第5話 白雪の差し入れ
白雪が戻ってきたのは、それから二十分ほど経ってからだった。
考えてみれば部屋に戻っていればよかったのだが、玄関先に突っ立ったままだった。移動するのが難しいというのもあったが。
白雪の服装で一番変わっていたのが、かわいらしい猫をあしらったエプロンを着けていること。
そして、おそらくタッパーがいくつか入ってると思われるバッグを持っていた。
少し見えたところだと、食事が入っているようだ。
「えっと……?」
「これを……お渡ししようと思ったのですが、月下さん、歩くのも大変ですよね」
否定できなかった。
手に何か持って歩くのは、家の中だろうがまだ辛い状態だ。
「あの、上げていただいてもいいでしょうか?」
「え。いや……」
年頃というにはまだ少し幼さを残しているが、それでも女性を家に上げるのには抵抗があった。
まして、女子高生である。
「いや、さすがに良くはないだろう、それは」
「昨日助けていただいた恩返しをさせてください。その、私のためにそんな怪我を負ってしまったわけですし」
それ自体は、気持ちは分かるしありがたい。
ただ、だとしても、とは思う。
「いや、君みたいな可愛い子が来てくれるのは嬉しいけど、さすがに男の部屋に来るというのは」
「何かされますか?」
怖気づくことすらせず、まっすぐにこちらを見てくる。
どうやら全く考えてないわけではないらしいが……まあ確かに、この足で何かできるはずもない。
そして実際、食事に関しては本気で困っていたし、申し出自体はありがたいのは否定できなかった。
「……わかったよ。まあ、この足で何かできるとは思わないしね」
降参、とばかりに一歩下がると、白雪は家に上がり込む。
「どこで食べますか?」
「普通にダイニングでいいよ。そのくらいは、なんとか、ね」
案内も兼ねて、壁に手を着きつつ先に移動する。
白雪は一定の距離を空けてついてくるので、ちゃんと警戒もしているようだ。
いわゆるリビングダイニングになっているスペースは、この家でも一番広く、十二畳ほどの広さがある。
和樹は広さを持て余し気味ではあるのだが、一応来客用のソファとリビングテーブルがあり、その前にテレビ。ソファの隣の壁際には仕事道具であるパソコン。
そしてキッチンのカウンターと隣接する形で、やや大きな四人掛けのダイニングテーブルが置いてある。
「とりあえず、そこで」
ダイニングテーブルを示すと、白雪は荷物を置いて、先に和樹を支えてダイニングテーブルの椅子に座らせてくれた。
昨日から風呂に入ってないし、おそらくそれなりに汗をかいていただろうから、お世辞にも清潔とは言えない状態だったが、特に嫌がる様子も見せない。
ただ、警戒してないというわけではなく、身体が強張っているのは分かる。
それでも手を貸してくれているようだ。
(本当に恩義を感じてくれてるんだな)
勝手に助けただけではあるのだが、助けてよかった、と思う。
座らせてくれた白雪は、そのままキッチンに移動すると、持ってきたタッパーの中身を次々に皿に移していく。
あっという間にごはん、味噌汁、卵焼きに魚の焼き物、副菜として小松菜の和え物という、いかにも日本人然とした朝食が並んでいた。
どう見ても手作りだ。
「……すごいな、これ」
「調理したのは先ほどなので、まだ温かいうちにどうぞ」
その言葉で、作ってあったものではなく、先ほど家に戻ってからすぐ作ったとわかる。
移動時間を考えるとせいぜい十五分程度。さぞ料理の手際のいい親がいるのだろうか。
促され、まずはご飯を一口。
その後魚に手を付けた。
ブリの照り焼きだろう。
たれがよく絡まっており、非常に美味しそうで――実際、一口食べてその味に驚いた。
少なくとも和食系ファミレスなどで出されるそれとはレベルが違う。
「美味い」
思わず口に出ていた。
身はふっくらとしていて、たれのトロみは完璧でブリの身とよくなじみ、素材の味を良く引き立たせてくれる。
これなら、いくらでも食べられるとすら思えるほどだ。
それを聞いて、白雪がわずかに相好を崩す。
「ありがとうございます。人に食べていただくのは久しぶりなので、少しだけ不安でした」
ということは、彼女が作ったのか、と驚く。
てっきり、彼女の親が作ったものだと思っていた。
「いやいや、本当に美味しいよ。ありがとう。なんか怪我も早く治る気がするくらいだ」
「それはさすがにないかと……」
「まあ、そのくらい活力が出る気がするってことだよ。美味しいごはんは活力の源だからね」
小松菜の和え物も絶妙な味付けで、卵焼きはいわゆるだし巻き卵だが、かなりコクのある味わいだ。
僅かに香る風味は、多分ごま油が入れてあるのだろう。
味噌汁もシンプルな豆腐とわかめのそれだが、これだけで感動できるほどに美味しい。
どれも文句なしで、和樹は感想を言うのも忘れて一気に平らげてしまった。
これでけの技量があるのも驚きだが――ふと白雪を見ると、なぜか呆然とした様子でこちらを見ていた。
「えと、玖条さん?」
「あ……いえ。美味しそうに食べていただけて、よかったです。お粗末様でした」
「ああ、うん。本当に美味しかった。ありがとう」
和樹も一人暮らしが長いのでそれなりに料理はするが、いわゆる男の料理であり、このような繊細な味付けは到底できない。
少なくとも、これほど美味しい料理を食べたのは久しぶりだ。
普段は外食してもチェーン店で済ますことがほとんどで、美味しさより値段や手間優先なのだ。
白雪は皿を回収すると、代わりにお茶を置いてくれた。
至れり尽くせりのその対応に恐縮するしかない。
お茶をもらっている間に、白雪は洗い物まで済ませてしまっていた。
「ごめん、全部やってもらっちゃって」
「いえ、恩返しですから」
そういうと空いたタッパーを元の袋にしまい込む。
「まあ正直……助かったよ、ありがとう。食事もどうしたものか、と思ってたから」
「足は大丈夫そうですか?」
「うん。まあ、骨に異常はないのは間違いない。家の中なら何とかなるし、明日には多少歩くくらいは行けるだろうから、大丈夫だ」
「……でも、冷蔵庫、ほとんど何もありませんでした……よね?」
言葉に詰まった。
やはりみられていたらしい。
とても美味しい朝ごはんを食べられたが、今日の昼、夜の食事の目途は全くない。
「いや、まあデリバリー頼むから大丈……」
「今の状態で受け取り口まで行けるのですか?」
再び言葉に詰まる。
行けなくはないが、かなり厳しいのは否めない。
受け取り口はエレベーターとは逆側、つまりこの部屋から一番遠い方にあるのだ。
何気に横に長いこのマンションでは、実は五十メートルほど歩かなければならない。今のこの状態で、食べ物を持って廊下を歩くのはかなり難しい。
この面倒くささゆえに、実はデリバリーを使うのは、友人たちが来るときくらいだ。
「……今日のお昼とお夕食もお持ちします」
「へ!?」
思わず変な声が出てしまった。
「いやいや。さすがにそこまでは」
「私のために怪我して、歩くのすら難しくなっているのですから、それくらいさせてください」
反論しようと思ったが、とっさに思いつかなかった。
確かに、とてもありがたい申し出ではあるが、そこまでしてもらうほどのことか、と思ってしまう。
何か断る理由を、と探すが、何を言っても聞かないという気がした。
「……わかった。じゃあお願いするよ」
ほぼ根負けしたような気分で、和樹は彼女の申し出を受けることにした。
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