第27話 友人の疑惑

「なあ。最近掃除した?」


 友哉の言葉に、和樹は一瞬焦りつつ、何食わぬ顔で「多少はな」とだけ答えた。


 友哉は法科大学院の卒業はほぼ確実のようだが、司法修習生となる準備でそれなりに忙しい。

 ただ今日は、もうあと二カ月に迫った、誠と朱里の結婚式でのスピーチをどうするかの相談に来ているのだ。

 オンラインでも問題はないのだが、さすがに対面の方が意識は合わせやすい。


 というわけで、およそ一カ月ぶりに友哉が和樹の家に来て、リビングまで入った時の友哉のセリフが、先ほどのものである。


「いや、ずいぶん丁寧にやってるな、と思ってな。普段からちゃんと掃除してるようだけど、逆に徹底した掃除ってお前あまりやらないだろ」


 その通りだった。

 普段から掃除機がけはするし、水回りなどの汚れはしっかり落とすようにしている。

 パソコンなどに埃が積もったりもしないように適度に掃除しているが、普段あまり気にしない場所の掃除、例えばフローリングを徹底的にきれいにする、といったことはまずやらない。

 この家に住んでもう六年近くになるが、窓やサッシなどまでは掃除しても、フローリングを磨いたりする掃除はほとんどしてこなかった。


 なのだが……。


「お掃除させていただいてもいいですか?」


 突然白雪がそう言ってきたのは、先週の金曜日、食事が終わった後のことだ。

 料理と並んで掃除するのが――正しくはきれいになるのが――好きとのことで、掃除させてほしい、というのである。

 和樹としてはそんなことをさせるのは悪いと思ったのだが、白雪の熱意に圧されて了承してしまった。


 その翌日、白雪が和樹の家の掃除に来たのだが、折悪く仕事のトラブルが生じて、和樹が外出せざるを得なくなってしまった。

 間が悪く、白雪がフローリングの掃除のために色々準備をしている段階で、すぐに中止できる状態になかったため――和樹は迷った挙句、白雪に鍵を渡して適当に片づけてくれ、と頼んで外出したのである。


 和樹としては、掃除を中断して帰ってもらうつもりだったのだが、なんと白雪はそのまま掃除を完遂させてしまったらしい。

 十八時ごろに『終わったので帰ります』というメッセージだけ受け取っていて、いくら何でも遅すぎないかとは思ったのだが。

 帰ってきたのは二十時過ぎ。

 部屋に入って唖然とした。

 フローリングや壁と床の境目等、今までなんとなく目に入っていた汚れが、すべてきれいになっていたのだ。

 どこをどうやったら、ここまできれいに汚れが落ちるのだと思うレベルだった。


 結果、誰がどう見ても『徹底的な大掃除をした』と分かるレベルで、部屋がきれいになってしまったのだ。


「ああ、ちょっとまあ気になってな。一部は業者の手も借りたよ」


 女子高生にやってもらったとは、口が裂けても言えない。

 まあ実際、ここまで色々きれいになると気になってしまい、換気扇の分解清掃もその後で業者に頼んだので、嘘は言ってない。


「唐突だな。年末の大掃除だってしてない奴が」

「別に気になった時が掃除のし時だろう。それに、寒い中大掃除って方が大変じゃないか」

「それはそうだがなんかきっかけでもあるのかと……和樹が彼女ってことは……なさそうだしなぁ」

「余計なお世話だ」


 それを言うならお前はどうなんだ、と言い返す。

 学生時代から友哉と出かけて女性に声をかけられなかったことは、多分ほとんどない。

 だというのに、本人はまるで興味もない風だ。

 気になってる女性が友哉に興味を持ってしまい、振り向いてもらえず歯ぎしりした男の数は、和樹が見聞きした範囲でも、片手の指以上にはいたはずである。


「俺は別にいいんだよ。それに一応、まだ学生の身分だしな」

「学生が男女交際してはならないって理屈はないだろうが」

「とにかくいいんだよ。間に合ってる」


 少し言い回しが気になったが、これ以上この不毛な会話を続けても仕方ない。

 部屋がきれいになっているだけで、白雪の存在が知られたわけではないので、和樹もこの会話はここまでにした。

 話題を切り替えてスピーチの相談を開始する。


(まあ別に、白雪のことを知られても困るわけではないんだが)


 表面上は、パソコンやプログラミングを教えている高校生がいるというだけだ。

 家庭教師のようなものだし、謝礼が食事というのが少し違うだけだろう。

 ただ――多分それだけではないから、友人たちにすら知られるのを避けているというのは自覚していた。


 最近は金曜日の授業の予定以外でもメッセージは交換するし、先日の掃除のようなこともある。

 恋人のような近い関係ではないが、顔見知りの知人というよりは近い。

 友人が一番当てはまるのかもしれないが、少しだけ違和感がある。

 多分それは、彼女があの時泣いたからだろう。


 心に深い傷を負った少女。

 そしてそれを八年経っても癒せない環境にいる彼女を、護りたい、と思った。


(やはり娘みたいだと思ってるのかもしれないな)


 結局その認識が一番しっくりくる。


「和樹、どうした?」

「あ、いや。なんでもない。ちょっと考え事をしていた」


 どうやら呆けていたらしい。

 頭を一度振って、思考をクリアにする。


「まあこういう感じかね、スピーチ内容。でもやっぱ俺が加わってからの下り、なくていいんじゃないか。十年来の友人、って方がなんかそれらしいだろう」

「逃げようとするな。というかそれやったら、あいつらから……特に朱里からはこの先永久に文句言われ続けるぞ」


 まさか、と言いかけて、彼女なら本当にやりかねないと思い直す。

 なんなら、ことあるたびに持ち出してねちねち攻撃してくるくらいはやる。

 むしろ確実にやる。


「……真面目にやるか」

「そうしとけ」


 とりあえず文章をまとめて保存する。

 二人それぞれで話すパートの概略をまとめ、あとはそれぞれで肉付けすることにした。


 ふと時間を見るともうすぐ十七時。


「せっかくだし、飲みに行くか」

「俺は苦学生なんだが」

「モデルやってる苦学生な。まあでも、奢るよ」

「そういえば、クリスマスの時の料理の店、思い出せないか?」


 突然話を振られて、一瞬言葉に詰まった。


「……ああ、あれか。すまんな」


 作った人間が誰であるかは確実に分かるが、今更それを言うわけにはいかない。


「そっか。いや、レシートもない個人の店で出張販売してたとなれば、あの駅からはそう遠くないだろうって考えると、その店探してみるのもありかなと思ってな」

「ああ、なるほど……」


 確かにそういう推測はできるだろう。

 実際には近くというかここの一つ上のフロアだ。

 まあ店ではないが。


「まあ適当に探してみるか。そう高い店ではなかったんだろう?」


 どうやら友哉も相当に気に入っていたらしい。

 ある意味悪いことをしてしまったかもしれないと、少し後ろめたい気持ちになってしまう。

 ただ、その日入った店は、白雪の料理と比べても遜色ないくらい美味しかったので――友哉が出張販売してたかを確認したくらい――結果としては、二人とも大満足だった。

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