閑話6 再び巡り合って

 校門で、佳織は時間を確認するためにスマホを取り出した。

 時刻はちょうど四時。


 九月末だが、残暑はまだまだ厳しい。

 今年の夏は異常なほど暑くて、猛暑日の回数が記録を更新したらしい。

 昔はこの時期には涼しくなっていたというが、本当だろうかと疑いたくなる。

 親曰く、十月から冬服が基本だったというから、本当のことなのだろうが、信じられないくらいだ。


 学校を出ると、学校の最寄り駅まで行くのは同じだが、乗る電車の方向は家とは逆。そのまま塾へと向かうからだ。

 正直に言えば、成績からすれば塾に行かなくてもおそらく推薦を取ることができる。それくらい、成績は良い。

 致命的ともいえる情報の点数の悪さを除けば、学年首位に迫るほどの成績を修めていた。


 ただ、佳織が目指す進路は、残念ながらあまり指定校推薦枠が高校にない。

 聖華高校は比較的高いランクの高校ではあるのだが、大学の指定校推薦枠はあまり多くはない。これは、この高校の特殊性故だろう。

 知ってたら別の高校を選んだかもと考えるが、この高校での経験は、多分他では決して得られなかっただろうと思える。

 だから、後悔はない。


 そしてどうせならより良い大学を目指すためもあって、佳織は夏休みから塾に通い始めたのだ。


 塾が終わるのは七時半ごろ。女子高生としては、外を出歩くにはギリギリの時間だが――塾を出たところで、佳織は期待した人物の姿を見出した。


「俊夫、お待たせ」


 唐木俊夫。

 幼い頃から――というよりはほとんど生まれた時からの幼馴染。

 ただ、佳織が別の中学を選び、それで一度は縁が切れてしまった。

 しかし高校で再会。

 そして今は、恋人同士だ。

 と言っても、付き合い始めてまだ一ヶ月程度だが。

 彼は今日は高校の授業――ほとんど選択制――が早く終わったので、先に塾に来ていたのだ。


「じゃ、帰ろうか」

「うん」


 佳織が歩き始めるのを待って、俊夫も歩き始める。

 駅までの道はまだ人は非常に多く、とても明るい。

 ただ、この時間の電車は非常に混んでいて、否応なく二人ともほとんどくっついたような状態になってしまう。


 ふと見上げると、俊夫の顔がすぐ近くにあった。

 思わず身体が緊張してしまう。

 高校に入った頃は、せいぜい五センチ程度の差しかなかったはずの身長が、気付けばいつの間にか十五センチ以上、俊夫の方が高い。

 時々会う、白雪と仲が良い和樹ほどではないにせよ、多分一七〇センチまで、あと少しというくらいだろう。自分が一五〇センチちょっとしかないから、なおさら高く見える。


(いつの間に……こんな大きくなってんのですか)


 置いて行かれた気持ちになるのは、仕方がない。

 かつては自分の方が大きかったのにと思うが、それは一度離れ離れになった小学校卒業の時で、もう五年以上も前の話だ。


 最寄り駅に着くと、二人とも歩く方向は同じ。

 駅から家までは歩いて十五分弱というところだ。

 少し歩くと、すぐ人通りも少なくなる。

 街灯は定期的にあるが、それも少し頼りない。


「佳織」


 呼びかけられて、顔を上げると、差し出された俊夫の手が見えた。

 少しだけ迷いつつ――佳織は俊夫の手を取った。

 自分とは違うその感触が、なぜかとても嬉しい。

 俊夫は少しだけ手に力を込めると、そのまま歩き始めた。もちろん佳織もそれに続く。


 どこにでもある、彼氏彼女が手を繋いで歩いているだけの光景。

 だというのに、なぜ自分にそれが起きると、これほどに特別だと思えるのだろうか。必死にこらえなければ、嬉しくて頬が緩みそうになる。

 九月下旬で、この時間だと少しだけ涼しくなり始めた風が、手の温もりと相まって、とても心地よかった。


 周りには誰もいない。

 道の両側は一戸建ての家が並んでいて、明りが窓から漏れている。

 時折、話し声の様な音も聞こえるが、内容は分からない。

 当然、こちらが話しても誰にも聞こえないだろう。


「ねえ、俊夫」


 だからか――ふと、聞いてみたかったことを、聞くことにした。


「どうして急に、告白してきたのです?」


 夏休みに入ってすぐ。

 同じ塾に通ったのは、おそらく両親が共に同じ資料を手にしたからだろうが、実際有名進学塾だったのでそれは不思議はない。

 なので必然的に二人は一緒に行くことが多くなった。

 その最初の頃に、俊夫から告白されたのだ。


 最初の頃ほどお互いいがみあったりすることがなくなっていたのは、多分一年間一緒に生徒会役員をやったおかげだろう。

 そこについては、本当に白雪には感謝している。

 正直に言えば、自分が素直ではない性格をしているのは自覚があったし、それは俊夫もあまり変わらない。


 だからこのままだと思っていた佳織に対して、俊夫は突然、恋人として付き合ってほしいと正面から言ってきた。

 そしてそれを、佳織自身望んでいると自覚していたから、承諾したのだ。

 その時俊夫のそれは、『同じ大学には行けないだろうけど、このままだと嫌だから、やっぱ言う』と前置きしてからの告白だった。

 ただ、その時はそれっきりで、詳しくは聞いていない。


「あの時言った通りだ。その、このままは嫌だったんだ」

「別に……近所なのは変わらないですけど」

「でも中学の時は一度も話せなかった。本当は高校入ったらすぐとか思ってたんだけどな……あんなこと言うつもりは、俺にもなかったはずなんだけど」


 俊夫は、佳織の前でだけは、一人称が『俺』になる。

 それは、小学生の頃から、二人の間だけの話。

 中学に進学して、二人の道が分かたれてからはずっと『僕』だった。つい一か月前に復活した一人称である。


「ただこのまま、また中学の時みたいになるのは嫌だったんだ」

「そっか……」


 誕生日すら一日違い。俊夫は、ほとんど生まれた時からの幼馴染だ。

 幼い頃は、家族だと思っていたくらいである。

 お互い一緒にいて当たり前だったし、それを不自然だとも思わなかった。

 だからずっと一緒だと思っていた。

 佳織もそう思っていたのだが。


「今更なんだけど、なんで……その、中学、別のところに?」

「……成績って答えじゃ……納得しないですね」


 佳織は一度足を止めた。

 自然、俊夫と手が離れる。

 俊夫が振り返るのを待って、佳織は俊夫の顔を見上げた。


「ある子に、俊夫のこと、好きなのかって聞かれて、分からないって答えたのです。だって当時、私には分からなかったですから、本当に。一緒にいるのが当たり前過ぎて。そうしたら、その後一部の女の子たちに、ちょっと嫌な噂とか言われてたのです」


 俊夫が驚いたような顔になった。

 それはそうだろう。

 だが、女子特有のコミュニティというのは、男子ではまず理解できないようなところがある。

 その、最も悪い面に佳織は晒されてしまったのだ。


「それで、その、なんかすごく嫌になって。それで、勉強頑張って」


 佳織は少し離れたところにある私立中学に進学した。

 もちろん俊夫には教えていない。

 なんで一人で決めたんだ、と責める俊夫に、佳織は「いつも一緒だと思われたくないのです」と言ってしまった。

 本当に、文字通り心にもない言葉だったが――それが致命的だった。

 その後、向かい合わせの家に住んでいながら、かつ家族同士の付き合いはそのままだったにも関わらず、お互い気まずくなって、佳織と俊夫はなんと中学の三年間、一度も顔を合わせることがなかったのである。


「……もしかして、きっかけって時任ときとうか?」


 その名前は、佳織に明確に覚えがあった。

 小学校で、俊夫を縛るな、というようなことを言ってきた女子だ。

 だが、なぜその名前が俊夫から出てくるのか。


「どうして……?」

「中学の時にさ、俺、あいつに告られたんだ。佳織はもういないのだからってな」


 今度は佳織が驚く番だった。

 物好きな、とは思わない。

 俊夫は今も昔も、いつもとても優しいし思いやりがある。

 そんなことは、誰よりも佳織が一番よく知っている。

 一見頼りなさげに見えても、本当は違うし、惹かれる人がいても不思議はない。


「それ、どうしたのです……?」

「別に。断ったよ。確か二年の時だったと思う。その後も何回も来たから覚えてるけど、俺はお前以外と付き合うつもりはなかったし」


 いつから俊夫は、こんなセリフを平然と言えるようになったのか。

 誰かに仕込まれたのかと思いたくなる。

 もちろんそんなはずはないのだが。


 顔が紅潮するのを自覚したが、多分夜だし、見られていないと思いたい。


「わ、私が他の人とすでに付き合ってるとか、思わなかったのですか。あんなこと言ったのに」


 本当は嬉しいのに、出て来たセリフには、いつのも天邪鬼が顔を出してしまっていた。

 しかしそれに俊夫は動じた様子はなく。


「何だろうな……佳織が天邪鬼なことなんて今更だったし、なんか大丈夫だって思ってた。その時は。ただ……」


 そこで俊夫が、初めて照れたように顔をそらす。


「その、中学の間全く会ってなくて、高校で再会したら、佳織、凄く可愛くなってたから……ビビった。それで言うつもりのなかったこと、言ってたし」


 思わず佳織は吹き出してしまった。

 それが、あの高校に入って最初の一声だったらしい。

 もう勉強でも負けない、などというセリフを言うあたりは、いかにも俊夫らしいが。


 もっとも、佳織は佳織で、俊夫に対する後ろめたさもあって、どう接していいか全く分からなくなっていた。

 だから、この高校の時間は、必要な事だったのだろう。


「理系の俊夫なのに、短歌を地で行くようですね」

「短歌?」

「瀬をはやみ……っていうあれです。まんまですよ」


 ただ、合流してもしばらくはすれ違いが続いていたのは、お互い意地っ張りだったという事だろう。

 それに対して、俊夫はぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。


「でも、どう接していいか、本当に分からなかったんだよ。一年あんな状態で、もうダメかとは思ったんだけどな……」

「姫様に感謝ですね」

「……うん。会長には、本当に感謝してる」


 生徒会の副会長と会計監査として、一緒にいる時間が増えたことで、少しずつだがお互いの距離を縮めることができた。

 一緒にいる時間が、かつて以上の気持ちを育ててくれた。

 その機会をくれた白雪には、やはり感謝しかない。


「その姫様の恋心も実るといいんですけど」

「やっぱ、月下さん?」

「むしろそうじゃなきゃ驚きますよ」


 いつも『違う』と言い張るから合わせているが、あれはもう明らかだ。

 ただ、あそこまで頑なだと、何か他に理由があるのではとも思えてくる。

 だが、俊夫との仲を取り持ってくれたと言っていい白雪の恋が実らないことなど、佳織は到底許せない。


「学校の連中涙目だろうな……まあ、月下さん相手じゃ話にならないけどな」

「俊夫、月下さんの評価高いですよね。そんなに何度も会ってないのに」

「だってフリーエンジニアで仕事してるってだけでも尊敬するのに、時々話をすると、本当に凄い人だと思えるからな。かっこいいって思うし」


 なぜか俊夫が嬉しそうだ。


「俊夫はあの人に憧れるだけですか?」

「今はな。でも、俺も自分で納得できるエンジニアになりたいと思ってるし、なって見せるさ」


 多分俊夫ならできるだろうと思える。


「頑張ってください。私は……そっち方面は任せます」

「任された。っと、じゃあまた明日……あれ」


 二人の家は向かい合っている。

 だが、唐木家は全く明かりがついていない。

 時刻は八時過ぎ。

 いくら何でも寝るにはまだ早い。


「また、うちにみんな来てるみたいです。俊夫も食事、していくでしょう?」

「だな。母さんもこういうのは事前に言っておいてほしいけど」

「同感です」


 そういうと佳織は、鍵を取り出して自分の家に入り、俊夫が後に続く。

 二人の「ただいま」の声に対して、奥からは楽しそうな返事が、玄関まで響いてきた。

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