お地蔵さん

とても熟睡できるような状況ではなかったが、ふたりともうたた寝くらいはできたらしい。


俺は腕時計を見た。

七時すぎだ。

もう日の出の時刻はとうにすぎているはずだ。

さっきまでの吹雪の音はもうしていない。

俺は半身だけ体を起こすと、ひざ立ちでテントの出口へいき、外を見ようとした。

すぐにテントの中に雪が入ってくる。

雪をかきわけ、俺はそとに出ることができた。


外は。


確かに吹雪はやんだようだが、まだ雪はしんしんと降りつづいていた。

大した量ではない。

太陽は。

俺は空をあおぎ見たが、空のほとんど全面を雪雲が覆っている。

ただ、雲の隙間から、かすかに光が漏れている。

雪雲はそれほど厚くないのかもしれない。

スマートフォンの電源をいれてみようと思ったが、少しでも電池を貯めておきたいので、いまはやめておいた。

さっきもここは電波の圏外だったのだ。

いまいきなり圏内になっているとは考えにくい。


俺は背伸びをした。

いつも鍛えているので体も快調だ。


テントの中でごそごそとする音。

入口から、恭子が顔を出した。

「まだ降ってるんですね」

「ああ。だけど、昨日みたいに大雪じゃないよ」

「はい」

「ただ、ここがどこなのかわからない」

あたりを見回してみるが、ここはもはや登山道ですらないようだ。

周りを木々に囲まれている。

「あの、音がします」

恭子が何事かを言う。

「音?」

「はい。水の音です」

そうか?俺には聞こえないが。

「行きましょう!」

そう言うと、恭子はテントの中へ戻った。

俺はテントの中へ首をつっこんだ。

「おい、水の音がするってのは、ほんとなのか?」

「はい。水の流れる音です」

それは、まさか・・・

「まさか、川の音が聞こえるっていうのか?」

「そうかもしれません」

「いや、沢はまずいよ!」

「わかっています」

「・・・わかってると言ったって・・・」

「感じるんです!」



++++++



俺は恭子のあとをついていくしかなかった。

他にいくあてなどなかったからだ。

恭子と俺は荷物をまとめると、木々のあいだを抜けて進んでいった。

といっても、長靴でずぶずぶと積もった雪をかきわけながらの行軍である。

あまり進軍スピードは速くない。

本来なら元の道を引き返すところだが、周りには道らしいものは何もなかった。というより、雪で埋もれてどこが道かもわからない。

手すりや階段、ガードレールなどがあればそこが道と判明するが、そんなものはどこにも見当たらなかった。


恭子の言うとおり、徐々に水の音が大きく聞こえてくるようになってきた。



・・・・・・



川だ。


ゆるやかな傾斜の川がある。凍ってはいないようだ。

流れが早すぎるのか、それとも、思ったより気温が高いのか。


俺と恭子はしばらく川の流れを見ていたが、やがて恭子は川下へ向かって歩き始めた。

「おい!沢を下るのは危険だ!」

登山で沢を下るのはご法度だ。

その先に滝があって足止めを喰らう可能性が高い。

もしも滝をおりることができたとしても、その先にさらに急なくだりの断崖絶壁が待ち構えていることもある。

そこから周りを登ろうとしても、周りも崖だった場合、その場所に登山者は取り残されてしまい、そのまま餓死するか、凍死するということが多いのだ。

「大丈夫です!感じるんです!」

「い、いったい、何を感じるっていうんだ!」

そこで恭子はぴたっと足を止めて、俺のほうを振り返った。

「あたしは、霊媒師です」

「へ?」

彼女のあまりに唐突な発言に、俺は思わずのけぞった、というか、足を一歩うしろに下げてしまった。

「霊媒師?」

「はい」

「そ、それは・・・・・・な・・・何を言ってるんだ、君は?」

「この先に、小さなお墓があります」

「墓・・・!?」


こんなところに墓?

きびすを返した恭子は、またどんどん歩いてゆく。

「その墓で、何をしようっていうんだ?」

「道を聞きます?」

「え?」

墓にひとがいるというのか?

まさか。

こんな誰もこないような、ろくに道もない場所にある墓で、しかも今日みたいな雪の積もっている日に、墓参りしているひとでもいるというのか?

「その墓にひとはいないと思うぞ」

「はい」

俺の声を聞いてもどんどん進む恭子。

そこで恭子は歩くのを止めた。

俺もそれにならっと止まる。

「ありました」

見上げると、そこには。



あった。


確かに。

小さな墓、ではなく、墓地があった。

とても小さな、数件の墓と。

二体の地蔵。

その先は、地面がない。

おそらく崖だ。

というか、その崖の手前に木製の手すりがあって、崖から落ちないように配慮されている。

手すりがあるということは、明らかにひとの手の加えられた場所だ。

ただ、崖とこちら側をさえぎる手すりは、俺から見て左側のみで、右側の手すりは途中で途切れている。

その右側からは、ひと際大きな水の音がしている。

もしかすると、その奥に滝があるのかもしれない。


地蔵がいるということは、過去にここで、子供も遭難したということなのだろうか。


そこで俺ははっとした!

墓があるということは、誰かが墓参りしている可能性がある。

ならば、そこに道が・・・



・・・・・・



道は、見当たらなかった。

いや、雪がなかったら、もしかしたら、道は見つかったのかもしれないが。

この積雪で、道なんてものは見つけられなかった。




恭子は・・・



恭子は、一体の地蔵の前に片ひざをついて座り、目を閉じた。

両手を、顔の前であわせ、うつむいている。


恭子はしばらくそうしていた。


沈黙。


遠くのほうから滝なのか急流なのかわからないが、大きな水音だけがやたらと耳朶に響く。


よく見ると、いま俺たちのいる場所は、周りから見て谷になっているようだ。

つまり両サイドはそこそこの勾配のある坂だ。

崖というほどではないが。


手を合わせるのをやめると、恭子は立ちあがって俺のほうへ近づいてきた。


そのとき、恭子の横顔に、日の光が当たった。

恭子の右の髪に、朝日が照らされ、鼻の左側に鼻によってできた長い影が伸びてゆく。


「わかりました」

少しだけあごをあげた恭子の右目に朝日があたり、瞳がきらりと光った。

「なにがだい?」

「この手すりに沿っていけば、途中で登山道に合流するらしいです」

「らしいって・・・誰かに聞いたようなことを・・・」

「あのお地蔵さんが教えてくれました!」

恭子は子供っぽく、口を大きく横に開いて笑顔で答えた。

「・・・え、え?」

俺は何を言われているのかよくわからなかった。

「えっと・・・霊媒師って、そんなことできるの?」

「いえ、霊媒師は死人を呼び出すことはできますけど、基本は死体から呼び出すのであって、お地蔵さんから聞くなんてできません」

「基本は?じゃあ、君は、基本じゃないことをしたってこと?」

「あ、そうですね。そういう言い方でいいと思います」

恭子は嬉しそうに俺を見上げている。

「お地蔵さんと、話したってこと?」

「まあ、そんなところです」

し、信じられん・・・



++++++



俺たちは手すりに沿って歩いていった。

しかし手すりはすぐになくなった。

不安になった俺は先を進む恭子に聞いてみた。

「ここから先は、どうすればいいんだ?」

「お地蔵さんはまっすぐ進めば登山道に出ると言っていました」

「しかし、登山道も雪に埋まってるかもしれないだろ」

「・・・」

その質問に恭子は答えてくれなかった。

俺はただ、彼女についていくしかなかった。

それにしても、雪をかきわけて進んでいかねばならないので、思ったよりも体力を削られる。

俺も恭子も、お互いに息があがっている。

しかもさきほどの墓地からここまでは、ずっと登りなのだった。

雪はまだちらちらとだが降っている。


ここで体力を減らすより、体力を温存して救助を待ったほうがいいのでは?とも考えたが、さきほどスマホをオンにしてみたら、まだ電波の圏外だった。


下を向きながら歩いていた俺に、上から恭子の声が降ってきた。

「ありました!!」

「え?」

道か?



・・・・・・



遠くのほうに見えたもの、それは・・・




立て看板だ!


雪の少し積もった看板が、看板の裏側が見える!


看板があるということは、登山道の案内板だ!


案内板があるということは、そこは登山道だ!


俺は走った。

恭子も走った。


そして・・・


看板に書かれてあった文字は。


「←頂上

登山口→」


そこには、登山道とわかるような、木々のあいだにくねくねと木のない部分があり、さらにその先には手すりが見えた。



「やったぞおお!」

「やりましたね!」

「いや、でも、まだ喜ぶのは早い」

「はい。気を引き締めて!」



道の先を行き、手すりのあるところまで行くと、さらにその先で下り道にさしかかった。

下りはずっと手すりが続いていた。

下に集落が見え、奥には、冬山の雄大な景色が広がっていた。

一面真っ白の世界だ。

なんとかこれで、下山できそうだ。



「あーあ。頂上からの景色、見たかったなあ」

唐突にそんなことを言う恭子。

「君さ、昨日、何時ごろに登山開始したの?」

「えーっと、午後の二時です」

「はあ!?君、正気か?」

「えー?でも、走ればすぐだろうと思って」

「そもそも登山は午前中から始めるのが基本だぞ!」

「そうなんですか?」

「はあ・・・まあ、雪が降らなかったら、君も遭難しなくて済んだかもしれないけどな?」

「『そうなん』ですかあ?」

と、恭子はわざとらしく口を真ん丸にあけて小首をかしげ、口元に右手人差し指をあててみせた。目は上を向いて。

俺はバカバカしくなって彼女を無視し、スマートフォンの電源を入れてみた。

電波を示す棒が一本だけ立っている。通話の圏内に入ったようだ。

登山口のひとから、戻ってこない俺たちのことを心配されている可能性がある。

登山では通常、登山口で登山届を出すからだ。

緊急用として連絡先も記入する必要がある。

なので電話することにした。



++++++



結局俺たちは自力で登山口まで戻ってくることができた。


そうして登山口の横に設(しつら)えられた施設の二階にある喫茶店で暖を取ることにした。

窓の外が見えるカウンター席に、俺と恭子はお互い横に並んで座った。

さっきまで登っていた山が目の前に広がっている。


携帯電話で通話していた恭子がなにやら電話に向かって謝っているのか喧嘩しているのかわからないような話をしたのち、電話を切った。


「はあ」

とため息をつく恭子。

「ご両親かい?」

「いえ、妹です。あたし、両親とは縁が切れてるので」

「縁が・・・」

「ええ、そうなんです・・・」

何か事情があるのだろうと察し、俺はそれ以上聞かないつもりでいた・・・


・・・のだが。


「さっき、お地蔵さんに道聞いたじゃないですか」

「ん、ああ、そうだね。あのおかげで助かったよ」

「本当ですか?じゃあ、あたし、詳(つまびらか)さんに借り返すこと、できました?」

「借りって、まさか」

「カイロ貼ってもらったことです」

「あのね。カイロ貼るのなんて貸しのうちに入らないよ」

「いやです、そんなの。あたしはちゃんと借りを返したい!」

強情なお嬢さんだなあと、俺はちょっとあきれた。


外ではまだちらちらとわずかに雪が降っている。


「それで、話のつづきでしたよね」

「ん?なんだっけ?」      

「お地蔵さんに道聞いたときのことです」

「借りは返したってこと?」

「いえ。あたし、霊媒師なのに、あそこまでの力があるので、両親から気味悪がられちゃって」

「そうなんだ」

なんかちょっと気まずい話題だな。

彼女はたんたんとしゃべってるけど。

「だからまだ縁がある肉親は、妹だけなんです」

「そっか」

俺は運ばれてきたコーヒーをすすった。

「コーヒー飲めるんですね。おとなですね」

「君もおとなじゃないか」

「わたしはジュースしか飲めません。お子ちゃまなんです」

「お子ちゃまって」

俺はおかしくなって笑ってしまった。

彼女はオレンジジュースをストローですすっている。


そこで俺の携帯電話が鳴った。


画面を見ると、望未からだった。


俺は恭子に背を向けて、電話口に手をあてて回りにあまり聞こえないように小さな声で話した。

「やあ、望未。すまんすまん。ちょっとな、訓練中に電波の届かないところで一晩夜営したんだ・・・・・・・・・やえいってのは、まあ外で宿をとるってことかな。うん・・・うん・・・悪かった悪かった。こっちは大丈夫だから。・・・・・・うん。ごめんな。またすぐあとでかけ直すから、いまちょっと上司もいるしさ。勘弁してくれよ。・・・・・・うん。じゃあ」


俺は電話を切ると、ふう、と一息ついてスマートフォンの画面を閉じた。

「だれからですか?」

「ん?まあ、ちょっとね」

「彼女さんですか?」

「うん、まあね」

「ふ~ん、彼女、いるんですね」

「うん、まあ」

そこで会話は途切れてしまった。


何か、しゃべる話題はないものだろうか。

「訓練中って、どういうことですか?」

また恭子のほうから話しかけてくる。

「ん?いやまあ、訓練みたいなものだから」

「遭難がですか!?」

「ああ・・・『そうなん』です」

「もう!真面目に答えてくださいよ!」

「まあ、あまり詳しくは・・・」

そこで俺はあることを思った。


この恭子という女性。

わが軍の貴重な戦力になるのでは?

我が国は現在テロリストを支援する国家と紛争中だ。

成瀬、翔子、安未果のように、軍で役に立ちそうな能力を持っている者は誰でもほしいところだ。

テロリスト集団に先に見つけられても困るし。


「なあ、陰陽さん、連絡先、教えてくれないかい?」

「え?いいんですか!」

なぜか恭子は両手をあわせて満面の笑みになると、席を立ち上がってしまった。

よほど嬉しかったのだろうか。

「今度、またこっちに来る機会があったら連絡するよ」

「はい、お待ちしてます!」

そう言うと、恭子は深々とお辞儀した。

それから、

「あの、このカイロ、もらっていっていいですか?」

「え?」

恭子は、横に開封されて穴のあいた「10時間持続します」とかかれたカイロのパッケージと、さきほどまで自分で体に貼っていたであろうカイロ本体を手にして言った。

「いや、それはもう君のものだから。別に俺に断る必要はないよ」

「ほんとですか!嬉しいです」

「さてと、じゃあ、そろそろ行こうか。俺はほんとうは今日のうちに首都に戻らないといけないんだ」

「そうなんですか・・・遠いですね・・・」

「さっきも言ったろう?必ず君に会いに来るさ、だから、遠くても大丈夫」

「はい!必ずきてくださいね!!絶対です!絶対!」

恭子はお地蔵さんに祈っていた時のように両手を体の前で合わせると、俺のことをまっすぐに見つめた。

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