第118話 奔走する和樹
「結局、一日探し回っても成果なしか……」
和樹は、少しだけ冷めたコーヒーをすすると、ため息を吐いた。
征人から教えてもらった情報を駆使して、和樹は東京周辺を歩き回っていた。
直接貫之に接触することも試みた――征人の資料に電話番号が記載されていた――が、それは当然拒否された。
これに関しては当たり前といえば当たり前だが、かといって諦めるわけにはいかない。
時々、自分は何をしてるのか、という疑問が頭にはもたげる。
いくら家族の様な存在とはいえ、和樹と白雪は同じマンションに住む、元家庭教師とその教え子という以上の関係では、ない。
あえて定義するなら、友人以上ではありえない。
だが、それはあくまで表向きの関係でしかない。
和樹にとっては白雪は、年下の大切な、妹の様な存在だ。
赤の他人であることは重々承知していても、だからといって彼女が不幸になると分かっている――今の和樹はそれに確信が持てる――状況に陥っているのであれば、それを助けない理由は、和樹にはない。
だが、その方法が全く分からない。
だからただ、白雪を探して歩く以外の手を思いつけなかった。
少なくとも、白雪と話すことができれば、突破口が開けると思えているのは確かだ。
手掛かりは征人がくれた情報のみ。
玖条家関連の施設は、いずれも皇居近辺に固まっている。
こちら側の住まいである別邸、関連会社の事務所などが主だ。
十色家はそもそもこちらにはあまり施設がないらしい。
関連会社の事務所が二つほどあるだけで、あとは存在しない。
首都圏に来るときはホテルでも使うのだろうが、もしホテルにいるなら探しようがない。
そうではない可能性にかけて、とりあえず各施設を一通り見て回ることにした。
場所が集中してる上に入り組んだ道になってることもあるので、車やタクシーを使うより、歩いた方が早い――と考えたが、途中から和樹はレンタルサイクルを利用することにした。
皇居周辺をサイクリングする人のためのレンタサイクルは、多いのである。
しかし、当然だが白雪がいるかどうか尋ねてまわっても――実際やったが――不審者扱いされるだけだ。
おそらく最もいる可能性が高いと思われる、玖条家の別邸とされる建物の近くをとりあえずうろついてみたが、本当に何もできない自分が歯がゆくなってくる。
いっそ不法侵入をやるかとすら考えるが、ちょっと見るだけで、監視カメラ等のセキュリティは万全なのが分かる。
入ろうとした瞬間、あっという間に通報されて警察に捕まるだけだろう。事情を話したところで、理解してもらえるはずもない。
そもそも、その周辺をうろついているだけでも、下手をすると警察に職務質問される可能性が高いだろう。
結局色々考えた結果、少し離れたところの商業施設に入っている喫茶店に入ることにした。
ここからなら、当該の玖条家別邸の正門と、その内側が少し見えるからだ。
「といっても……何してるんだろうな、俺は」
ここだっていつまでもいるわけにはいかない。
閉店時間になれば退去せざるを得ないだろう。
その後はどうするか。
今日は幾度となく白雪に電話をかけているが、やはり出ることはない。
おそらく電源が落とされているようで、すぐ留守電に繋がってしまう。
ずっとそうなってる時点で、おそらく普通の状態ではない。
白雪と連絡を取って、どうするつもりなのかすら、実は分かっていない。
というか、考えられていない。
ただ、白雪を助けたい、という気持ちだけが先走っている気はするが――。
「ん? なんだ?」
ずっと見ていた玖条家別邸の前に、大きな車が停車した。
大きめのミニバンだ。いかにもな黒い色に見えるそれがしばらく門の前にいた後、ややあって門が開いて中に入っていく。
時刻を見てみると、十八時近く。
いくら目がいい和樹でも、さすがに三十メートルほど離れてる上に、もう外は暗いため、良くは見えない。
「あれに白雪が……いや、その可能性は低そうか」
他に何か打てる手はないかと考える。
客観的に見れば、今の自分の状態は白雪に付きまとうストーカーめいてるとすら思えてくるが、そういうところで冷静になるのは、後にすることにした。
とにかく、何とか白雪に会って、ちゃんと話すべきだ。
すべてはそれから――と思ったところで、今度は予想外の光景が見えた。
「救急車!?」
しかもサイレンを鳴らしているそれが、玖条家別邸の前を通り過ぎる――と思ったら、なんと別邸に入っていった。
そして五分ほどすると救急車は出てきて、そのままサイレンを鳴らして走り去る。
「誰か急患が出た……いや、まさか」
普通に考えれば、今の状況が白雪に相当な負荷をかけているのは間違いないだろう。もしそれで無理が出て倒れたとしたら――ありえなくはない。
というよりは、むしろその推測にすがるしかない。
少なくとも、玖条家別邸の『誰か』が病院に担ぎ込まれる事態になったのは確かで、内側の事情を聴くことができる可能性が、わずかでもあるかも知れないのだ。
和樹は素早くスマホの地図アプリを立ち上げ、周辺地図を調べた。
もう通常の診療は時間外。
そうなれば、救急病院に行くはずだ。
この辺りで救急の受付をしている病院は――四カ所。
やや広域に広がってはいるが、これすべてを周ればいい。
そのどれかに、白雪か、事情を知る誰かがいる可能性がある。
仮定に仮定を重ねただけのことだが、この推測が正しいという気がしていた。そしてこういう時の自分の勘を、和樹は信じたくなくても信じられてしまう。
まともに考えれば、部外者の和樹が面会できる可能性などほとんどないが、それでも和樹はそうしなければならないと感じていた。
そしてさらに、何かとてつもなく嫌な予感も、和樹は感じていたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃあ、あなたが月下和樹さん?」
三件目の病院の時間外受付で、玖条白雪という人が入院していないか、と聞いたら、いきなり名前を尋ねられた。
そこで名前を名乗って、念のため何か証明するものを、と言われて免許証を見せたところ、なんとあっさりと入れてくれたのだ。
「彼女が一人だけ、月下和樹という人が来た場合だけは、通していいって言ってたのよ。なんか事情がある感じで。まさか本当に来るとは思わなかったけど」
看護師が和樹を案内しながら説明してくれる。
白雪は六時半ごろに倒れて担ぎ込まれたが、意識は少し前に戻ったらしく、怪我もなく、今のところ身体に異常はないという。
それならばとりあえず大丈夫なのだろう。
少し安心したところで――エレベーターが白雪の病室があるという五階に着いた瞬間、和樹は強烈な悪寒に襲われた。
これは、初めて白雪と出会った時の感覚と同じだ。
そしてこの感覚は、外れたことがない。
「看護師さん!! 白雪の部屋は!?」
「なに、どうしたの。病院内では静かにしてください。その廊下の右手一番奥ですが……」
看護師の言葉を最後まで聞かず、和樹は走り出した。看護師が慌てて後を追う。
半瞬、扉の前で立ち止まり、入室している人の名前が書かれたパネルを見ると、確かに『玖条白雪』と書かれていた。
それを確認した和樹は即座に扉を開く。
扉を開けた途端、看護師が驚いて立ち止まる。
無理もない。
暖房が効いているはずの部屋から流れ出てきたのは、冷たい冷気。
見えたのは――。
「白雪!!」
和樹は文字通り弾かれたように部屋に飛び込んだ。
そのまま、ベッドを飛び越えて、開け放たれたベランダへの扉を駆け抜けると――今まさに、その柵を乗り越えようとしていた白雪の手を掴み、強引に手前に引き寄せた。
「きゃ!?」
「痛っ!!」
白雪の全体重が腕に乗っかってくる。
手首が変な風に曲がった気がしたが、それに構わず、白雪が頭を打たないように強く強く抱きしめ、ベランダに倒れ込む。
そのまま、どのくらいの時が経ったか。
多分それ自体は、十秒程度なのだろうが、それでも和樹にとっては、とても長く感じた。
ただ、その腕の中に、まだ温もりがあるのを感じて、和樹は心底安堵し――。
「何を、してるんだ、白雪」
「え……か、かずき、さ、ん……?」
白雪はまだ状況が分かってないのか、茫然とした様子だ。
和樹が後ろから抱きかかえる格好になってるので、顔が見えないというのもあるだろう。
和樹が少しだけ力を緩めると、白雪はようやくベランダの床に膝をついて振り返り――驚いて目を見開いていた。
「な、なんで和樹さんが……ここに……? あ……え……?」
ポロポロと、白雪の瞳から涙があふれる。
あの、白雪が初めて和樹に、父のようだと思っていると告白したあの時と同じ、しかしそれ以上にとめどなく溢れる涙に、和樹は怒ろうと思ってたのを忘れ、白雪を抱き寄せた。
「大丈夫だ、白雪。俺はここにいるから」
「あ……う……、あ、あ、あ……」
嗚咽が漏れる。
そして直後、まるで堰を切ったように、白雪は泣き崩れ、和樹にしがみついた。
そしてそのまま、強く強く抱き着いて、ただひたすらに泣き続けていた。
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