡ではないつもりです」
「それを判断するのは、君ではないだろう。なぜ不幸になると言い切れる。どうやら事情を聞いているようだが、相手は日本でも有数の名家であり資産家だ。その家に嫁ぐことが、その後の人生をより良いものにするということは明らかだろう」
確かに、金銭的なことだけ考えるなら、その通りだろう。
お金がなければ幸せになれないとまで言うつもりはなくても、お金があれば助かる場面は多い。
だが、お金がなくても幸せはつかめる。
それは、白雪の両親がそれを証明してくれている。
白雪から聞いた過去の話から、彼女の両親が幸せだったのは、間違いない。
「ですが、それを判断するのは本人であるべきです。そして――彼女は少なくとも、その結婚を喜んではいない」
「なぜ、そう言い切れる」
「昨夜、何があったかはご存じですか?」
突然問われて、貫之は少し首を傾げた。
「昨日、倒れて病院に行ったことか? 単なる失神だったと聞いているが」
そんなことを問いに来たのか、とでもいうように、貫之はお茶のカップを手に取った。
実際、おそらくこの屋敷で倒れたのだから、それは知っていて当然だろう。
だが。
「違います。その後です。彼女は病院で……自ら命を断とうとしました」
貫之の動きが止まり、表情が固まる。
さすがにこれは聞いていなかっただろう。
白雪が必死に頼んで、病院内だけで話を収めてもらったからだ。
「無事、なのか?」
「かろうじて未遂でした。ぎりぎりでしたが。今はたぶん、大丈夫でしょう」
さすがにこの話には衝撃を受けたのか、貫之は言葉を失っていた。
その時になって、和樹の手首の新しい包帯に気付いたようだ。
お茶を飲もうとしたカップを受け皿に戻すが、カチャカチャ、とわずかに音が響いてしまう。
「もう一度聞きます。なぜ、そんな無体を、彼女に強いるのですか」
「勝手な想像で言うな。それが無体かどうかを決めるのは――」
「自ら死を選ぶほどに追い詰めておいて、まだそれを言いますか!」
思わず語気が強くなってしまったが、実際、和樹としてはこれが今回、一番許し難いことだ。
何をどう言ったところで、そこまで白雪を追い詰めたのは間違いなく貫之の決定だ。それは彼自身にも分かっているのだろう。
さらに言うなら、おそらく貫之は白雪が追い詰められることはある程度理解している、と思えた。
親族としての情がないというのではない。
家のために最適な道を選んでいるというわけでもない。
おそらく貫之は、白雪を嫌っている。
もっと言うなら、白雪に対して憎しみがある様にすら思える。
だが、その理由が分からない。
彼にとっては、白雪は亡き弟の唯一の忘れ形見のはずだ。
いきなり語気を強められたことに、貫之は一瞬気圧されたらしく、言葉を返してこない。
追い詰めるようなことはしていても、そこまで追い詰めたというのは、彼にとっても予想外だったのだろう。
「なぜ、彼女を――白雪を憎むのですか」
なおも言葉を発さない貫之に、一か八かで和樹はさらに聞いた。
これで見当違いだったら大失敗だろうが――そう問われた貫之の表情の変化は、劇的だった。
それは心底悔しそうで、そして心の底からの怒りを必死に堪えるようでもあり――これほどの立場の人間が、このような表情をするとは思ってなかった和樹は、一瞬言葉を失う。
「あの女の娘だからだ」
「え?」
「あの、
思わず和樹は身体を引いてしまった。
まさかそれほどに貫之が激昂するとは、思いもしなかったのだ。
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