4 存在意義

(こんなにご飯の時、静かだった……?)

 璃朱は微かに首を傾げながら、大広間を見回す。

 目の前に灯黎はいない。烏月の話によればちょっと調子が悪いからいらないらしい。それにしばらくの間は、自分の分はいい、と。

 そして目の前にいて黙々と箸を進める三冴と七瀬の間は、灯黎がいる時より開いている気がした。七瀬は三冴から顔を背けるように乱暴な所作でご飯にがっついている。

「えっと……」

「喧嘩?」

 言い淀む璃朱の横で狛が切り込んでくる。

 七瀬の口から盛大に味噌汁が噴き出した。

「はぁ!? がきじゃあるまいし」

「あ、片方は七瀬なんだ」

 鎌をかけたようだ。狛は淡々と呟きながら漬物を口に運ぶ。

 見事に引っかかった七瀬は露骨に目線を外した。

「灯黎とでもしたんじゃない?」

「お前がげ……なんでもねぇよ」

 三冴に一睨され七瀬は黙りこくる。

 誰と誰に何かがあったかは、璃朱でも理解できた。しかし原因は分からない。

 それが自分だと知らず、璃朱は箸を置く。

「ごちそうさまでした」

「それはようございました」

「そういえば」

 璃朱が問うように口を開けば、七瀬の目が微かに泳いだ。それに気づかず、璃朱は思った疑問を片づけ始めた烏月に投げかけた。

「灯黎ってよくどこかにいなくなるよね」

 自分のことを突っ込まれるかと思っていた七瀬はひっそりと息を吐き出す。隣で飯を食っている原因は顔色を変えず、七瀬の苛立ちを増幅させた。

「……何かな」

「別に……お前だったら灯黎の行方知っているんじゃないか?」

 睨みを効かせて三冴を見れば淡白な返答が返ってくる。

「さすがにそこまでは知らないよ」

「……あっそ」

 また食卓の場に沈黙が落ちる。

(……やっぱり空気重いな……)

 烏月に片づけられ、目の前には璃朱の食器はない。代わりに食後の湯飲みから湯気が漂っている。それを見つめながら、璃朱はここにいない顔を思い浮かべる。

(調子悪いって言ってたよね……お見舞いに行こうかな……)




「灯黎入るよー」

 決めたら決行すべきと、璃朱は大広間から直接灯黎の部屋へと向かった。それぞれ用意された個室は近いところに配置されていたが、他の者はまだ大広間のため、璃朱の周辺は非常に静かだった。

 少しばかり待ったが、物音ひとつせず、璃朱は引き戸に手を掛ける。なんとなく感じた予感に駆られて、主の返答を待たず引き戸を開けた。

(本、いっぱいある……)

 部屋では読書をしていると豪語していただけはある。部屋の半分は本棚で埋まり、それでも入りきらないのか、いくつかは平置きにされ積み上げられていた。

 それを倒さないように気をつけながら璃朱は奥へと進む。

 布団は予感どおりもぬけの殻だった。しかもまだ朝も早いのに、しばらく前から部屋の主はいないのだろう。布団に温もりは全くなかった。

(しばらく自分の分はいいって言ったんだよね……あの席に居たくない、だけじゃないよね)

 布団に触れた瞬間から心音がうるさい。冷たいものが背筋を駆け抜ける。

 一層大きな心音とともに視界が赤く染まる。

 また、あの時の映像が網膜を覆う。皆が死ぬ幻想。

 灯黎も仰向けになって動かない。

 誰もが息を止めている。こんな世界は見たくない。

(だからわたしは……)

 止めたいのだ。それなのに、今、この城はきっと別の方向をそれぞれ向いている。個がある以上、手を取り合って常に仲良くとは難しいのは重々承知している。それでも今の状況は、なんとなく好ましくない。この予知の足掛かりのようにも感じてしまう……。

「……と、とにかく、部屋から出ないと、怒られちゃうよね」

 浅く息を吐き出し、璃朱は自身を抱きしめながら部屋を出ようとする。しかし足元がおぼつかず、積み上げられた書物に足が引っかかり盛大に雪崩が起きた。

(あー……もう……灯黎ごめん)

 下を向くと気持ち悪さが襲ってきて、今すぐにでも出ていきたくなる。それでも人の物を倒しておいて知らんぷりはできない。

 崩れた書物を一冊一冊手に取っていく。指先が震えていた。表紙に書かれた文字はどれも戦術や戦略と書かれていた。

「……灯黎は争いを望んでいる?」

 短絡的だ、と叱咤する。いつかのために備えているのなら自然だ。

そのいつかはきてほしくはない、が。

(なんであの幻想を見るんだろう……)

 もっと明るい未来も視ることができればよかった。あの幻想だけ。

 血濡れた幻想だけが不意に浮かんでは消えていく。

 やはり、通告なのだろうか。それとも――――




「いた! 灯黎!」

 夜も深い廊下で思わす出た大きな声に璃朱は慌てて口を覆う。

 声を掛けられた彼は無視することなく振り返った。その顔はいつもどおりで元気そうだった。

「なんだ」

「あ、えっと……調子、どう?」

「だいぶ良くなった」

「そう、なんだ。あ、でも無理はよくないよ。あ、その、元気出すために今度は一緒にご飯食べよ!」

「……何か聞きたそうだな」

「……っ!!」

 争いを望んでいるの?

 その問いを口に出してもいいのだろうか。

「言いたいことがないのなら、おれは部屋に戻る」

「……どこ、行ってたの」

 踵を返そうとした灯黎の袖を掴む。彼の眉間に微かに皺が寄った。

 無言の美人は余計に怖く、璃朱の口を数秒縫い留めたが、彼女は唾を呑み込んでたどたどしくも言葉を紡いだ。

「烏月が調子悪いって言っていて、お見舞いに行ったらいなくて」

「どこでもいいだろう」

 手を、払われた。

「でも…………」

「……何故お前は籠城の選択をした」

 思わぬ問いに璃朱の口が完全に塞がれる。

 貴方達の悲劇を視てしまったから。

 そんな確定していないことを言いたくは、ない。口に出してしまえは、それが現実に起こりうる気がして何も紡げなくなる。

「問いに答えられないのなら、こちらも答える気はない」

「まって……」

 いかないで。その先は――――――

 いつもの廊下なのに、灯黎の背後は血に染まっているように感じた。

 問わなければ。争いを望んでいるのか。

 止めなければ。

 灯黎の瞳が璃朱を射貫く。初めて見た時は綺麗な紅玉だと思ったが、今は血を溶かしたようでただただ恐ろしい。

 その下につく整った唇がゆっくりと動く。耳だけが冴えきって、その言葉を一字も逃さず璃朱自身に伝える。

「姫取合戦をしない姫は意味がない」

 灯黎の口角が歪にひきつる。

「……じゃないか?」

 璃朱の足が縫い付けられる。問いに見せかけた完全なる否定だった。

(そっちに行かないで。そっちには死しかないよ)

 彼はきっと争いを望んでいる。

 背を向けた灯黎との間に透明な硝子があるような気がして、璃朱はその背を追えなかった。

 どれぐらいその場に佇んでいただろうか。もしかしたら灯黎の背が消えてすぐだったかもしれなかったが、璃朱にとっては時を忘れるほどの衝撃だった。

「せっかく話しかけたのに、あの態度は酷くないかな?」

 いつの間にか三冴が背後に立っていた。口ぶりからして二人の会話を聞いていたのだろう。

 璃朱が返事もできず固まっていると、背後から抱きしめられた。

「俺だったら姫ちゃんを泣かせないのになぁ」

 涙は出ていなかったが瞳を擦ろうとする。と、その手が目に届く前に三冴によってとられた。綺麗な指先が絡んでくる。

「大丈夫?」

 優しい声色で耳元に囁かれる。喋る気はなかったはずなのに、その声にほだされて言葉が璃朱の唇からこぼれ落ちた。

「……わたしは、貴王姫として……存在する意味が、ない……」

「酷いね」

 三冴が同意して頷いてくれる。

「俺が存在理由作ってあげようか?」

「え?」

 腕の中で振り返ると真剣な瞳と目が合った。息が詰まるほどに見つめられている。

「貴王姫じゃなくて、姫ちゃんとして。姫ちゃんの存在理由、俺だったら作ってあげられるよ」

 声色は優しく、真剣だった。いつもの三冴とは違う、本気の言葉だった。

「契りを交わそう」

「それって……」

「何で君のこと、みんな名前で呼ばないと思う?」

 問われて、全く気に留めていなかったことに気づく。確かに皆、『姫』と思い思いに呼んでいる。璃朱の名をその口から聞いたことは一度もない。

 貴王姫だから姫、と呼ばれているのだと思っていた。ただの愛称だと―――――。

「貴王姫の真名を呼べるのは契りを交わした者だけなんだよ。俺は姫ちゃんのそれになりたい」

 真剣みをおびた瞳が細められる。囁く三冴の声色が艶めきを増す。

「君の名を呼びたい」

「契りなんてどうやって……」

「君は真名を呼ぶ許可を出せばいい、ただそれだけ」

 細められていた瞳がさらに細くなり笑みの形を作る。先ほどまでの真剣さは薄まりいつもの三冴の顔になる。

 抱きしめる腕に若干力がこもる。

「あ、それに口づけがあったら俺は嬉しいかな」

 あまりの恥ずかしい発言に璃朱は思わず逃げ出そうとするが、三冴の腕力には敵わない。腕の中に嵌ったまま、三冴の次の言葉が頭上から降ってくる。

「恋人になろう?」

 その提案はやはり真剣でふざけた雰囲気はない。本気で璃朱と契りを交わすことを望んでいる。

「姫ちゃんは俺のこと女っぽいと思っているけど、ほら、普通に男の身体してるでしょ?」

 押し当てられた胸は固く、腕は力強い。

「俺のものになってよ。そしたら存在理由あるでしょ? 姫ちゃんとして」

 三冴の首が軽く傾く。

「それとも貴王姫としての存在理由がほしい?」

 璃朱は腕の中で首を振る。

 貴王姫としての存在理由はこの争いに勝って頂に立つことだ。不戦勝なんてありえない。争いに身を投じなければいけない。見たことはないが、城外には他の貴王姫がいる。

「ね?」

 三冴が優し気な声色で璃朱の返答を待っている。

「……考えさせてください」

 璃朱は三冴の優しくとも芯のこもった瞳から目線を逸らした。

「そうくるかー、いいよ。でも、他に気になる奴でもいた?」

「いないけど……なんとなく。それにびっくりして」

 気になるという言葉に誰かの顔が浮かんでくることはなかった。それでも今の彼には即座に返答できない何かがあった。

「それはごめんね。まぁゆっくり考えてよ」

「はい……」

 三冴は璃朱を腕から解放する。

 璃朱は気恥ずかしさと居たたまれなさに三冴の顔をろくに見られず、彼から逃げ出した。

 璃朱の駆け足の音だけが廊下に響く。

 その音が止んだ廊下で三冴は口角だけで薄く笑った。

「落とせるかと思ったけど、ざんねーん。でもこれで簡単に他の奴になることはないよね」

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