第4話 白雪の再来訪

 和樹は目が覚めた時、さぞ足が痛むかと思ったが、思ったよりは痛みは鈍かった。

 ただ足を見ると、やはりというか、大きく腫れ上がっている。

 その割にこの程度の痛みという事は、よほど上手くテーピングされたからなのか。


 時計を見ると、朝の九時前。

 足の痛みであまり寝つきがよかったとは言えないが、それでも日替わり前には寝てたと思うから、ずいぶん眠ってしまった。

 今日は特に予定がないのが助かった。


(とりあえず今日はおとなしくしているか……)


 幸い、湿布はまだあるだろうし、痛みがこの程度あれば、明日には歩けるようにはなるだろう。

 それまでは無理せず――と思ったところで、体の方が強烈に抗議してきた。


「う……腹減った……」


 考えてみれば昨日夕飯を食べそこなっている。

 昨日は仕事に集中していたのもあって、昼食以降何も口にしていないから、軽く二十時間は何も飲み食いしていない。

 食べる方ではないが、成人男性としては標準的なので、さすがに眩暈がしてくるレベルで体が空腹を訴えていた。


 出かけるのは無理だ。

 さすがにまだ足が痛むし、この腫れた状態では靴を履くのも難しいだろう。

 このマンションは駅に近いにも関わらずかなり山の上にあり、マンションの前の道はそれなりに急坂だ。そして店は、いずれも山を下り切った場所にしかない。

 外に食べに行くとなると、それだけで足にかなりの負担がかかる。


 家にある食材で何とかするか……と考えて、ほとんど何も残ってないのを思い出した。

 元々今日は買い物をするつもりだったのだ。

 確か玉ねぎくらいしか残ってなかったはずだ。お米すらほぼ切らしている。

 使ったことがないネットスーパーを頼むにしても、来るのは夕方以降。

 それまで空腹に耐えられるかといえば、ちょっと無理そうだ。

 とりあえず喉が渇いたので、何とか水を飲もうと思って立ち上がる。


「痛たた……まあ、なんと、か……」


 情けないことに、ベッドから立ち上がって寝室の扉に達するまでに十秒近くを要した。動くと想像以上にまだ痛む。

 熱はそれほどないので骨に異常があるということはないのが幸いだが、相当にひどくやったようだ。

 これは医者に行くべきだろうが、普通の外科は今日は休みだし、さすがに救急にかかるほどではない。


 どうにか廊下まで出ると、とりあえずリビングに向かおうとして――インターホンが鳴った。


「誰だ……? 誠か友哉か?」


 たまにやってくる友人を思い浮かべる。

 ただ、彼らとて昔はともかく今は連絡なしで来ることはしないし、数日後に集まる約束をしている。

 それによく考えたら、この音はマンションのエントランスでコールされた音ではなく、扉の前で呼び出しがされた音だ。

 つまり、マンション内の人間、という事になる。


(回覧板……とかなんて、ないよな……)


 マンション内の連絡事項は専用のアプリに通知される。

 一昔前の回覧板のようなシステムは、このマンションには存在しないはずだ。


 とにかく出る必要がある。

 内部のインターホンにもカメラが付いていて、リビングにある受信機かスマホで来訪者を確認できるのだが、今の足の状態だとリビングに一度行くのすら面倒だった。

 そしてスマホは――ベッドに置きっぱなしだ。

 一瞬悩んだのち、和樹は直接玄関に向かった。

 せっかく廊下まで移動してきたのに、ベッドに戻るのが億劫だったのだ。

 直接玄関に行った方が移動距離が小さい。


 壁伝いになんとか玄関までたどり着くと、念のためドアガードをセットして、それから解錠する。

 手のひらほど扉が開き――見えたのは予想もしない人物だった。


「あの、朝からすみません。お怪我はどうかと思いまして」


 昨日、玖条白雪と名乗った少女が、そこにいた。


「いや、まあ……ああ、ちょっと待って」


 さすがにガードをかけた扉越しは失礼だろう、と一度扉を閉じてガードを外すと、もう一度扉を開く。

 白雪はおそらく普段着なのだろう。

 ベージュ色のワンピースに、淡いグリーンの上着を合わせている。

 彼女の髪の黒が映えて、とても美しく見えた。


「ああ、うん。なんとか、歩け……」


 大丈夫、と示そうと思って右足を地面についたが、やはり見栄は張るものではなかった。

 苦痛に顔をゆがめ、しばらく悶絶する羽目になる。


「あの、やっぱり病院に……」

「いや、まあ昨日よりだいぶ痛みは引いたし、骨には異常はないみたいだから、大丈夫。さすがにほら、今日は休日だし」


 あ、と白雪は口に手を当てた。

 普通の病院が今日は休みだという事を忘れてたのだろう。


「あの、でも歩くのも難しいのでは?」

「うん、まあ……家から出るのは難しいけど、家の中なら、なんとか。こうやって玄関まで来れたんだし」


 しかし、白雪はそれに納得してないのか、じっと和樹を見て。


「あの、お食事とか、どうされてるのですか?」


 痛いところをついてきた。


「いや、まあ……何とかなるよ、うん」


 なおもじっと見つめてくる白雪に、和樹は居心地の悪さを感じて目をそらした。


「お食事のあて、ないですよね」


 図星である。

 よりによって緊急用にいつも置いてある即席麺なども含めて、今食料はほとんどない。そして昨日、氷嚢を作ってくれたということは、冷蔵庫の中身をみられている可能性が高く、そうなればほとんど何もないのも知られているのだろう。

 だからこそ昨日はあまりしない外食をしようと思ったし、本当は今日スーパーに買いに行くつもりだったのだ。

 あるとすればデリバリーだが、この足では受取口まで歩くのすら難しい。

 正直にそれを言うのもはばかられ、かといって嘘を言うのもためらわれたため、和樹はバツが悪そうに沈黙してしまった。


「あの、ちょっと待っていてください。すぐにまた来ます」

「え」


 いうが早いか、白雪はエレベーターに向かってしまう。

 止めようにも、足の痛みで歩くのもままならず、その間に白雪はエレベーターに乗り込んで消えてしまった。


「……待て、と言われても……」


 そうひとちるが、それに応える者は誰もおらず、そして和樹はどうしたものかと半開きの玄関の前で立ち尽くしていた。

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