戦場

危機

俺は冬山で遭難したときのことを懐かしく思い出していた。

俺は病室のベッドで寝ている。

まだ恭子の術の中だ。

動かなくなって右手をぐるぐる巻きにされ、骨折した左足を吊り下げられて。

「あのときのカイロ」

そう言って恭子は、びりびりに開封したパッケージをセロテープで止めたカイロの袋を取り上げた。

「この空間にまで持ってくるとはね」

「うん。わたしにとっては、大切なものだから」

「俺にとってもだよ」

「ほんと!嬉しい!」

そう言うと、恭子はキスをしてきた。

恭子はすぐに舌を俺の口の中にいれてくる。

俺も舌をたくさん動かして、彼女の舌先と唇の感触を味わう。

恭子が、両手で俺の頬を包み込んでくれた。

彼女のあたたかい手のぬくもりを頬に感じながら、俺は彼女の俺に対する愛情を思いきり感じるのだった。

この瞬間を、もっと味わっていたい。

恭子の舌が、俺の上の歯の奥の襞にまで到達し、くすぐったい。

恭子の手のぬくもりと、唇と舌の感触と、彼女のちょっと甘いシャンプーのような髪の匂いと。全身で彼女を感じる。

ゆっくりと、お互いの存在を感じ合うようなキス。

やがて恭子は舌を動かすのをやめ、口を離した

ふたりの唇と唇のあいだに、ひとすじの液がつながり、やがてはなれて、ベッドのシーツの上に落ちた。


頬を紅潮させ、うっとりした目で俺を見おろす恭子。


「あの雪山の遭難のあと、あなたに彼女がいるって知って、すごいがっかりした」

「そうだったのか・・・」

「うん。テントに一緒に入っていたときに、素敵なひとだな、って思ってたから」

「そうか。すまない」

「謝るのはおかしいでしょ。そのときのあなたは、あの女と付き合ってたんだから」

「まあ、そうだけど」

「だから、遠いのに、また会いに来るって言ってくれたこと、半分は嬉しかったけど、半分は信じてなかったの」

「え?そんなふうに思ってたのか」

「そうよ!ひ・ど・い・ひ・と」

そう言うと、恭子はいたずらっぽく笑いながら、俺の鼻の頭に人差し指をあてた。

「でも、本当に会いに行っただろう。何度も」

「三度ね」

「三回だったっけ」

「うん、覚えてるから」

「そうなんだ。記憶力、いいね」

「だって、大切なあなたとの思い出なんだから。忘れるわけないでしょ」

そこで恭子はまた口をとがらせた。

俺は少しだけうつむく。

「最初は、わたしのことが気になってるから来てくれてるんだと思ったら、まさか軍の戦力になりそうだからって理由で、わざわざやって来るなんて」

「ああ、そうだったね」

「まあ、わたしは、両親から嫌われてたから、別によかったんだけどね」

「・・・」

「霊媒師の娘とはいえ、こんな空間を作れるなんて、確かに、自分が親の立場でも恐れるかも」

「恭子」

「だから、まあ、ちょっと不満だったけど。どんな形であれ、あなたがあたしを必要としてくれたのは、嬉しかった。最初は迷ったけどね、わたしが軍隊に入るなんて。でも、あなたと一緒にいられるならいいか、って。そう思ったの」

そんなふうに思ってたなんて。


だったら、結婚後も望未とたまに会っていたのも、ほんとうに申し訳ないことをしてしまっていたんだな。

望未がどうしても、と引き下がらなかったとはいえ。

「なあ、恭子」

「なに?」

「俺、ほら、動けないからさ。また、キスしたい」

「ええ?なにそれ?」

そう言うと、恭子は嬉しそうに俺に唇を重ねてきた。

思いきり、お互いの顔がつぶれそうなくらいに、唇というか顔を押し付けて。

おまえ、わざとやってるだろ。


俺はほとんど恭子にされるがままに舌を舐めとられながら、雪山で遭難したあとのことを思い出した。



++++++



雪山から列車で首都に戻った俺は、その後、恭子の元を何度か訪ねた。

恭子が言うには三度か。


彼女の霊媒能力は戦場でも役に立つはずだ。

遭難したときには聞きそびれていたが、彼女は通常の霊媒もできるという。

つまり、死体からなんらかの情報を聞き出すことができるわけだ。

やはり俺の読んだとおりだった。

戦場で敵を制圧したあと、死体から敵の位置情報などを聞き出す。

いくらでも彼女の活躍できる場所はあるはずだ。

俺はそう思って、彼女を軍に勧誘した。



++++++



「わたしが軍に?」

「そうだ」

「でも、あたし、そんなに体強くありませんし」

「大丈夫。俺が上のひとに言って、君は特別待遇することにしてあるから」

「でも、戦場に行くんですよね」

「うん。最前線だ」

「そんな・・・詳(つまびらか)さんと一緒にいられるのは嬉しいです。でも・・・詳(つまびらか)さんに、もしものことがあったら・・・」

「ん?・・・俺のことを心配してるのかい?」

「そうですよ!だって、その・・・」

そこでなぜか恭子は俺から顔をそらして、何か考え込んでいるようだった。


そして意を決したように、

「ゆ、雪山で遭難したときに、助けてもらった、大切な恩人が、自分の目の前で、傷つくかもしれないと考えると、耐えられません!」

「俺は軍人だ。戦場で死ぬのは常に覚悟しているし、むしろ本望だ」

「でも・・・わたしは、詳(つまびらか)さんが・・・」


結局、最初に恭子を勧誘したときは、軍に入ることは断られてしまった。

しかし、完全に断るというよりも、保留ということにしておいて欲しいと言われたのだった。


上官からは是が非でも彼女を入隊させろ!としつこく催促された。

特に彼女のことを推していたのがレザー中将、当時は少将だったかな。


なので俺は二度、三度と彼女を訪ねた。

三度目で彼女はオーケーしてくれた。


「わかりました。あたしも、大恩ある詳(つまびらか)さんと一緒にいたいと思いますし」

「遭難のことはもういいよ。俺も君に助けてもらったんだし」

「よくありません!あたしはまだ借りを返してないですし!」

「陰陽(おんみょう)さん・・・」



++++++



長いキスが終わると、恭子はまた話し始めた。

恭子の口の周りは、彼女自身の口紅でところどころ薄くピンク色になっている。

「何度も、敵の死体から、敵の居場所、教えてもらったね」

「あはは、いまその話をするのか」

「だって、あなたの動かなくなってしまった右腕・・・」

俺は包帯でぐるぐる巻きにされた右腕を見た。

肩のあたりの神経を完全につぶされて、俺は右腕を動かせなくなってしまった。

外に出るとき、服の右そでには腕を通さず、そでを風にはたむかせながら歩く生活に移行せざるを得なかった。


俺たちははめられたのだ。

あの作戦で。



++++++



俺の軍での最後の作戦。


それは、装甲車両三台でテロリストの潜伏先に向かっているときのことだった。

わが軍では、敵の幹部がある拠点にいることを察知したものの、上空からの爆撃だけではうまく排除できないと判断し、俺の部隊をつかって幹部殺害の作戦を決行することになった。



先に目標周辺の車両などを航空爆撃で軍が掃討し、俺たちの部隊は装甲車三台で目的地に向かっていた。

しかしなぜか、成瀬だけは今回の作戦に参加しないと要望していた。

どうしても気になることがあると言い、むしろ今回の作戦は中止すべきです!と成瀬は俺に警告した。

理由を聞いたが、彼女は何も答えなかった。

いま思うと、確信の持てない情報で俺の気持ちを惑わすことをしたくなかったのかもしれない。

そもそも俺の一存で作戦は中止できないことではあるのだが。



昼間、岩だらけの砂漠地帯を走行中、我々は敵の攻撃を受けた。


舗装されていない道をゆく装甲車両の先頭に、俺と恭子は乗っていた。

運転手は荒くれ者の竜翔子。助手席に俺、運転席のうしろに麿安未果、そして俺のうしろには恭子が乗っていた。


突如、爆発音がした。

俺はミラーで後方を確認した。

そこには、一番うしろの車両が炎上している様子がうつしだされていた。

中から火だるまになった隊員が出てくる瞬間が。


「みなさん!おりてください!」

何かを感じ取った恭子が叫んだ。

俺たち四人は一斉に外に出た。

車だけが走り去り、遠ざかってゆく。

そこへ、対戦車ミサイルが車の右にあたり、車両は炎上した。

たしか、最初、最後尾の車両にあたったミサイルは、左から音がしたはずだ。

ということは、敵は左右両方にいるようだ。

目標地点までの軍用車両は航空爆撃ですべて撃破したのではなかったのか?

俺はインカムで、「二台目は俺たちの車両の左側に止めて、壁にするんだ!」と指示した。


後方から二台目の装甲車がやってくるまえ、またもや恭子が「あぶない!」と叫んだ。

瞬間、二台目の車両にもミサイルが被弾した。

「恭子!伏せろ!」

「え・・・」

俺は咄嗟に恭子に飛びかかって、恭子とともに地面に落下していった。

二台目の車両にあたったミサイルによって飛び散った破片が・・・


「わああああああ!」


俺の右肩に直撃した。


「しょ、少佐!」

このときの恭子はすでに俺のことを階級で呼ぶようになっていた。


よかった。恭子は、足にちょっとだけの擦り傷を受けただけですんだようだ。


俺は痛みに耐えながら、戦況を確認しようとした。

三台の車両はすべて炎上してしまったが、なんとか俺たちは敵に対して左右の車で壁をつくることができたようだ。


竜翔子隊員と麿安未果隊員が、炎上する車を避けながら俺のもとにやってきた。


「少佐!」

「少佐!傷のお手当てを!」


俺は左手で右の肩をおさえながら、「翔子!安未果!俺のことはいい!行け!おまえらが頼みなんだぞ!」と指示した。

「おう!」

「はい!」

「まだ飛び出すなよ!我慢だ!敵が近づいてきてからがおまえたちの本領発揮だからな!」

「オーケー!」

「ささ、かかってらっしゃいな」

敵の撃ってくる弾が、車両にあたって、カン!カン!と音を立てる。


恭子は俺の両のわきを持ち上げて、敵の的にならないよう、俺の体をひきずって車両の近くまで運んでくれた。

左足の感覚もおかしい。

折れているのかもしれない。

「少佐!わたしのことをかばって・・・こんなことに・・・」

「今はそれよりも、ここからみんなが助かることが最優先だ!」

恭子は、俺の頭を、恭子のひざの上に乗せて、俺のことを見おろしている。

「恭子、俺のことよりも早く、航空支援を!」

「は・・・はい!」

恭子は俺のにぎっていた無線を取った。

「こちらアレス隊!応答せよ!こちら交戦中!全滅に近い状態です!航空支援を!あと、負傷者の救助を!!」

「了解。・・・アレス隊が攻撃を受けている。爆撃を頼む。


・・・・・・・・・


無人機は2分で到着。救助隊は4分後に到着予定だ」

「ありがとう・・・」

恭子は俺の体を抱えながら、無線機をそばに置くと、口をあけて放心状態のように、俺の目を見た。

「恭子!まだ戦闘は続いているぞ!気を抜くな!」

「少佐・・・肩が・・・」


敵の銃撃が一瞬やんだ。

あたりには、装甲車の燃える音だけがぱちぱちと響いている。


「安未果!いまだ!」

翔子が叫ぶと、

「ほーほほ!麿の力、とくとご覧あれ!」

安未果は車両のかげから出ていった。


俺の位置からはよく見えないが、おそらく、いつものように敵をまず安未果が誘惑するのだ。

一瞬だけ、

「おおおおおおおおお!」

と男たちの嬌声がきこえると、


「そこだ!はあ!」


遅れて飛び出した翔子が衝撃波を食らわしたようだ。

俺からはその戦いは見えなかったが、いつもどおりだからだいたい察しがつく。

そうして敵がのびきっているあいだに、ふたりが銃でとどめをさす。

パン!パン!と何発かの銃声。


その間にも、左側の敵からは銃撃を数発受けている。

足音がして翔子と安未果のふたりがもどってきた。

「右の敵はやっつけたぜ」

「あとは左だけですわ」

俺は痛みのせいで息も絶え絶えになっていた。

「左の敵は・・・どうだ?」

「左は・・・」

カン!と炎上する車両に弾の当たる音。

そして・・・


ぶるるるるるるる・・・


空から音が、小さく聞こえてくる。

次第に大きくなるプロペラの音。


恭子の頭上、白い雲の中に黒い物体が二つ、飛行してゆくのが小さく見える。

直後にどどどーん!と鼓膜がやぶれそうなほどの地響き音がし、俺の前の車両の向こう側に、大きな砂煙が一気に広がった。


敵は、歩兵だけだったのか?

砂煙しかあがらなかった。

車両があるなら黒い煙もあがるはずだ。


「終わったのか?」

俺は恭子に聞いてみた。

「翔子さん、安未果さん、戦況を報告してください」


「えーとな・・・」

爆撃されたあとを、車両の陰から確認する翔子。

砂煙でよく見えないらしい。


しばらくの沈黙ののち、もどってきた翔子が言った。


「全員倒れてるみたいだ。こっちの車が全部ぶっ倒れちまったもんだから、油断して全軍突撃してきたのかもしれねえ。ちょっと見てくる」

俺は、「油断するなよ!」と声をかけた。

「少佐・・・すごい汗です」

「すまない、恭子・・・俺はもう、ダメかもしれん」

「そんな!救助隊はすぐに来ます!少佐!弱気にならないで!」


「おーい!将校みたいなやつが倒れてんぞ」

翔子の声がしたと思ったら、直後に走って姿を見せた翔子が、後ろに向かって親指を指しながら言う。


それを聞いて俺は翔子に言った。

「そいつを、こっちに運んできてくれ」

「んー・・・死んでるみたいだけど・・・・・・あ、そっか。おい、安未果」

「おまかせを!」

「恭子、無線機を頼む・・・」

「少佐はそのままでいてください!」

「・・・じゃあ、無線で伝えてくれ。敵の全滅を確認と・・・」

「はい!」

再び恭子は無線機を手に取った。

「こちらアレス隊!敵の全滅を確認!航空支援に感謝します!」

「了解。救助隊はあと2分で到着予定」

「了解・・・」

そうして恭子は脱力して、無線機を放り出してしまったようだ。

両手で、俺の顔を包んでくれる。

俺は意識が朦朧としてきたのか、目をあけるのもおっくうだ。


しばらくののち、翔子と安未果が将校らしいという人物を、頭と足を持って俺と恭子のいる場所に運んできてくれたようだ。

俺は、恭子のひざの上で寝ていてその男の顔が見えない。

が、恭子がその男を見た瞬間に見せた絶句する表情に、見なくても男がどんな状態なのかはだいたい想像がついた。

航空爆撃の直撃を受けたのだから、体がそれなりに残っているだけでも運がいいほうなのだろうが。

「少佐、連れてきたぜ」

俺は、恭子のひざの上に頭を乗せたまま、恭子に指示を出した。

「恭子・・・これは、罠だ。成瀬の忠告を聞いていれば・・・」

「少佐、もうしゃべらないで!」

「そうはいかん。恭子、そいつに・・・霊媒を・・・」

「え?」

「そいつから、誰が首謀者なのかを聞くんだ。翔子。そいつを、恭子のそばに」

「おう!」

そう言うと、再び翔子と安未果は将校らしき男の死体を恭子の元に運んだ。

俺は横目でその男の姿をちらっとだけ見ることができた。

とても、言葉では言い表さない方がいい状態だ。


恭子の前に横たえられた男の前で、恭子は俺の頭をひざに乗せたまま、男に向かって両手をあわせて祈った。


あたりに、車両のパチパチと燃える音と、こげくさい匂いが立ち込めている。


「あなたは、誰にここで待ち伏せをするように頼まれましたか?」


恭子が目をつむったまま、虚空に向かってしゃべる。


死体の男の霊を召喚したようだ。


俺たちには男の霊は見えないが。


恭子は目を閉じ、手を合わせたまま、「少佐。教えるわけにはいかないと言っています」と言った。

よくあるパターンだ。

今までにも何度も恭子に霊媒してもらってきたが、こういう相手の反応に対して使う手はいつも同じだ。


「翔子、メモの準備を頼む」

「おう!」

翔子も慣れているので、話が早い。

「その男の住んでいる住所を教えてもらうんだ。必ず、おまえたちの家族を保護すると、わが軍が保護すると。確実に亡命できると・・・」

「わかりました」


俺たちの戦っている相手は俺たちの国よりはるかに貧しい国だ。霊媒した相手はだいたいこの手に乗ってくる。


恭子はしばらくじっとしていたが、やがて都市名と住所をしゃべり始めた。


それを、翔子がえんぴつで紙にメモしていく。


またしばしの沈黙。


ばらばらばらばら。


ヘリコプターの近づいてくる音だ。


俺はもう、自力では立ち上がれそうにない。


最後に恭子は虚空に向かって「ありがとう」と言った。

恭子が、再び俺の顔を両手で包んでくれる。

俺は薄くあけた目で、恭子の顔を見た。


真上に、恭子の顔が。

太陽の光が、恭子の顔のうしろにあって、逆光で、恭子の顔が、よく見えない。

何かが俺の頬に落ちてきた。


恭子の涙だ。


恭子・・・


「恭子・・・聞き出せたのか・・・誰の指示だったのか・・・」

「はい・・・ラバー少佐でした・・・」

「そうか・・・」

俺は目を閉じた。

「成瀬・・・すまない・・・」


風で、俺の軍服が、バタバタと音をたて、砂ぼこりが顔中にかかる。


ヘリの音が、遠くに聞こえて・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る