第104話 最後の青蘭祭
「姫様ーっ。全種類あるだけ欲しいって来てるんだけど……」
「はい、大丈夫です。とりあえずそれぞれ二十個ほど出来てますから、持って行って下さい」
そういって白雪が渡した籠に入っているのは、クッキーやマドレーヌ、それにカップケーキ、ラスク、ワッフルなど。
「ありがとー、姫様」
受け取った雪奈は、籠を抱えて走り出す――ことはできず、小走りに歩き去る。
走ることができないのは、普段と格好が全く違うからだ。
さすがの雪奈でも、着物めいた格好では走ることはできないのだ。
「転ばないでくださいね、雪奈さんーっ」
「はいよー」
去っていく雪奈を見送ると、白雪はむん、と気合を入れ直した。
今年の白雪のクラスは、和装喫茶を開催している。
要は給仕をやる人が和装になって、お菓子やお茶を提供するお店だ。
男子も女子も全員着物姿だ。
もちろん持ってない人が多いので、ほとんどはレンタルだが。
その雰囲気が人気で、客足は上々らしい。
利益を出すのが目的ではないはずなのに、利益が出てしまう勢いだという。
ただ、白雪は一部の生徒たちと一緒に、裏方――料理側に回ってる。これはクラス一同の総意だった。
『白雪姫目当ての客がヤバイことになる』
衣装合わせの際に、白雪が自前の着物をまとった姿を見た全員が、そう思ったらしい。
そこで、雪奈や佳織が白雪が実は料理が得意だからということを話して、裏方に回ることになったのだ。
白雪としても、無駄に注目を――今回は外部の人もいる――集めるのは遠慮したいので、この配慮は助かった。
それに、今回は和樹を呼べていない。
和樹は今は出張で週末を含めて四日ほど留守にしているのだ。
これだけ長い不在は珍しいが、泊りがけでいないことが、最近少し増えている気はする。
和樹の仕事が順調なのは喜ばしいことだが、白雪としては会えないだけで寂しいと思うのはどうしようもない。
この青蘭祭に重なってしまったのも、別に彼のせいではないが――残念だと思ってしまう。
実際、クラスメイト達に和樹――去年呼んだ人――は今年も来るのか、と何度も質問されたが、今年はお仕事があるそうですから、というと、残念そうにするのと安堵するのが半々というところだった。
白雪は残念でしかないが。
そんなわけで、白雪は家庭科調理室で、食べ物の調理に集中しているわけである。
といっても、担当時間は決まっていて、自由に回る時間もあるのだが、正直に言えばあまり周る気がしない。
裏方に回ることで着物を着る必要がないため、白雪は普段の制服姿の上にエプロンを着けているだけだ。
なので学内を周る分には目立たない――ということはなく。
もはや『聖華高校の白雪姫』という名を不動のものにしている白雪は、少なくとも学生たちからはいつも注目されてしまう。
去年は生徒会の仕事があったが、今年は無理にめぐる必要もない。
和樹がいれば一緒に見て回る楽しみもあったが、和樹もいない以上、いくつか気になる舞台や展示などを見るくらいでとどめるつもりだ。
人が溢れている学内を歩き回る気にはならない。
それに、裏方の中でも料理担当はなかなかの激務になっている。
今日は二日目だが、一日目にお菓子が美味しいと相当評判になったらしい。
二日目の今日は、朝から注文が殺到しているという。
なので在庫を作るために、調理室はフル回転状態である。
実は一度、材料が足りなくなって買い出しにすら行っている。
品切れしたら素直に終わりでもいいかと思ったのだが、まさかの午前中で品切れになりそうという事態になり、さすがにそれはないということで追加することになったのだ。
「あ、玖条さん。カップケーキ、もうすぐ焼きあがるみたい。見てもらっても?」
「はい。……うん、いいですね。取り出したら、粗熱が取れるまで待ってから、アイシングを塗って、適宜飾りつけをお願いします。クッキーはどうですか?」
「そっちももうすぐ終わりますね」
この家庭科料理室の最大の利点が、この複数オーブンがあることだ。
しかも生徒が授業で使うのもあって、かなり大型である。
それが四台もあるから、複数並行して焼き菓子を作ることができる。
「それにしても玖条さんすごいね。勉強だけじゃなくて、お菓子作りもできるなんて。もしかして料理も得意?」
「そうですね……ある程度は。一人暮らしですし」
この場に雪奈か佳織がいたら、『あれはある程度とは言いませんーっ』と言っていることは確実だが、雪奈は今接客中。佳織は同じく菓子作り担当だが、今は白雪と入れ替わりで休憩時間だ。
俊夫が迎えに来てたのが見えたので、今頃二人で見てまわっているのだろう。
ちょっと羨ましいと思ってしまう。
なお、今回は誠や朱里も来ていない。
さすがに、もうかなりお腹が大きくなっている朱里を連れてくるのはちょっと遠慮したのだろう。
また、つい先日、朱里から子供の性別が女の子だと判明したと連絡があった。
胎児の角度が悪く、確定が遅くなったらしい。
予定日は一月十五日だという。
上手く行けば推薦で進学が決まってる頃かも知れないので、もし会えたら挨拶に行きたいところだ。
卒業後どうなるか分からなくても、在学中なら確実に会える。
そうしてる間に、クッキーが焼きあがったらしい。
きれいにできてるのを確認して、テーブルの上に出す。
時刻を見ると、午後二時前。
そろそろ交代時間だ。
クッキーとカップケーキが終わった辺りで交代というところか。
今日はこれで終わり。つまりあと二時間ほどで、最後の文化祭も終わりだ。
(考えてみたら、一参加者としての文化祭は初めてですよね)
一年の時は青蘭祭実行委員で、実質一年生の中心のような役割を負い、クラスをあまり手伝えずにいた。
去年は生徒会でクラスはほとんど関わってすらいない。
それに比べると、今年は接客に立つことはなかったが、クラスメイトと一緒に文化祭を楽しめた、という気がしている。
これも、高校生活の貴重な思い出になるだろう。
「あ、姫様。お疲れ様です。交替です」
声をかけられて顔を上げると、佳織が戻ってきていた。
「あ、はい。では、最後、お願いしますね。材料使い切ったら、さすがに終わりでいいですから」
多分残り時間で作り続けていたら、一時間待たずに材料はなくなるだろう。
ただ、さすがにそれで終わりでいいと思う。
「はい。では任されました。姫様はこの後は?」
「演劇部の最後の公演の時間がそろそろなんです。それを観ようかと」
「今年もよかったですよ。期待していいかと」
「それは楽しみです」
エプロンを外してきれいにたたむと、教室脇に置いてあるカバンに詰めた。
あとで片付けに戻ってくるので、とりあえず置きっぱなしで良い。
白雪は時間を腕時計で確認してから、演劇部の公演を見るべく、講堂へと足を向けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「んーっ、定番でしたが、面白かったですね。新解釈というか」
今年の演劇部の公演したタイトルは『竹取物語』という、ある意味定番中の定番。
ただ、五人のかぐや姫に求婚する公達は、その裏に権力闘争があったという解釈が盛り込まれていて、かぐや姫はその、ある種トロフィーの様になっていたという筋立てだ。
ただ、その中で一人だけ、かぐや姫を本当に愛している公達がいて、かぐや姫もまたその公達に惹かれていた。しかし彼もまた権力闘争に巻き込まれ、不遇の中で死んでしまう。
それを知ったかぐや姫は絶望し、月に帰るというものだった。
ちなみに、白雪が一年生の時、クラスの一部で演劇で『白雪姫』をやろうと言い出した生徒がいた。発案者の狙いは、当然白雪がヒロインである白雪姫をやることだっただろうが、白雪がやるなら出演は断固拒否しますと言い切ったので、実施されなかった。
(そういえば……文化祭の直後でしたね、和樹さんと再会したのは)
あの偶然は、本当に奇跡に思えた。
もう二年も前のことだというのに、今でも鮮明に思い出せる。
自分の状況を考えると、本当にどこかにある演劇のようだとすら思えてしまう。
どちらかというと『白雪姫』より『かぐや姫』だろうが。
特に先ほどの演劇部の公演の解釈は、少し自分に被ってしまう。
(かぐや姫は……月に帰った後、幸せになれたのでしょうか?)
少なくともあの演劇のかぐや姫は、愛する人を失って、失意の中月に帰った。
月の世界の住人であるかぐや姫が、果たしてどれほど生きるのかは分からない。ただ、愛する人を失った悲しみは、そう簡単に癒えはしないだろう。
(私の場合は――いなくなるのは私だけ、でしょうしね……)
大学に合格できれば、少なくとも京都に強制的に戻らされる可能性は低い。
ただ、あの家にいられるかどうかは分からない。
一人暮らしが許されるのかどうかは未知数だ。
今の様な自由が許される可能性は低いと、白雪は見ている。
ただそれでも――生きていれば、あるいはと思えるのかどうか。
玖条家という存在の、保護と枷。
あらためて、それを全て振り切った両親が、本当に凄いと思えた。
だからこそ、その自分を愛し、慈しんでくれた両親を離れ離れになどできるはずがない。
その道を選ぶ以上、和樹と共に在る未来は選べない。
その絶望的ともいえる板挟み。
何度自問自答しても、未来が見えることはない。
だから――白雪は自分の意思で、選ぶ。
選んだと思うしかないのだ。
(大丈夫。まだあと、三カ月以上はあるんですから――)
あと三カ月。
それで、白雪は十八歳になる。
さらにその半月後には卒業だ。
その時の自分の環境がどうなっているか、それは全て伯父の一存でおそらく決まるし、それに抗うことは許されない。
ただ、それまでは。
まだ自由になる、最後の
「さて、片付け手伝いに行きましょう!」
一度頭を振って、思考を振り払う。
さしあたり、今すべきことに――友人たちとの時間を楽しむことに――集中することにして、白雪は家庭科調理室に小走りで向かうのだった。
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