3 独占

「これでは足りないですな……裏に取りに行きましょうか……」

 貯蔵庫を覗きながらぼやいていた烏月は、すくっと立ち上がると迷いない足取りで厨から出ていく。

 その背を見送る一つの影には気づかずに。

 彼女は烏月がしばらく帰ってこないであろうことを確認して、それでも忍び足で厨へと侵入する。まな板の上にあるこれから切られるであろう野菜を捉え、腕まくりをした。

(わたしだって出来るんだから!)

 やらせてくれないのなら強行突破しかない。

「皮むきぐらいさせてほしいよね」

 本音が自然と口からこぼれる。別にできないわけではないのだ。

 整理された台所用品から包丁をとろうとした。が、その前に璃朱の腕を掴む者がいた。顔は見えないがその腕だけで誰が掴んでいるのか悟り、璃朱の身体が強張る。

 おかしい。こんなに早く戻ってくるわけがない。

 璃朱の当初の予定であれば、早くても野菜の半分は切り終わっている頃に戻ってくるはずなのだ。なんなら全部切り終わってから現れてくれたら嬉しいと思っていたぐらいだ。

「何をやっておりますかな、姫様?」

 優しい口調ながら意思の強さが漏れている。ゆっくりと振り返れば、笑顔を張り付けた烏月がいた。

「あ、あら烏月、ごきげんよう? お早いお帰りなのね?」

 そうは言ってみたものの『あ、これは駄目だ』と瞬時に悟る。烏月の表情が一層深い笑みをたたえたと思った瞬間には厨から放り出されていた。

「ちょっとー! わたしにも手伝わせなさいよ! 聞いておりますの烏月!」

「姫様にやらせるわけにはいきません! それに口調が破綻しておりますぞ」

「直したいと思いならここに入れなさい!」

「口調が直るより入れない選択を私は選び取ります。姫様はゆっくりとお寛ぎくださいませ」

「いーやーでーすー! 手伝わせろ烏月! 姫様命令施行するぞ!」

「七瀬みたいな口調はやめてくださいませ!」

「なーんか盛り上がってるね」

 くすくすと楽しそうな低音に振り返れば、三冴が笑顔を向けて璃朱の背後に立っていた。

「……台所から追い出された」

「説明されなくてもなんとなく分かるよ」

 笑みをたたえたまま、三冴は璃朱の肩に手をかける。そのままくるりと方向転換すると有無を言わせず、璃朱を厨から遠ざけた。

「ちょっと! 手伝うんだから!」

「うんうん。その気持ちだけで俺は嬉しいよ」

 璃朱は抵抗してみたものの、三冴は全く力を入れていないように見えたがびくともしない。未練そうに遠ざかる厨を眺めていると、三冴の顔がそれを遮った。

「でも料理は烏月の性分だからね。姫ちゃんはゆっくり湯浴みでもしれくればいいよ」

 そしてさらに笑みを深め顔を近づける。手のひらがどうにか入りそうな距離になったところで三冴はとんでもないことを口にした。

「なんだったら俺も一緒に入ろうか?」

「え!?」

「ほら姫ちゃん、俺のこと女と間違えたしさ、何も問題は」

「問題大有りだろう、この正真正銘どすけべ野郎」

 低い唸りのような声が三冴を遮る。左肩には手がかかり、璃朱の目から見ても素肌に爪が食い込んでいるのが分かるほど力がこもっていた。

「むっつり変態野郎に言われたくないなぁ。それにすけべ野郎は七瀬の称号でしょ」

「お前このまま肩の骨砕いてやろうか」

「きゃー痛いのは勘弁」

 全然反省していない声色で三冴はおどけ、璃朱に視線を合わせる。

「でも姫ちゃんが看病してくれるなら骨の一本ぐらい折れてもいいかなぁ」

「あ、え!? 駄目! だめだめ駄目!」

 狼狽えながら力を込め続ける七瀬の手に触れようとする。くそっ、と言いたげな舌打ちが七瀬の口から漏れて、彼は肩から手を離した。

「姫ちゃんのおかげで助かったよー。あ、湯浴みしてきたら? さっき焚けたみたいだから気持ちいいと思うよ」

「お前がついて行くの禁止な」

「それを決めるのは七瀬じゃないでしょ」

「えっと……」

 手が離れても険悪な雰囲気が解かれる気配はない。睨みあう彼らがまたいつ手を出し始めもおかしくはなかった。

 璃朱はそんな二人をきっ、と見つめる。

(ええい!)

 気合を入れ、息を吸い込み、相手は違えど考えていたことを口に、言葉に出した。

「姫様命令発動します!」

「!?」

 二人の驚いた顔が璃朱に向く。璃朱は三冴を指さし、その命を下した。

「湯浴みをしてきますので、三冴はついてこないでください! 覗くのも禁止です!」

「覗くのも禁止かー残念」

「おい」

「七瀬はわたしが湯浴み中に暴力を振らない!」

 指差しを七瀬に変え命を下せば、三冴は形勢逆転とばかりに鼻で笑った。

「言われてますよー」

「……姫が湯浴み終わったら見てろよ」

「いいですね!?」

「姫ちゃんが言うのなら仕方ない」

「……分かった」

「じゃあ二人とも仲良くしてね」

 念押しとばかりに二人に告げ、璃朱はさっとその場を後にする。無言の二人はその可愛らしい背を見送った。




「七瀬が出てこなければ今頃楽しい湯浴み時間だったかも」

「お前……」

(本気でぶん殴りてぇ)

 璃朱の背が消え、七瀬も退散しようとしたところ三冴から声がかかった。独り言のようにみえて、明らかにこちらに話しかけているを感じ一瞬だけ無視しようとしたが、続く言葉に足を止めざるをえなかった。

「さっきのって嫉妬?」

「は?」

(何言ってんだこいつ)

 意味が解らなかった。誰が誰に嫉妬したというのだ。

「んな訳ねぇだろ」

「そう、ならよかった。じゃあ俺が貰おうかな」

「はぁ?」

 三冴がくすくすと笑っている。しかしその目が笑みの形を作りながらも全く笑っていないことに七瀬は気づいた。

 気づかせるようにその表情を作っているともとれて、七瀬の眉間に皺が寄る。

「姫ちゃんのことだよ。なんか他の奴らにとられるのやだなぁって」

 三冴の瞳に鋭さが増す。宣戦布告だった。

(なんで俺にするんだよ)

「なんで俺にこんなこと言うんだ、とか思ったでしょ」

 心情を言い当てられ、七瀬は露骨に不機嫌を露わにする。止まるんじゃなかったと後悔してももうどうしようもない。きっとここで無視しても三冴は追ってくるだろう。

 彼はまだ言いたいことを言いきれていない。

「そうだよ」

 三冴は七瀬の周りを悠々と歩きながら自身の頭部を指差す。

「姫ちゃんに王冠作ってあけたでしょ」

「あれは狛だ。俺じゃない」

「あれあれ? 俺は狛と七瀬に作ってもらったって聞いたけど」

 嫌な言い方だ。

 七瀬は確かに作ったと言ったら作ったかもしれないが、あくまで狛の補佐だ。あの王冠は狛が璃朱に捧げたいと思ったからできたもので他意があったわけではない。

 三冴の笑みが顔から消える。研ぎ澄まされた眼光は、敵意され感じられた。声だけがいつもの調子で言葉を紡ぐ。

「まぁ真実はどっちでもいいや。それを見てさ、なんか無性に苛々したんだよね」

「知るかよ」

「俺のものにしなきゃ、って思ったんだ。だからそっちにその気がないなら遠慮なくもらうね」

「…………」

 どうぞ、というつもりだったが、喉につっかかり何も言うことができない。

 三冴は言いたいことを言い終えたとばかりに踵を返して、廊下の向こうへと消えていった。

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