第83話 白雪と美幸

 夕食も終わり、片付けが終わったのは八時頃。

 名残惜しいが、もう帰るべきかと思ったところを、美幸に引き留められた。


「兄さんはお風呂入ってて。私はもうちょっと白雪ちゃんと話したいから、ゆーっくりお願いね」

「……余計なことは言うなよ」

「わかってるよ、それは」


 和樹はその返事を確認すると、浴室に消えた。

 まだいてもいいということを嬉しいと思いつつ、今のやり取りにどこか不思議なものを感じる。

 まるでが共有されているかのように感じだ。


「えっと……美幸さん……?」

「美幸でいいよ……って言いたいけど、友達でもさん付けだったね、白雪ちゃん。って、私の方が失礼か」

「あ、いえ、それは構いませんが……」

「じゃ、こっちで話そうか」


 美幸に連れられてきたのは、普段使っていない部屋。

 今は布団が敷いてあるので、美幸はここで寝るのだろう。

 美幸が布団の上に座ったので、白雪もそれに倣う。


「単刀直入に聞くけど、白雪ちゃん、兄さんのこと好きだよね?」

「えっ、て、そ、え、そ、その」


 完全に不意打ちだった。

 二度ほどすれ違っただけで、ほぼ初対面に等しいはずで、そして花見の席でも、これまでと同じように振る舞えていたはずだ。

 だから、雪奈や佳織、朱里らには絶対に気付かれていないはずだというのに。


「うん、その反応で十分過ぎる」

「ち、違います。その、と、とてもお世話になってますので、感謝してますが、決して、そんな、恋愛感情、なん、て」


 言っていて自分で説得力がないのは自覚している。

 多分今の自分は顔が真っ赤だ。

 頬に触れるまでもなく、紅潮しているのがありありとわかる。

 佳織をからかった時を全く笑えないというより、それ以上にわかりやすい反応になってしまっている。

 ただ、この気持ちを和樹に知られるのだけは、絶対に避けなければならない。


「大丈夫。兄さんにも誰にも言うつもりないから」

「え……」

「気付かれたくないって思ってるのは、なんとなくわかるから」


 その言葉で、ようやく落ち着いた。

 思わず、大きくため息が出る。


「なんでそんなに、ってのは不思議だけどね。でも、それはわかるから。でも、隠せてないと思うけど……よく周りは気付かないね」

「それは……その、多分ずっとこんな感じでして……」

「それで気付かない周りが凄いというか。白雪ちゃんって甘えキャラ?」

「そ、それはないと思いますが……」


 実はそうなんだろうかとかちょっと考えてみたが、自分ではよくわからない。

 雪奈辺りに聞いたら、むしろ心配されるか揶揄からかわれるか、どちらかだろう。


「まあ、恋人っていうかもう夫婦って感じだったけどね。でも、さすがに妹としては、兄に好意を寄せてる女の子を見逃すことはありません」


 えへん、とばかりに美幸が胸を張る。

 サイズが同じくらいだな、と思ったのは秘密だ。


 そして夫婦と言われて――照れるより先に嬉しくなった。

 家族の様に見えているのは、とても嬉しい。

 たとえ、時間制限タイムリミットがあるとはいえ。


「こういうとなんだけどさ。兄さんって、ものすごい警戒心強いって知ってる?」

「それは……なんとなくわかります」


 和樹の友人の数はおそらく少ない。

 誠、友哉、朱里以外を聞いたことがない。

 話の通りなら長野に十五年は住んでいたはずだ。

 都会特有の距離感と違う、ある種独特の田舎ならではの距離感は、子供の頃白雪にも記憶がある。


 白雪が住んでいたのは八王子の辺りで、田舎というほどではないが、近所の子たちとはいつも仲良く遊んでいた。

 玖条家に引き取られる際に完全に縁が切れてしまい、もう名前も覚えていないが、家族ぐるみで仲が良かったのは、ぼんやりと覚えている。


 しかし和樹から中学以前の話は一度も聞いたことがない。

 高校時代は、多少エピソードを聞かせてくれたことがある――修学旅行が同じ沖縄だったので帰ってきた後に話が盛り上がった――が、中学以前となると全く知らない。高校時代の友人はいなかったわけではないようだが、そこまで親しい人はいなかったと言っていた。

 そして中学以前のエピソードで知ってるのは、修学旅行に行ってないことくらいだ。


 一人で仕事をしてるということは、顧客との交渉も本人がやっているはずだ。

 しかも和樹は、それらの打ち合わせは対面で行うことも多い。

 であれば、少なくともコミュニケーション能力がないということはまずなく、対人関係に問題が生じやすいという人でないのは明らかだ。

 むしろ社交的と言ってもいい。

 それは、時々聞こえる、オンラインの打ち合わせの様子からも明らかだ。

 にもかかわらず、親しい友人は驚くほど少ない。

 友人枠に踏み込ませること自体が稀な人なのは、間違いないだろう。


「でもね。兄さん、白雪ちゃんのことは本当に信頼してる。それが妹としては嬉しいの。その辺は、今日会った兄さんの友達も同じなんだけどね。ただ、妹としては結構かっこいいと思ってる兄に未だに彼女の一人もいないってのは、さすがに心配になるわけで」

「……今まで、お付き合いした方、いないんですか……?」

「うん、いない。少なくとも私は知らない。大学時代に居たらわかんないけど、高校までは確実にいないと思うよ。ま、兄さん自分に好意向けられるのには慣れてない上に、ものすごい鈍感だしね」


 それを聞いて、少しだけ安心している自分がいた。

 だが、それは全く意味がないことに気付いて、少し気持ちが落ち込む。


「まあ兄さん、背が伸びるの遅かったからね。中学三年の後半で急に伸びて、一気に今くらいになったの。それまで可愛かったんだって。お母さん曰く、だけど。実際アルバムとか見るとホントにそう」

「そ、それはちょっと……見てみたいような」


 小さな和樹というのが全く想像できない。

 そもそも制服を着た彼も想像できないのだ。


「よし、じゃあ……」


 美幸がスマホを出す。

 何をするか分かったので、白雪も出した。

 お互い、メッセージアプリのアカウントを登録し合う。


「ありがとうございます」

「実家になら写真あるから、そのうちね」


 ちょっと楽しみではある。


「でも、確かに兄さん、白雪ちゃんが高校生だからってことで、そう言う関係にはならないって線引きしてるとこはあるけど、白雪ちゃんってもう三年生になるんだよね? 進学するんでしょ?」

「一応、そのつもりではありますが……」

「そしたら別に気にしなくても……」

「ごめんなさい。理由は言えないのですが、そういうことではないんです。だから、絶対に和樹さんには、言わないでください」


 この気持ちを知られてしまったらどうなるか。

 実のところ、白雪もわかっていない。

 応えてくれるのか、くれないのかも見当もつかない。

 ただ、白雪が高校生である限り、彼はその線引きは崩さないだろう。


 では、高校を卒業したら。

 その時は、おそらく白雪は和樹と会うことすら出来なくなる。

 そして、この気持ちを知られて心を残していると思われることだけは、避けなければならない。

 だから、高校卒業と同時に白雪が玖条家に戻るのは、である必要がある。

 少なくとも、そう見える必要があるのだ。


「うん、まあ……言わないって約束したから言わないけどね。でも、これだけは言わせて。私は絶対反対しないし、味方になりたい。兄さんのことを好きになってくれて、ありがとうね、白雪ちゃん」


 美雪の気持ちは、本当に嬉しい。

 これで、玖条家の制約がなければどれだけ心強かっただろう。


「それにしても……なんだけど。白雪ちゃん、この上に一人暮らし……なんだよね。もしかしなくても、凄いお嬢様?」

「あ……はい。一応、そうなります。ちょっと色々事情があるのですが」

「気になって調べたんだけど……玖条家?」


 美雪がスマホの検索画面を見せる。

 そこに表示されているのは、ネット百科事典の『玖条家』の項目。つまり、白雪の実家のことである。


「はい。そこ……です」

「うわ。世が世なら本物のお姫様なんだね」


 もし今も貴族制度が継続していたら、果たして自分はそもそも生まれたのだろうかと思ってしまった。

 もっとも、今は皇家も一般人の妃を迎える時代になってるから、あり得たのかもしれないが、葬式後あのときの実家の対応を考えれば、あり得ないだろう。


「今時……あまり意味はないですし、私はその、少し事情があって普通の家で育ってますので」

「ご両親は……もう、いらっしゃらない?」


 驚いて美幸の顔を見た。


「うん、まあなんとなく分かるよ。いくら白雪ちゃんがしっかりしてても、あそこに一人暮らしは普通はない。両親がいるなら、ついてこない理由はないし、海外にいる可能性も考えたけど、なんか違うなって」


 この辺りの洞察力は、和樹同様というべきか。

 むしろ会って僅か一日で推察してしまうあたりは、和樹以上かもしれない。


「初対面の私が言うのもなんだけどさ。白雪ちゃん、笑っていてもどこか距離を置いてみてるようなとこがある気がしたの。多分周りは誰も気付かないくらいの違いでしかないけど。何か事情があるのは分かるけど」


 そう言ってから、美幸は白雪の手を取った。


「さっきも言ったけど、私は白雪ちゃんの味方。そりゃ、白雪ちゃんが抱えてる問題は、私達が手助けできないようなことかもしれない。でも、力になりたいと思う。それは、兄さんも、それに今日一緒にいた人みんな、きっと同じだと思う」

「美幸さん……ありがとうございます。その言葉だけで、嬉しいです」


 諦めるのは早いかもしれない。

 一瞬そう思わされる。

 それがどれだけあり得ないとしても。


 その時、コンコン、と控えめに扉を叩く音がした。


「おい、そろそろ夜遅い。白雪はそろそろ家に――」

「あ、うん。今日白雪ちゃん私と一緒に寝るから」

「は!?」「え!?」


 そんな話は聞いてない。

 確かにもうお風呂も入ってるし、後は戻って寝るだけという状態ではあるが。


「白雪ちゃん、一緒に、女子トークしよう、うん」

「え、えっと……?」


 扉の向こう側にいる困惑気味の和樹の様子が想像できる。


「白雪、いいのか?」

「えっと……あ、はい。なんか、そういう話に」


 この際と思って、話に乗ってしまった。


「まあ、いいが……。美幸。さっきも言ったが……」

「はいはい。それとも、兄さんも女子トークに混ざる?」

「……早く寝ろ」


 その言葉を最後に気配が遠ざかった。

 少しだけ寂しいと思ってしまうが――考えてみたら、あの正月の時以来のお泊りだ。少しだけ……期待してしまう。


 どうせ春休みだしやることもなかったのだ。

 こういう楽しみがあってもいいだろう。


「えっと……じゃあ、よろしくお願いします……?」

「うん、よろしく。今度は白雪ちゃんの学校の話も教えてね。あ、でもその前に、歯磨きとか終わらせないとね」

「はい、わかりました」


 それに寝るなら、寝間着もいる。

 白雪は、突然降ってわいた思いがけぬ時間に、少なからず心浮き立っていた。

 上手くすれば、和樹が起きる前に起きて、というよこしまな願望も心をかすめたが――。

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