第111話 新しい生命

 白雪の様子がおかしい。

 別に、見た限りは普通だ。


 今は学校もほぼないので、白雪は基本的に和樹の家にいる。

 白雪は相変わらず、ほぼ毎日――和樹が出張で家を空けるとき以外――のように和樹の家にいる。

 学校に行くこともあるが、帰ってくるのも早い。それ以外はほぼ和樹の家だ。

 受験も終わってしまったので、受験勉強をするわけでもない。

 食事を作る時や、食事をする時はいつもと変わらない。

 ただ、何もしていないとどこか呆けてる様になっていることが多い。


 本当にただいるだけでは時間がもったいないからと、ゲームや本でも勧めてみたが、それも上の空。

 かといって、食事を作る時や食事をしている時は、いつもとあまり変わらない。

 ただここ数日、和樹から見て、明らかに気持ちが沈んでいるように見える。


「何かあったのか……?」


 自分が何かやらかしたのかという可能性を考えたが、現状思いつかない。

 それに、和樹と話しているときの白雪は、いつも通りだ。

 ただ、目を離すと気づけば落ち込んだようになっている。


 あまりに気になったので、何か心配事があるのか、と聞いたが、白雪は何でもありませんとだけ言って、それ以上の追及をさせなかった。

 なので、和樹としてもこれ以上踏み込むことはできないでいる。


 受験が終わって、反動でやることがなくて困っているのかとも思ったが、そういう感じではないように思える。

 とはいえ、個人的な事情である可能性も高く、そうであればあまり踏み込むのはよくないとは思うため、和樹としてもなんとも言えないもやもやした状態が続いていた。


 たぶんあれでも、本人としては普通だと思っているのだろうが、どう考えても普通の状態ではない。

 やはりどこかで無理にでも聞き出すしかないかと思っていたところに、スマホに何やら通知が来た。

 見ると、白雪のスマホにも同時に来たらしい。


「なんだ……?」


 届いたのは写真付きのメッセージ。


「和樹さん、これ……!」


 白雪もスマホをもって駆け寄ってくる。

 仕事中ではあるが、さすがにこれは仕方ない。


「ああ。生まれたみたいだな、赤ちゃん」


 メッセージのタイトルは『無事生まれました!』とある。そして添付されていた画像は、生まれたばかりと思われる赤子と、笑顔の誠と朱里の顔。


「あ、そうだ、返信返信……」


 白雪が素早く返信を入力していた。その様子は、先ほどの陰りは感じない。

 それに少し安堵しつつ、和樹も手早く返信を入力する。


「母子ともに、大丈夫そうですね」

「ああ、そうだな。しかし……朱里が母親かぁ……」

「もう。失礼ですよ、和樹さん」

「わかってはいるんだがな。こればかりはな……」

「会いに行ける……でしょうか。でも、生まれたばかりで外部の接触とか、大丈夫なんでしょうか」

「ああ、それは……」


 そこで、和樹のスマホに再び着信の知らせが来た。

 メッセージを確認すると、それを白雪に見せる。


「問題ないらしい。今度の土曜日、来ていいって」


 そこには、ぜひ来てくれという誠のメッセージが表示されていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 最寄駅から電車とバスで揺られること三十分ほど。

 当該の病院に着いたのは、十一時過ぎだった。

 総合病院ではなく、産婦人科と乳幼児・小児医療の専門病院で、たまに広告なども見たことがある病院だ。


 エントランスを入るとすぐに受付があって、相手の名前――卯月――を言うと、確認後、カードを渡された。このカードでエレベーターなども動かすらしい。セキュリティもかなりしっかりしている。


「三階の三〇三号室になります。エレベーターを出て、すぐ右手です」

「ありがとうございます」


 特に迷うこともなく、三〇三号室に到着する。

 扉の横に入院者の名前が書かれたボードがあり、『卯月朱里様』と書かれていた。


「き、緊張しますね」

「白雪が緊張してどうする」


 久しぶりに、沈んでいない白雪を見た気がして、和樹は少し安心しつつ、扉をノックした。

 するとすぐ、扉が開く。


「おお、よく来たな。玖条さんもいらっしゃい」


 誠が出迎えてくれて、部屋に通された。


 部屋は八畳ほどの広さだろうか。

 寝台が一つ、それに横に小さなケースがあり――そこにいるのは、小さなおむつを付けた赤ん坊。

 分かってはいたが――驚くほど小さい。


「いらっしゃい、和樹君、白雪ちゃん。来てくれてありがとね」

「おめでとう、誠、朱里。待望の第一子だな。女の子だったよな」

「うん。可愛いでしょ」


 そういうと、朱里がゆっくりと赤ん坊を抱きあげた。

 動かされて泣くかと思ったが、そういうことはなく、母親の胸に抱かれている。


「初出産はどうだったんだ?」

「安産も安産だったって。誠ちゃんは無茶苦茶心配してたみたいだけど」

「そりゃそうだろ……あんな時間かかるなんて思わなかったし」

「そうなんですか?」

「うーん。私は正直時間の感覚吹っ飛んでたからなぁ。よく覚えてないのが本音。でも、陣痛始まってから六時間は、初産では早い方らしいよ?」

「それはそうなんだろうけどな……」


 誠が珍しく情けない顔になっている。

 四日経ってこれなのだから、直後はさぞ涙でぐしゃぐしゃだったのかもしれないと思うと、ちょっと見てみたかった。


「お名前はどうされるんですか?」

「あ、うん。実は昨日やっと決めたの。親から子への、最初の贈り物だからね。すっごく悩んだ」


 そう言うと、朱里は赤ん坊を抱いてその顔を覗き込む。


「マナっていうの。字はこっち」


 メモ書きがあって、そこに『愛那』と書かれている。


「卯月愛那か。いいんじゃないか」

「とっても素敵です」

「ありがとう。白雪ちゃんみたいに、かわいい子になるといいな」


 そういう朱里の顔は、確かに今までの彼女とはまるで違う雰囲気を感じさせた。

 そのあまりの変化に、和樹は思わず戸惑ってしまう。


(ここまで……変わるものか)


 久しぶりに会ったというのもあるだろう。

 ただ、確かに今までにない雰囲気があるのは否定できない。

 そしてそれは、誠も同じだ。


「これから大変だな、お父さんは」

「あ、とりあえず誠ちゃんの呼称は今後『パパ』だからね」


 朱里の宣言に、思わず和樹は吹き出した。


「私たちがお呼びする時は……誠パパさん?」


 白雪の発言に、今度は誠が吹き出す。


「い、いや、玖条さん。そこは今まで通りでいいよ。なんかそれは……」

「えー、いいじゃない。私は朱里ママで」


 誠がなんとも言えない顔になっている。

 周囲の笑いを感じたのか、赤子が少しだけ身じろぎした。

 それからしばらくすると、顔がくしゃ、とつぶれたようになって――泣き始める。


「ああ、すみません、騒がしかったんでしょうか」

「ううん。多分、お腹すいたんだと思う」


 その言葉を受けて、誠が頷き、朱里以外の三人は部屋の外に出ると、廊下の途中にある休憩場所に移動した。


「最初のうちって、三時間に一回授乳するとか聞きますが……」

「らしいな。朱里はできるだけ母乳で育てたいって言ってるが、母乳で十分かどうかは結構個人差があるらしいからな。今のところは順調だが」

「大変だな……」

「まあ、実は最初の一か月は俺も育児休暇をとるんだ。それに俺らは、近所にお互いの両親がいるからな。そこはでかい」

「そういえば、雪奈さんはもう来たんですか?」

「ああ、生まれた次の日には来た。すぐ帰ったけどな。友哉も弓家さん連れて昨日来た。今日はちょっと都合が悪いらしくてな」

「雪奈さんには最近お会いできてないから、元気そうなら何よりです」

「受験勉強頑張ってる感じだった……と、そういえば、玖条さんは終わったんだっけ。おめでとう」

「え、ええ……そう、ですね」


 誠が怪訝そうな顔になる。

 一瞬、明らかに白雪の顔が沈んだのだ。


「何か心配事でも?」

「あ、いえ。大丈夫です。そういえば、いつ退院なんですか?」

「ああ。そっちは順調らしいから、早ければ明後日だ。俺は今日はこの後帰って、受け入れ準備だな」

「がんばれ新米パパ」

「おぅ。経験値貯めてお前らにアドバイスできるようになってやるよ」

「はいはい」

「頼もしいじゃないですか、和樹さん」


 気づけば、先ほどの雰囲気はもうない。

 錯覚だったのかとも思うが――。


「あ、いたいた。誠ちゃん、もういいよ。あの子、寝ちゃったから」

「おぅ。でも、今日はいろいろ買い物しないとだから、そろそろ帰るよ」

「そだね、明日は何時ごろ来る?」

「十時くらいかな」

「ん。了解」


 その後に誠は和樹と白雪の方に向き直った。


「和樹、玖条さん、駅まで送ってくよ。車で来てるから。和樹たちは、次は……雪奈ちゃんたちの受験が終わった後かな?」

「まあ、そのあたりまでは落ち着かないだろうしな」


 そう言ってふと白雪を見ると、なぜかとても深刻そうな顔になっていた。


「白雪?」

「あ、はい、えっと?」

「大丈夫かい? 今になって、受験の疲れが来たとか?」

「あ、いえいえ。ちょっと考え事してただけです。大丈夫です」

「なら、いいが……和樹、ちゃんと家まで送ってやれよ」

「わかってるよ」


 そもそも、帰る場所がほとんど同じなのだから、送るしかない。

 ただそれでも、白雪の様子は少し引っかかる。

 ここにきて気晴らしはできているとは思うが、それでもなおあのような表情をする理由が思いつかなかった。


 あるいは――何かの予感を感じていたのかもしれない。

 後日、和樹はちゃんと話をしていなかったことを、後悔することになる。

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