第103話 白翼祭にて

 情報学部棟は、大学の正門から見て右手の一番奥まったところ、文学部棟のさらに奥にある。

 元は文学部の一学科だったのが、情報化社会の流れを受けて分離して情報学部になったのが十年前。

 なので和樹は、だいぶ早い段階での情報学部の学生の一人である。

 校舎もその時に新たに建設されたものなので、まだ新しく、きれいだ。


 この辺りまでくると、さすがに学祭の中心地からは外れるので、人の姿がややまばらになってくるが、それでも、行きかう人々は結構いる。

 というか、学生の頃はこの辺りを行く人はあまり多くないのだが、さすがに学祭期間は人が多いようだ。


「結構人が減ってきましたね、さすがに」

「そうなんだが……多分、普段よりはこれでも多い」

「そうなんですか?」

「正直、学祭期間って学生が一番学内にいるんじゃないかってくらい多いからな」


 大学の講義は毎日あるわけではない。

 特に三年生後半から四年生にかけては、就職活動などで大学に来ないことも多いし、四年生などゼミ以外は大学に来ないというケースもあるらしい。

 実際和樹も、四年生の時はゼミといくつか趣味で履修した講義があっただけで、大学に行く必要がない日も多かった。

 とはいえ、結局学校に行って誠たちと遊んでいたような気はするが。


 情報学部棟は地上六階建て。ペデストリアンデッキの高さが二階で、隣にある文学部棟より少し低い。

 地下があってそこにサーバ関連の施設が集中していて、空調やネットワーク関連の設備は新しい校舎だけあって、学内では一番いいらしい。


 例年通りだと大藤研究室はおそらく参加してるだろうし、参加してるなら情報学部棟で展示をしているはずだ。

 そういえば今年は何をやってるのだろうとパンフレットを見てみると――ゲームセンターなどと書いてある。

 それでだいたい想像はついた。


 場所は情報学部棟の教室の一つ。

 情報学部棟はすべての教室に高速のネットワークケーブルと無線通信網が整備されているので、コンピューターを使っての展示をするなら都合がいいのだ。

 また逆に、外部からの電波を遮断する部屋などもある。


 目的の教室の近くに来ると、少しまた人が増えた。


「なんか、結構いっぱいいますね」

「今年は人気があるらしいな」


 四年の時は例のチェスAIで大いに盛り上がったのだが、三年の時の学祭では同じくAIを用いた簡易的な問答ができる展示を行ったところ、見た目があまりに地味で全然盛り上がらなかったのだ。


 ちなみに後日、そのAIのパーソナリティを調節して、イケメンの画像付きで返事をしてくれるツールを作ったら、一部の女子の間で大ウケしたが。


 和樹は一年の時からこの研究室に出入りしている。

 大藤教授は来るものは拒まずで、一年からでも出入りするのは許している。

 ただ、求めるレベルが基本的に高いため、すぐ来なくなる学生が多い。


 なお、一般的に研究室とゼミ――ゼミナール――は別個の存在で、文系がゼミ、理系が研究室を抱えるのが普通なのだが、情報学部は元が文学部だった理系学部なので、呼び方が今も混在してしまっている。


 教室をのぞいてみると、十人以上の客がいるようだ。

 試遊台も多くて、スマホやタブレットが置いてあったり、あるいはパソコンだったりと色々。

 市販のゲームの自作パロディゲームが多いようだ。


「あれ? 月下先輩?!」

「おう……ええと……来宮きのみやか。久しぶりだな。……って、お前、なんでまだいるんだ?」

「留年じゃないっすよ。俺も院に行ったんです。あと、佐山も」

「あ、月下先輩。久しぶりですっ」


 来宮わたる。和樹の三年下の後輩で、接点がそう多かったわけではないはずだ。ただ、一年生の時から研究室に出入りしてそのまま一年間残っていた学生の一人で、つまりかなり優秀な学生だった。

 先日の倉持といい、まだ後輩がいるのは予想外だが、そういえば初夏にを聞いた時にも、名前を聞いた気がする。


 渡は少し茶色に染めた髪がトレードマークで、背は和樹よりは幾分低いが、小さいというほどでもない。かなりの近眼らしく、メガネが手放せないらしい。本人曰く、コンタクトレンズは怖くてダメだという。

 その彼に続いて現れたのが、同じ学年の佐山あかねだ。


「そういえばこないだ来た時にそんな話あったな。佐山さんも院に?」


 渡と同じ学年の女子だ。同じく優秀で、研究室にいる時はよく教えてあげた記憶がある。セミロングの同じく少し茶色に染めた髪は、見覚えがある。

 そういえば付き合ってるとかいないとかって噂があったが、あれからもう四年近く。関係がどうなったのかは少しだけ気になったが、ここで聞く理由もない。


「はい。私は一応来年までって予定ですが。月下先輩は……珍しいですね。卒業した直後に来てくれたっきりだったのに」

「まあ、ちょっとな」


 そういってから見回すと、他にも数人、遠巻きに見ている学生がいる。

 和樹の卒業後に研究室ゼミに入った学生だろう。


(これだけ時間が経ってるってことだよな……)


 卒業してそんなに経ってないという感覚だが、よく考えたら和樹が四年の時に一年だった彼らが卒業してるはずというだけ、年月が経っている。

 大学の四年間というのはものすごく長く感じたが、社会人になってしまうと本当にあっという間だと、改めて痛感した。


「っていうか先輩、このものすごく可愛い子は誰ですか!?」


 渡の言葉に、和樹は白雪を見る。

 白雪は少しだけ戸惑っているようで、不安気に和樹のジャケットの袖をつかんでいた。人の視線を集めるのは慣れているとは言っていたが、これだけ年上に囲まれるのは、さすがに初めてだろう。


「ああ、ええと……」

「あれ、月下先輩?」


 現れたのは倉持奈津美だ。

 少し外に出ていたらしい。


「久しぶり……でもないか。初夏以来だな、倉持」

「先輩。学祭に来るのなんて何年振りですか。今日はまたどうして?」

「まあせっかく時間があったから、というのもあるんだが……」


 和樹は白雪を振り返った。

 それを受けて、白雪が小さく頷いて一歩前に進み出る。


「玖条白雪と申します。今高校三年生で、ここを受験しようと考えていて、見学に来たんです。か……月下さんに、案内していただいています」


 そういうと、ペコリと頭を下げる。

 その様を見て、院生の三人だけではなく、他のゼミの学生、ここに来てた客ですら一瞬呆けたようになり、一瞬教室からゲームの音声以外が消えた。


「うん、まあそういうわけだ。彼女は家が近所で、ちょっと知り合う縁があってな。それで今日は来てる、というわけだ」

「うわぁ……が、頑張って、是非。こんな可愛い子が来てくれたら」

「わーたーるー?」

「い、いや、別に可愛い子はそれだけでいいじゃないか」

「ちょっとあっちで話そうかー?」


 少し剣呑な雰囲気になったあかねに、渡が連れていかれた。

 それで、だいたいの関係は察することができて、思わず笑いそうになる。


「なるほどな。仲良くやってるようで何よりだ」

「あ、あの、先輩。玖条さんとはどういうご関係で……?」

「ん? まあさっき言った通り、ご近所だ。ちょっと事情があって、時々会うこともあって、ここを志望してると聞いたから連れてきてあげたんだ」


 嘘は言ってない。

 正確に言ってるとはとても言えないのは自覚していたが、さすがに全部説明する気には、もちろんならない。


「そ、そうですか」

「倉持?」

「あ、いえ。なんでもないです。玖条さん、ゆっくり見学してくださいね」


 そういうと、奈津美はどこかぎこちなく去っていく。

 何か体調でも悪いのかだろうか。


「和樹さん」


 白雪が小声で話しかけてきたので、そちらに移動する。


「なんていうか、やっぱり和樹さんらしいですね」

「は?」

「何でもないです。でも、とてもいい雰囲気の場所ですね、本当に」

「……そ、そうか」


 何か大量に含むものがあったように思えたが、白雪はそれ以上は何も言わずに、折角だからと試遊台に向かう。

 それを見ていると、今度は奈津美が戻ってきた。


「先輩。あの玖条さんとは、ホントにご近所というだけなんですか?」


 先ほどよりさらに神妙な表情だ。

 どう返したものかと少し悩むが、かといって本当のことを言うわけにもいかないし、そもそも家族の様に仲良くしているとはいえ、別に本当に家族でも、もちろん恋人というわけでもない以上、やはりご近所付き合いというしかないだろう。


「さっき話した通りだぞ。もし来年彼女がここに入ったら、倉持もよろしく頼む」

「はあ、それは……わかりましたが」


 なぜか奈津美が呆れ気味だ。


「倉持?」

「何でもありません。合格するといいですね、あの子」

「ああ、そうだな」


 微妙に不機嫌そうなのが気になるが、理由を考えても分からない。

 その間に白雪が一通り体験したようで、和樹の元に戻ってきた。


「なんか色々面白かったです。自分でゲーム作るって面白そうだと思えました」

「そうか。まあ、普段はこんなことしないはずだが。まあせっかくだし、他もめぐるか。……そういえば倉持、教授は?」

「ああ、教授は今日はどうしても外せない用事があったらしく、今日だけいないです。『なんで学祭の時に、しかも休みに学会があるんだ』とか昨日ずっと文句言ってました」


 なんとなく目に浮かぶ。

 普段かっちりとした格好をしてる堅物に見えるが、基本、お祭り好きなのが大藤教授である。


「まあ、それじゃあまた後日でいいか……」

「先輩?」

「何でもない。それじゃ行くか、白雪」

「はい」


 二人並んで教室を出て行く。

 その後ろで、奈津美が驚いたような顔をしていたことに、和樹は気付いていなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「楽しかったです、とても。でも、明日は勉強取り戻さないと、ですね」

「まあ、一日くらいはな。どうだった、大学は」


 二人はあの後、いくつかの催しに参加したり、展示を見てまわったりした。

 昼食は学生食堂で食べた。

 この大学の学食は、国内でも有数の規模を誇ることで知られていて、あまりの大きさに白雪も驚いていたようだ。


「とても楽しかったです。本当に素敵な大学だと思います。ぜひここに入りたいと、改めて思いました」

「それは何よりだ。なら、後は頑張らないとな……でも来週は文化祭だっけ?」

「はい。でも確か、和樹さん……お仕事でしたっけ」

「ああ」


 今回の聖華高校の文化祭は来週の終末。今年は事情があって日程が少し遅い。

 ただ、そのタイミングで和樹は地方への出張の予定が入ってしまい、今年は行くことが出来そうにないのだ。


「すまんな、最後の文化祭なのに」

「ああ、いえ。それは仕方ないですから」


 そうはいっても、残念そうにしている様子には心が痛むが、こればかりはどうしようもない。


「その分、今日で埋め合わせてもらいました」


 そういう白雪の笑顔に翳りはなかった。

 それで、少しだけ安心する。


「それじゃ、帰るか」

「はい。あ、帰りにお買い物して帰りましょう。何か食べたいものありますか?」

「そうだな……店に行ってから考えるか」

「わかりました」


 答えてから、当たり前のように白雪と夕食を食べると思っている自分に少し呆れてしまう。

 ただ。


(結局この先どうなるのかは――分からないな)


 白雪が央京大に入るなら、あの家から引っ越す理由はあまりない。

 そうであれば、その先もこの関係が続くのか。

 ただ、漠然とそうならないという気が、和樹にはしていた。


 あるいはそれはだったのか。

 後に、和樹はそれが間違っていなかったことを、痛感することになる。



―――――――――――――――――――――

ちなみに。

央京大のイメージ、分かる人は分かると思いますが、完全に中央大学です(笑)

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