第101話 叶うならいつまでも

 六時過ぎに始まった食事は、のんびり話をしながら、一時間ほどで終了した。

 和樹が片付けを手伝おうとするが、それを白雪は押しとどめる。


「今日だけは全部任せてください。和樹さんはお客様で主賓ですから」


 それに対して和樹はなおも何か言いたそうだったが、結局は何も言わず、ソファに腰を落とす。

 それをみて、白雪は食器を次々にキッチンに持っていった。

 とりあえず軽く流してから、お湯を張った洗い桶に沈める。

 洗い物は後でいい。


 最後の食器をキッチンに運んだところで、電気ケトルが湯沸かしが完了したことを知らせる小さな電子音を鳴らしてきた。

 片付けを始める前にお湯を入れておいたティーポットとティーカップのお湯を捨てて、茶葉の缶を取り出す。

 今日のお茶は、前に和樹に教えてもらった紅茶だ。ケーキに合わせるならこれ、というやつで、去年のクリスマスでも使ったものと同じ種類だ。


 お茶は最後に淹れるので、とりあえず冷蔵庫に向かう。

 中にあるのは、小ぶりなケーキ。

 予め出してあったロウソク手に取り、ケーキをリビングに持っていく。


「お茶も後でお持ちします」


 そういって、ケーキを置くと、続いてティーセットも持ってきた。

 まだお湯は注いでいない。

 この電気ケトルは短時間であれば、電源なしでも温度を保温できるタイプなのだ。


 白雪はロウソクをケーキに立てると、マッチで火をつけた。

 ロウソクは三本。

 和樹は今日で二十六歳になるが、さすがに二十六本ロウソクを立てるわけにもいかないので、去年に倣った形だ。


 ロウソクに火を灯し終えると、手早くピアノの前に向かった。


「え。今年はやるのか」

「はい」


 グランドピアノの屋根をすでに開いておいておいたので、多分やるだろうと思われてはいただろうが。

 白雪は手早く椅子に座り、鍵盤蓋を開くと、一度息を整えてから、鍵盤をたたき始めた。

 定番の誕生日ソング。

 一応、何回か練習しておいた。

 曲の最後のテンポを大きく落として、和樹の方を見る。

 少し苦笑してるようにも見える和樹だが、曲の最後に合わせて――。

 一気にロウソクの火を吹き消してくれた。


「改めて。お誕生日おめでとうございます。和樹さん」

「本当に生演奏付とはね……照れ臭いが、ありがとう、白雪」


 ケーキのロウソクを外して、切り分けようとする。


「まった、せっかくだし」

「え?」


 和樹がスマホを取り出して、向かい側のソファの上に何とか固定しようとする。

 その意図を察して、白雪は一度寝室に戻ると、スマホ用のスタンドを持ってきた。

 勉強している時に、時々使うものだ。


 リビングテーブルの上にスマホスタンドを置いて、角度を調節してスマホを置くとカメラアプリを起動する。

 こういう使い方をするのは初めてだったが、和樹が手早く設定し――。

 セルフタイマーをセットすると、素早くソファに座る。

 白雪のすぐ横、触れるか触れないかというくらいの距離に和樹が来た。

 せっかくだからとケーキと一緒の写真だが――白雪は少し体を倒して、和樹にもたれかかるようになった。

 一瞬驚いた和樹だが、それ以上は何も言わず――シャッター音が響く。


「まあ、上手く撮れた。白雪のスマホでも……撮るか? この写真送ってもいいが」

「せっかくですし、お願いします」


 白雪はそういうと、自分のスマホを和樹に渡す。

 和樹は手早くセットして、また座る。

 同じように座る和樹の手に、白雪は自分の手を重ねた。

 先ほど以上に驚いたようになる和樹を無視して、そのまま手を握る。

 シャッターが切られる一秒前の音声で、和樹もとりあえず正面を向いた。


 カシャ、という音がしてシャッターが切られたとわかる。

 白雪は急ぎスマホを確認し――思い通りの写真に満足した。


「なんか俺、変な顔になってないか?」

「大丈夫ですよ、いい記念になりました」


 そういうと、カメラアプリを閉じてしまう。

 和樹は見せてもらいたそうだったが、これはちょっと見せられない。

 少し離れた距離からの写真とはいえ、それでも自分の感情が駄々洩れなのが明らかな写真になってしまっていたからだ。


「さて、ケーキを食べましょう」

「当然だが、これ、手作り……だよな?」

「はい」

「言われなければ店で買ってきたと思うレベルだ……」

「ありがとうございます。結構自信作です」


 今回のケーキは、マカロンを乗せたチョコレートケーキだ。

 もちろん全部自作。

 黒いチョコレートケーキの上に、色とりどりのマカロンが乗っていて、表面にメッセージをチョコレートで描いているものだ。


「すごいな……本当に」

「お菓子作りは好きなことの一つですし、今回は見た目も華やかにしてみました」

「今までも十分すごかったけど、今回特に、だな」


 それはそうだろう。

 籠めた気持ち――は同じかもしれないが、自覚してるかしてないかの差は大きい。

 大好きな人の誕生日のために、好きだという気持ちを思いっきり籠めて作ったのだ。

 考えるだけで照れ臭くなってしまうが、今日だけは好きだという気持ちを、少なくとも無理に抑えなくても多分気付かれないと思う。


 ケーキを切り分ける前に、ティーポットの茶葉を入れて、お湯を注ぐ。

 それからティーコジーをかぶせた。

 茶葉の種類から、蒸らし時間は三分程度。

 その間に、ケーキに立てたロウソクを外して、ケーキを切り分ける。

 それから時間を確認して、ティーコジーを外してポットの中を軽くひとまぜしてから、蓋をして、茶こしを使いつつティーカップに紅茶を注いだ。


「さ、どうぞ、和樹さん」

「ありがとう、白雪」


 和樹は、ティーカップを持って香りを楽しんでから――少し口に含んだ。


「美味いな。本当にいいお茶だし、とても丁寧に淹れたな」

「はい、頑張りました」


 それからケーキを少し食べて――感想は聞かなくてもわかった。


「本当に美味しいな、これは」

「ありがとうございます……そだ」


 今なら、このくらいなら。

 そう思うと、白雪は和樹の手元にあるお皿から、ケーキを切ってフォークに刺す。

 そして、和樹の前に持ってきた。


「し、白雪?」

「主賓ですから。このくらいのことは」


 ひどく戸惑ったようになっている和樹が、なぜか可愛いと思えてしまう。

 が、やってる方はやってる方で、実はかなりいっぱいっぱいだった。


(こ、こんな恥ずかしいものなんですか!?)


 世間一般のカップルはよくやってるというか、たまに雪奈たちと出かけると、カップルがファストフードなどでポテトをシェアしてやってるのを見るが――実際やってみると恥ずかしいどころではない。

 だが、今更引っ込めるわけにもいかず、白雪は必死に内心の動揺を表情に出さない様に頑張っていた。


「あ、ありが、とう」


 和樹はそういうと、白雪が出したケーキを食べてくれた。

 それで落ち着くかと思いきや、それどころではなく恥ずかしい。

 頭が茹ってしまったような気分だ。

 だが、さらにそこに追い打ちが来た。


「まあ、定番ってことで。家族ならありだろう」


 和樹が同じことを返してきたのだ。


 どうしようもなく嬉しいと思えるが、同時に羞恥で頭から湯気が出ている気分だ。

 というか多分顔が真っ赤だろうが――これを断る理由は、白雪にはない。

 意を決して、口に含んだ。

 甘さ控えめのはずのそれが、ものすごく甘く感じる。


「……お、美味しいです、ね」

「まあこのくらいで。いくら家族と言っても恥ずかしいとはわかっただろ?」

「はい……」


 多分これは去年、自分の気持ちを自覚する前であっても、恥ずかしかっただろう。

 まして今となっては、恥ずかしいどころではなかった。

 ただ同時に、今この瞬間が永遠に続いてほしいと思えるほど、幸せな気持ちでもある。


 本当にそうなれば、どれだけ嬉しいだろうと思ってしまう自分もいるわけだが。

 少なくとも、来年の和樹の誕生日を祝える可能性は、現状ほとんどない。

 だからこの瞬間は、文字通りの一期一会だ。


「あとは、こちらですね」


 いろいろと余計なことを考えてしまうのを振り払うと、白雪はソファの影においておいた袋を取り出した。


「誕生日プレゼントです。今回は実用品的なところですが」


 和樹が見てきたので頷くと、中身が取り出された。

 入っていたのはボディバッグ。

 和樹が普段、出歩く際に使うものだ。


「すごいな。来週には買いなおそうと思っていたんだが。白雪、エスパーか?」

「さすがにそれはないですよ。でも、大分古くなっていたな、と思いまして」

「大学四年の頃から使ってたやつだからな……本当にありがとう、白雪」

「で、あと一つありまして」


 そういうと、白雪は立ち上がって、和樹の正面に移動した。


「なんでも一つ、お願いを聞いてあげます」

「は!?」


 和樹が思いっきり素っ頓狂な声を出した。

 それはそうだろう。

 自分でもとんでもなく大胆なことをしているという自覚はある。


 同時に無茶なことを言われないという信頼もある。

 和樹にとっては、白雪はあくまで『家族』だ。それは分かっている。

 一人の女性として見られていないという事実は、白雪にとっては残念この上ないが、それゆえにを言ってくる可能性はほとんどないだろう。

 万に一つ言ってきたら――それでもいいと思っている自分がいるが。

 ただそれは、文字通り万に一つもないともわかっていた。


「あのな、白雪、軽はずみにそういうことを言うものでは」

「わかってます。でも、何も思いつかないので、和樹さんに考えてもらおうという結論になったんです」

「あのな……」


 和樹が頭を抱える。

 実のところ、このプレゼントを渡せば、次の――おそらくは最後の――白雪の誕生日の時に、お願いを聞いてもらえないか、という狙いもある。

 誕生会を出来るかどうかも分からないが。


 和樹はなおも悩んでいるようだ。

 ただ、これ以上時間をかけると、何かとても当たり障りのないお願いをされそうな気がした。

 なので、次善策を用いることにする。


「じゃあ、これを差し上げます。いつか――使ってください」


 そういって和樹に手渡したのは、予め用意していた『なんでもお願いを聞きます』と書いた手作りの紙片。子供のお手伝い券のようなノリだが。

 和樹は、複雑そうな顔でそれを受け取った。


「使う……かは分からんぞ」

「はい。でも、私で叶えられることなら、何でもどんなことでも。いつまでも待ってますから」


 叶えられる状態であるかは分からない。

 ただそれでも、これを渡すことで、あるいは和樹と繋がってる気がすると。

 なぜか白雪は、そう思えていた。

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