舌を・・・

間違いない。

あのとき、成瀬の次に病室にやってきたのは・・・


近づいてくる足音。

「じゃああん!アレスくん!来たよ!」

やっぱり、望未だ。

俺は、何も言わないでおいた。

そうだよ、こいつだ。

確か、このあと・・・


「大変だったねえ。

それでさ、これからも、会ってくれるんでしょう?」

そう言うと、望未は身をかがめて、俺に顔を近づけてきた・・・



・・・・・・



「恭子!!!いるんだろ!!」



「え!?」

俺の気迫に表情を一変させて後ろに引き下がる望未。

望未のことなど、この際どうでもいい。



「恭子!俺を、成瀬との再会に戻してくれ」



恭子の声は聞こえてこない。



「アレスくん・・・なにを言ってるの?」



「たのむ!恭子!この女はこれから俺にキスをするんだ!おまえだって、そんなの見たくないだろ?」


「はあ?アレスくん?」


俺は体をうまく動かせないので望未のことはよく見えない。望未が怪訝そうな声をあげているのは聞こえてくるが、心底どうでもいい。



上から幽霊みたいな恭子の声が病室内に反響する。

「戻ってどうするというんだい?」

「成瀬に、望未との対策を聞くんだよ」

「対策?」

「成瀬なら、この局面を打開する策を、提示してくれるはずだ」


恭子はそれ以上何も言わなかった。


「アレスくん?頭でもおかしくなったの?」


俺は望未のことはとにかく無視した。



そこでまた、ぐるぐると目の前の光景がゆがんでいった。

めまいがしそうで、また目をつぶる。



++++++



しばらくして目を開けると、そこは同じ病室だった。


がらっ。

病室のドアが開く。

足音が近づいてくる。

足音は、ひとつだけじゃないぞ。


「少佐」

俺は首を持ちあげて、成瀬のほうを見た。成瀬は緑色の軍服を着ている。とても小柄な成瀬が着ると、子供がおもちゃの軍服を着ているみたいだ、と、遠くから見ていつもそう思っていたっけ。

「あ、君は!!」

「お義兄さん」


さきほどと同じく、あすかちゃんも一緒だ。


「あすかちゃん!さっきのやり取りは覚えてるかい?」

「え?あ・・・はい」

「成瀬!いまここにいる君は現実世界の君じゃない!俺の妻、恭子が作り出した、この異空間の中でのコピーなんだ」

「少佐。それはさっき、こちらのお姉さんからお聞きしました」

成瀬が表情ひとつ変えずに言った。


「そうだったな!成瀬!君とあすかちゃんがここに来たのは二度目なんだ。さっきループしたばっかりなんだ」

「お、お義兄さん!?いきなりそんなこと言っても、成瀬さんは・・・」

「ふむ。少佐の言うこと、うそでないということだけはわかりました」

「成瀬。このループというのはな、俺の妻の恭子の誤解を解かないといけないんだ。誤解を解くのに失敗すると、ループするんだ」

「では、わたしとあすかさんと話しているときも、何か誤解が生じたのですか?」

「ちがう。おまえたちとは一度もループせずに終わった。問題は次だ。次に会ったやつがここに来た瞬間に、恭子に言って頼んだんだ。

おまえたちともう一度話すために、おまえたちと出会うときに戻してくれって」

「戻してくれ?」


「え、次にこの部屋に来るひとと何かあって、ループしたんじゃないんですか?お姉ちゃんに、お願いしたんですか?なんのために」

あすかちゃんが割って入る。


「成瀬。単刀直入に聞く。このあと、望未という女が来る。バカな俺が、ずるずると関係をつづけていた女だ」

「はい」

「その女は病室に入ってきた瞬間に俺にキスをするんだ」

「えええ?いきなりですか?」

あすかちゃんが素っ頓狂な声をあげ、両手で口元をおさえてしまった。

「ふむ。なるほど」

成瀬はいつもどおり冷静だ。

「恭子にそのシーンを見られたら、間違いなくループ地獄だ」

「顔を背けても、ダメそうですか?」

「おそらくは。だって俺、右手が壊れちゃってるし、見てのとおり左足も動かせないんだぞ。こんなベッドに固定されてるような状態で」

「寝たフリもダメですか?」

「ダメだろう、と思う」

「じゃあ、舌を噛み切ってしまえばいいですよ」



・・・・・・



・・・・・・・・・・・・



え?




え?




「成瀬。いま、なんと?」



「舌を噛み切ればいいんですよ」



横で成瀬と一緒に立っているあすかちゃんは、一歩下がって成瀬の背中を、口を閉じて真顔で見ている。

ドン引き。


「あ・・・あの」

「舌を噛み切る。それで奥さんを納得させられることができるでしょう」

「そ、そこまで・・・」

「そこまでする必要があるなら、しなければならないかと」

「しなきゃダメなのか?」

「少佐。少佐の目的は、奥さんの作り出した異空間から抜け出すことですよね?さきほどあすかさんからお聞きしました」

「あ・・・あはは」

「ですので、その目的を達するための、手段を問うている場合ではないかと」

「そ、そんな・・・」

「では少佐。失礼します」

そう言って、成瀬はすたすたと病室のドアのところに行った。

「な、成瀬・・・」

俺の呼びかけに応じることなく、成瀬はドアから出て行った。

あとに残されたあすかちゃんは、口を半開きにして、ただただ俺のほうを向いているが、視線が合うことはない。

「どうしよう、あすかちゃん」

そこであすかちゃんは天井を見上げて、きっ、と表情を引き締めて、言った。

「お姉ちゃん!もういいかげんにして!!」


あすかちゃんがそう言った瞬間、また空間がゆがんだ。

俺は咄嗟に目をつぶった。



++++++



しばらくして目を開けると、やはり同じ病室内だ。


今の話を聞いて、恭子はどうしたんだろう。

今までとは明らかに違うタイミングでの空間のゆがみ方だった。



がらっ

扉の開く音。


近づいてくる足音。

足音は、俺の動かない右手ではなく、ベッドの周りを回って、まっすぐに左手の側にやってくる。

「じゃああん!アレスくん!来たよ!」

望未だ。

このあと・・・望未は、キスをしてくる。


「大変だったねえ。

ねえ、これからも、会ってくれるんでしょう?」

そう言うと、望未は身をかがめて、俺に顔を近づけてきた・・・


俺は息を飲んだ。


体を動かせない俺は、望未のキスを完全に避けることは、できないだろう。


ならば、舌を、噛み切らなければならない・・・



「少佐。目的は明確に、です」



そうは言っても、成瀬。



これは恭子が作り出した異空間であり、ここにいる人間たちは俺と恭子とあすかちゃんを除いて、全員が実体を持たない個体だ。


それでも。


そんな。


ゆっくりと望未の顔が、俺の顔に近づいてくる。


そんなこと、しなければ。


望未は両目を閉じた。


しなければ、いけないのか!!


望未の顔が、俺の視界を、さえぎる。


俺は、思い切り強く目をつぶった。

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