まさかの

・・・・・・



・・・・・・




望未の舌を噛み切る準備をしていた俺だったが、一向に望未がキスをしてくる気配はない。




俺はなおもまぶたをぎゅっと閉じている。




いったい、どうなってるんだ?




俺は、おそるおそる、薄目を開けた。




・・・・・・




え?




・・・・・・




俺の目の前に、人が立っている。




それは・・・




俺は思い切り目を開けた。




「きょ、恭子!?」


「あなた。ごめんなさい・・・」


恭子。つまり俺の妻は、なぜか、両目に大粒の涙を溜めている。


が、口元には、優しい微笑をたたえている。


「ど、どういうことなんだ!?」


俺はわけがわからなくて混乱していた。


い、いったい・・・


それに、恭子のその姿は・・・





緑の軍服!


やっぱりそうだ。


恭子は俺と一緒に戦場に出て、そして・・・


そこで恭子は俺のそばまでやってくると、しゃがんで、視線を俺と同じ高さにしてきた。

恭子が顔を寄せる。


「あなた・・・」

恭子の両頬を、それぞれ涙が筋になって流れてゆく。

「恭子・・・」

「ごめんなさい。あたしのわがまま、たくさん聞いてくれて」


恭子がさらに俺の顔に近づいてくる。

俺の鼻先と、恭子の鼻先がくっつきそうだ。


「でもずるい。あんな女とキスしてたんだね」

「え、あれ?おまえ、知らなかったのか?」


恭子がしゃべるたびに、あたたかい吐息が、俺の口まわりにかかる。


恭子は鼻先で、俺の鼻先をつついた。

恭子の鼻が、あたたかい。


「知らされてないもの、別に」

恭子は口をとがらせすねた口調で言う。


そして恭子は、今度は鼻先で俺の鼻の頭をこすった。

こすれる鼻が、また、あたたかい。


「きょ、恭子。くすぐったいよ」

「ごめんね、あなた。舌を噛み切らせようなんて、そんな苦しいことをさせるなんて」

また鼻の頭で俺の鼻の頭をこする恭子。

「そんなことさせたくなくて・・・」

そう言うと、恭子は唇を、俺の唇に重なるぎりぎりのところまで近づけてきて、

「ごめんなさい」

ささやくように言うと、恭子の吐息が、俺のくちびるの先全体に広がった。


俺も、次第に、息が、荒くなるようだ・・・

恭子は、今度は恭子と俺の鼻の頭を完全にくっつけ、俺のおでこの上に恭子のおでこをくっつけてきた。

「大丈夫よ。これは当時のことを再現してあるだけだから」

そう言うと、今度は俺の左耳のほうへ恭子の唇が移動し、

「あなただって、最初からずっと、痛みは感じてないでしょ?」

俺の耳元で恭子は小さくささやいた。

「あなた・・・」

恭子は左手で、俺の右頬に触れた。

あたたかい。恭子の手が、あたたかい。

「やっぱり、痛みを感じないように、君が空間を作ってくれてたんだね」

「うん」

「ありがとう」

「ありがとうって・・・」

そう言うと恭子は俺の頬に添えた左手はそのままに、自分の口元に右手をあてて、くすくすと笑いだした。

「こんなめちゃくちゃな空間に連れてこられたのに、ありがとうって」

「自分でめちゃくちゃ、って、わかってるのかよ」

「そりゃ、そうよ」

「いや、でも、痛くないようにしてくれたのは、助かったよ、本当」

「ふふふ」

「それにしても、この時期はまだ、結婚してなかったのに」

「なのに、なに?」

また恭子がおでこを、俺のおでこに当ててくる。

「『あなた』って呼び方は、変じゃないか?」

「そお?じゃあまさか、当時と同じように呼び合うわけ?」

恭子は両手で包み込むように俺の髪を撫でた。


俺は、恭子のうしろにある、机の上のカイロのことも聞いてみることにした。


「あのカイロ。ずっとあるよな」

「ああ、やっぱり気が付いてくれてたんだね」

「そりゃわかるよ。俺の書斎にずっと置いてあるやつだもん」

「大切な思い出だからね。あなたとあたしの」

「ああ」


俺は、彼女と初めて出会ったときのことを思い出した。

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