第100話 二人並んでの誕生会

 十月六日の金曜日。

 和樹の誕生日である。

 この日だけだは、白雪はあまり勉強が手に付かない。


 先に行われた、前期の期末試験の結果は満足できる結果だった。

 初めて、情報の試験で俊夫と並んで首位トップ――要するに満点――を取れたので、総合成績では文句なしの主席。

 推薦に向けては、最上の結果と言える。


 十月七日の土曜日からは世間的にも三連休だが、聖華高校はさらに二日ほど追加されていわゆる秋休みとなる。

 前期と後期の間の休みだ。

 二年生はその間に修学旅行の疲労を回復させろ、という意味もあるのだろう。

 だがもちろん、受験まであと三カ月ほどとなった三年生には、そんな余裕は許されない――のだが、そこはそれだ。


 何が何でも和樹の誕生日を当日に祝いたいと考えていた白雪は、一か月前から和樹にこの日の予定を確認していたし、和樹も分かってはくれていたので、今日は仕事を詰めていない。

 仕事を終えるのは夕方の五時半過ぎ。なので、六時には来てもらうことになっている。

 今はその時間に合わせての準備中だ。


 学校が終わったのは三時頃。そこから大急ぎで帰って、三時半過ぎ。

 必要な買い物などは全て前日のまでにすませてあるし、最低限の仕込みは朝までに終わらせている。

 作るのに時間のかかるケーキなどはすでに準備済みだ。


 帰ってすぐに、時間のかかる調理の準備を済ませる。

 オーブンに大皿を入れたら、先にお風呂を済ませた。

 暦の上では完全に秋とはいえ、まだこの時期は暑い。

 さすがに朝夕は涼しくなってきてるとはいえ、今日も夏日だったという話だ。

 汗臭い状態で祝いたくはない。


 手早くお風呂を済ませると、急いで髪を乾かした。

 母譲りのこの黒髪はお気に入りではあるのだが、こういう時は、この長い髪は本当に面倒だ。

 そういえば、和樹はどちらが好みなのだろうとふと気になってしまった。

 いつか聞くこともあると――嬉しいが、望みは薄い。


 髪が乾いた頃にはもう五時過ぎ。

 あと一時間しかないが――準備には十分だ。

 揚げ物を最後に回して、他の準備を一通り終える。


 十五分前に揚げ物を一気に調理。

 と言っても、二人分だからそこまでの量はない。

 油を切って金網の上にキッチンペーパーを敷いたバットの上に置いて、油を切る。

 時計を見ると、六時三分前だった。

 エプロンはそのままに、手を洗うと玄関に向かう。

 腕時計をもう一度確認すると六時十五秒前。

 扉を開けると――今まさに、インターホンの前にいる和樹が見えた。


「まあ、去年の例や花見の時の例があるから予想は出来ていたが」


 今回は予想されていたらしい。

 いたずらが失敗した気分になるが、かといってそれで残念な気持ちになるわけではなく、むしろ去年のことを覚えててくれたことの方が嬉しく思えた。


「今回は見抜かれましたか。いらっしゃい、和樹さん」


 和樹が少し苦笑いしつつも、白雪に案内されて入ってくる。

 一度お風呂に入ったのか、少しだけ髪がしっとりしてるようだ。

 服装はいつもと変わらないが、少しだけすっきりして見える。


「どうぞ、和樹さん、こちらに」


 そういって今日案内したのは、以前祝ったダイニングではなく、リビングだ。

 異様に広いこの家のリビングは、置いてある家具も基本的に大きい。

 一般的にリビングテーブルというのは普通ダイニングテーブルより小さいが、この家の場合は普通の家のダイニングテーブル以上の一辺二メートル近い大きさの正方形で、つまり料理を並べるのには全く困らないサイズだ。


「すごいな、これは」


 今日の料理は海鮮マリネのサラダ、ポタージュスープ、デミグラスソースのハンバーグを添えたオムライス。添え物にポテトフライとアスパラガスの素揚げ。それにデザート。

 テーブルの中央やや手前にワインクーラーに入れたワイン……ではさすがになく、ノンアルコールのスパークリングワインだ。一応二十歳未満でも買っても問題ないことを確認してから買ったものである。


 そして、リビングで食べることにした理由が、実はもう一つある。

 このリビングテーブル、ダイニングテーブルよりむしろ奥行きは広いくらい。

 つまり、対面で座るとお互い離れすぎる。

 それに、位置を調整して、夜景が見えるようにしているが、そうなれば必然的に、ソファに二人並んで座ることになるのだ。


「これは、並んで食べる感じか」

「はい。せっかくなので、夜景を楽しみながらとかどうかと思いまして」


 このマンションが建っているのは、駅から直線距離だと三百メートル程度しか離れていない。

 ただ、その高低差は実に七十メートル以上ある。

 このマンションの南側はその切り立った崖に面していて、駅前の一部のビル以外は、ここより高い場所はほとんどない。

 そのため、意外に眺めがいい。


 そしてこの部屋の窓は他のフロア――和樹の部屋――より高く広い。

 地上の明るさ故に星空はほとんど見えないし、今日の月の出は遅いので月夜というわけでもない。

 とはいえ、都会でありながら、かつ家の中から広い夜空と地上の光を見渡せるのは、この部屋ならではの特権だろう。


「確かに……これは悪くないな」


 和樹が満足気に頷いて、ソファに腰かけた。

 その隣、五十センチほどの距離に立つと、まずはワインクーラーからボトルを持ち上げた。


「大丈夫です、ちゃんとノンアルコールですから」

「さすがにそれは疑ってないが」


 和樹が苦笑気味だ。

 本当はちょっとくらい飲んでみたいというのはあるが――そんなことをしてもいいことは何もないだろう。


 和樹の前のワイングラスに飲み物を注ぐと、和樹が手を出してきた。

 一瞬考えるが、素直にボトルを渡すと、和樹が白雪のグラスに注いでくれる。


「それでは。お誕生日、おめでとうございます、和樹さん」

「ありがとう、白雪」


 和樹が掲げてくれたグラスに合わせ、白雪もグラスを掲げる。

 グラスを合わせたくなるが、ワインなどでは普通やらない、というのは皮肉にも玖条家に来てから教わったマナーの一つだ。

 和樹もそれを知ってたようで、にっこりと笑うとグラスに口を付けた。

 それを見て、白雪も同じようにグラスに口をつける。


 自分で選んだので味の想像はついていたが、控えめの甘味の中に、わずかに感じる酸味がとても美味しい。

 ワインと同じ製法で、アルコールだけ除去したという物らしい。


「美味いな、これ。甘めのワインだと云われても納得できる」

「それは良かったです。さあ、どうぞ食べてください」

「ああ」


 和樹がまずはサラダに手を付けた。

 野菜とマリネされたサーモンを一緒に食べて、嬉しそうに顔を綻ばせる。

 それだけで、十分嬉しく思えた。


「さすがだな……本当に。驚くほど美味しい。いつもありがとう、白雪」

「いえ。そうやって喜んでいただけると、私も嬉しいですから」


 掛け値なしに本音だ。

 それから二人は、話しつつも食事を進めていく。


 話の内容は、さすがに時期が時期なのでどうしても受験や進路の話になってしまうが、和樹が央京大時代の話を色々してくれた。


「じゃあ、もしかしたら私のその……大藤教授の講義を受けることになるかもですね」

「可能性はあるな。まだあの人現役だからな。実際あの教授の研究室は面白かったよ」

「和樹さんは、大学院とかは行かなかったんですよね?」


 話を聞いている限りだと、和樹の大学での研究は相当充実してたように思う。

 それなら、環境が許せば大学院に進んでいても不思議はない気がするのだが。


「まあ……考えなくはなかったんだが、在学中から、親の伝手で受託でいろんな依頼をこなしてたら、それが面白くてね。そっちに集中しようと思ったんだ。それで、教授にも院に来いと言われたけど、卒業して……まあ、今に至るってところだ」

「天職だったんですね」

「まあ……どうだろうな。俺も正直、今は問題ないがこの先何十年もこの仕事を続けられるかは分からない。AIの台頭で単純なシステム構築は仕事がなくなるって話もあるしな。……って、これから情報学を学ぼうって学生にする話じゃないな」

「いえ。そういう未来にも、やはり人間でなければできないことだってあると思いますし、そういうのを探していくのが、央京大の情報学部だと思ってます」


 その言葉に、和樹はむしろ少し驚いたように顔になる。


「……そうだな。その通りだ。なんか早くも後輩に教えられた気分だ」

「持ち上げすぎです、和樹さん」


 そう言ってクスクスと笑って、オムライスを頬張る。

 和樹もまた、少し食事に集中していた。


 本音を言えば、いわゆる『あーん』として食べさせてあげるなどをやってみたかったが――ちょっとそれは無理そうだ。

 誰も見ていないとはいえ、そんなことをしたら羞恥心の限界を簡単に超えるのは、容易に想像できる。


 こううやって、横に並んで一緒に食事できる。

 これだけでも、今の白雪にとってはとても嬉しく思える時間だ。


 そうして――誕生日の夜は少しずつ更けていった。

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