第114話 最後の抵抗
本来は、豪奢な雰囲気があるはずのその家は、今の白雪にとっては文字通りの意味で魔王の城に等しかった。
いわゆるラストダンジョンか。
そう考えてから、このようなゲーム的発想ができるようになっている自分に少し驚く。
(以前では思いつきもしなかった発想でしょうね)
高校三年間で、多分自分はとても大きく変わっている。
そのきっかけになったのは、間違いなく和樹だ。
この先の人生が閉ざされることは、覚悟した。
高校で得た友人も、そして誰よりも愛しいと思う人とも会えなくなる。その未来を受け入れる覚悟はできている。
しかし、彼らに出会ったことで手に入れた未来を手放すことは――やはりしたくない。自分自身だけの、そして自分自身で選んだ未来までは、捨てたくはない。
(ここから先は――私一人で何とかするしか、ない)
玖条家の問題には、和樹であろうと立ち入ることは不可能だ。
ただ、ここ最近和樹はずっと心配してくれていたし、何かに気付いている可能性もある。
あの人はそういうところ勘が、とてもいい。
そして、『家族のために』なら、彼は無茶をしかねない。
だから、白雪はスマホの電源を落とした。これで、彼を巻き込むことはない。
(これは、私自身の戦いなのだから)
玖条家の事情に、和樹を巻き込むことは絶対にできない。
その決意と共に、白雪は玖条家の邸宅へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二月十四日。
今日が白雪の十八歳の誕生日でもある。
つまり、現在の法制度では正式に『成人』と認められる年齢となる。
そしてそれは、婚姻が許される年齢であることも示していた。
そしてその日に、白雪は貫之に呼び出され、玖条家別邸に来ていたのである。
「来たか、白雪」
執事に案内されて入った執務室にいたのは、当然だが貫之だ。
貫之の横には、ここまで案内してきた執事が控えている。
いつの間に移動したのだろうと少し感心してしまうが。
ただ――白雪の心は冷え切っていた。
(多分、和樹さんに会う前の私みたいでしょうね)
鏡はないが、多分そうだろうと自覚できる。
かつて『氷の白雪姫』などと呼ばれていた中学時代。
正直、あの頃は自分の顔が嫌いだった。
客観的に見ても美しいとされる容貌だったが、その目は冷え切っていて、何もかも、全てを諦めていたのが、かつての白雪だ。
名前の通りに、雪の冷たさを感じさせる目は、その美貌だけに惹かれて告白してきた者を、容赦なく切り裂くことでも知られていたのだ。
それでもめげずに友人であろうとしてくれたのが、雪奈や佳織。
そして、白雪の心の氷が解けるきっかけになったのは、間違いなく和樹だ。
あの時の出会いは、今考えても色々な意味で奇跡だったと思う。
すべてを諦めていて、世の中の全てに絶望していた白雪にとって、高校生活の、和樹に出会ってからの二年あまりの日々は、白雪にとってもはやかけがえのない、文字通り光にあふれた大切な思い出だ。
両親が生きていてくれていたとしても、これほどに楽しい日々を送れたのか、分からないほどだと思える。
(今更ですけど、もしお父さんもお母さんも生きていて、それでも和樹さんに出会えていたら……どうなっていたんでしょうね)
多分そうであれば、白雪はもっと素直に彼に好意を向けることができた。
自分の心に気付くのも、ずっと早かっただろう。
ただ、最初のきっかけである、彼を父に被せてしまうことがないはずだが――そんなこと関係なしに、彼を好きになっていただろうということを、白雪は疑っていなかった。
年の離れた恋人を連れて行った時、果たして父がどんな顔をしただろうかと一瞬想像してみるが――当然だが、全く分からない。
もう、両親の顔も、写真で見るもの以外はほとんど思い出せなくなっているのだ。
それだけの月日が――もう経ってしまった。
あの時、両親を失ってすべてを諦めた時から十年あまり。
――今再び、全てを諦めなければならない状況なりつつあった。
高校三年間で得られた関係を全て捨てる。
これは最初から、高校に進学する時にすでに、覚悟していたことだ。
ただ、今更だが、それに耐えられるかどうかは、今の白雪にはもう分からない。
高校進学時には絶対にできるという確信があったが、あるいは――やはり自分は弱くなったのかもしれないと思う。
ただそれでも。
高校三年間で、何も成せなかったというのは、自分でも許せない。
その成果でもある、央京大学への進学は、何とか認められたい。
もう学費も振り込んでしまったのは、ある意味では確信犯的な行為である。
「御用と伺ってきましたが、なんでしょうか?」
「そこに記名しろ」
白雪の問いに対して、威圧的とも思える貫之の声が響く。
見ると、応接用のローテーブルの上に、紙が一枚置いてあった。
その横には、ペン立てに刺さったペンがある。
「これは……えっ!?」
そこにあったのは、誤解しようがないものだった。
その、いかにも役所への提出文書だとすぐわかるそれには、一番上に『婚姻届』と書いてある。
夫の名は『十色泰』とあり、妻の名が空欄。
保証人には『玖条貫之』と、もう一人は『玖条和佳奈』とある。これは、確か貫之の妻の名だ。
届け出日は――まだ空欄だ。
結婚後の住所は、やはり京都。
日付が空欄なのは、白雪が今日、いつ来るかは連絡していなかったからか。ただ、確か婚姻届だけは、いつでも受理されると聞いたことはあるから、おそらく白雪が記名したらすぐに提出するつもりなのだろう。
ただ、京都で出すつもりだとすれば、日をまたぐ可能性も考慮したのか。
必要な書式は揃っているらしい。
だが、まだこれに署名するわけにはいかない。
少なくとも、央京大学に進学することだけは、譲りたくはない。
「ここに名前を書くには条件があります。私の央京大学への進学を認めてください」
「それは前にも言った。夫婦の問題となるだけだ。ならば、泰殿と話し合って決めればいい」
「それを認めてもらうのが、私がこれに署名する条件です」
すると貫之は呆れたように、大きく息を吐いた。
「手間をかけさせる……山口」
貫之がそう言うと、横に控えていた執事が彼に近付いた。
「確か泰殿はこっちに向かっているんだったな?」
「はい。一時間半前には新幹線に乗ったと聞いております」
「となると電話で、というわけにもいかんか……仕方ない。白雪」
貫之が白雪に向き直る。
「おそらく、あと一時間程度で泰殿がこちらに着く。そこで話し合え。だが言っておくが、最終的には、私はお前の進路など知ったことではない。だが、お前が玖条家の役に立たぬというのなら、私はお前を保護する理由すら、今日時点でなくなっていることを忘れるな」
今日で白雪は成人だ。
それはつまり、保護者としての義務が必ずしも適用されないことを意味する。
白雪自身が、自分の意思で貫之の保護を拒否するのであれば、貫之に白雪を保護する義務はないのだ。
高校生である今年三月いっぱいはともかく、それ以後は確実にその義務はない。
「……はい」
「そして無論、お前が玖条家の役に立たないのであれば――弟は我が一族の元に戻す。いいな」
思わず身震いした。
それはつまり、あの墓から父だけを京都に連れて行くという事。
それだけは――白雪には絶対に承服できないことだ。
「……わかって、ます」
そのためには、なんとしてもこの後来る十色泰を説得するしかない。
だが――あの一度だけ会った時を思い出すと、それは到底出来そうにないように思えてしまう。
(お父さん、お母さん、どうか――力を貸して……)
白雪は、おそらく両親を失ってから初めて、彼らに願いを捧げていた。
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