少佐への思い
がらっ。
病室のドアが開く。
足音が近づいてくる。
あれ?足音は、ひとつだけじゃないぞ。
だれだ。
「少佐」
俺は首を持ちあげて、声の主のほうを見た。
成瀬だ。
成瀬は緑色の軍服を着ている。とても小柄な成瀬が着ると、子供がおもちゃの軍服を着ているみたいだ、と、遠くから見ていつもそう思っていたっけ。
「あ、君は!!」
「お義兄さん」
そこには成瀬とともに、あすかちゃんが立っていた。
「あすかちゃん、今までどこに!」
いまのいままで忘れていた。
この空間は俺の妻であり、あすかちゃんの姉である恭子が作り出したもので、あすかちゃんもこの異空間に巻き込まれたのだった。
「この病院の中です。今回お姉ちゃんが作り出した空間はかなりせまいみたいです。この病院だけしかないのかもしれません」
「そんなに小さい空間なのか!?」
「窓の外を見てください」
そう言われて、俺は窓のほうを見た。
そういえば、窓の外が真っ白で、何も建物が建っていない。
「前回の学校では空間が広すぎて、お姉ちゃんはお義兄さんのことを常に見張ることができませんでした。なので、今回は学習して小さな空間にしたみたいです」
「な、なるほど・・・って、あの、成瀬はなんで、あすかちゃんと一緒にいるの」
「少佐。だいたいのことはこちらのお姉さんからお聞きしました」
「え?」
「声をかけられたんです。にわかには信じられませんでしたが、彼女がうそをついていないことはすぐにわかりました」
「あ、ああ、そういうことか」
成瀬は相対(あいたい)している人間がうそをついているかどうかを瞬時に見抜く能力を有している。
成瀬とあすかちゃんはもともとまったく知らない者同士だが、成瀬はすぐにあすかちゃんの真意を見抜いたようだ。
「そしていま、おふたりのお話を聞いて、おふたりともうそをついていないことが、よくわかりました」
「なるほど」
「少佐。今はどういう状況なのですか」
「どう、と言われても。どう説明したらいいんだろう。あすかちゃん、それは、成瀬に説明してないの?」
「お義兄さん。そこまで説明するほどの時間はありませんでしたよ」
「え」
「大変でしたね。何度もループして」
「あ」
そうか。あすかちゃんは恭子の術に巻き込まれてるから、俺と同じタイミングで何度もループしてるのか。
「あすかちゃんこそ、俺のせいで、何度もループしてしまって。大丈夫だったかい?」
「特に問題はありません。それより、お義兄さんがどんな状況なのかわからなくて、それが心配で。またお姉ちゃんに振り回されてるんだろうなって」
「いや、はは・・・」
「わたしもループする間にいろいろ考えたんです。なんとかしてお義兄さんを助けたくて。それで何度もループしてる間にいろんな場所に行ってみたんです。そしたら、あるところで成瀬さんとお会いできて。それで、成瀬さんなら、わかってもらえるんじゃないかと思って」
「すごい!それはナイス判断だよ」
「でも、成瀬さんにループしてることを説明するだけで精一杯でした」
「わかった。じゃあ、それは俺が直接説明するよ」
「少佐」
「成瀬。えっとな・・・ああ、どこから説明したらいいんだ」
「急がなくてもいいのですか。その、説明ですが」
「ああ、大丈夫だ。翔子と安未果はなんとか回避したからね」
「翔子と安未果・・・竜隊員と麿隊員のことですか?」
「あ、ああ、そうだ」
そうか。前の学校のときは部隊のときの記憶は共有されてなかったけど、ここでは戦闘で負傷した俺の見舞いにくるって設定だから、成瀬もあすかちゃん以外のみんなのことはわかるんだな。
++++++
俺はここまでの経緯を成瀬に説明した。
「少佐。詳細についてはわかりました。ですが、なぜ少佐の奥さんはこんなことをするんでしょうか」
「え?あ、それは・・・」
成瀬は、髪のかかった目の隙間から、まっすぐに俺のことを見据えてくる。
ちゃんと理由を話さないと許してもらえないような雰囲気、というのでもなく、ただ純粋に目的のために聞き出す必要がある、ということだろうか。
言いにくいが、俺は意を決して成瀬に説明することにした。
本当は成瀬から思いきり目を外して顔を伏せたいところだが、いま俺はほとんど体を動かせないので、それもできなかった。
「俺の浮気が原因なんだ」
「浮気」
成瀬は「浮気」と聞いても表情ひとつ動かさない。
俺は恭子が聞いている前提で、なるべく素直に話すようにした。
恭子の心情を悪くしてはいけない。
目的は明確でなければならない。
俺は望未とのことを成瀬に話した。
++++++
「妻と結婚しているあいだにもその女性と会っていたんだ。妻にはバレていないと思っていたんだが、どうやらそれは俺の思い過ごしだったらしくて・・・
妻には、悪いことをした」
言い訳めいたことは一切言わないように心がけたつもりだが。
恭子はいまのを聞いてどう思ったろうか。
「そうですか。で、竜隊員と麿隊員はやり過ごすことに成功したわけですね」
また成瀬が俺の目を澄んだ瞳でまっすぐに見てくる。
まるで俺の浮気の話にはもとから興味がない、と言わんばかりにさっさと話を進めてしまう成瀬。
「あ、ああ。そうだ」
そこで俺ははっとした。
そうだ。成瀬の次にこの病室を訪れる訪問者。
それは・・・望未だ!
「成瀬、相談があるんだ!」
「はい、どのような」
「あ、ああ」
話の切り替えにもすぐついてきてくれる成瀬。ほんとうに頼りになるやつだ。
「思い出したんだ。ここは俺が戦闘で負傷したとき、実際に運び込まれた病院なんだ。だから・・・」
「少佐。ほんとうに申し訳ありませんでした」
「へ?」
俺が言い終わらないうちに、なぜか成瀬は頭をさげて謝ってしまった。
「わたしは、少佐の部隊が待ち伏せに遭うのではないかと事前に情報を察知していたのです。それなのに、少佐をこのような目に遭わせてしまって・・・」
成瀬は頭をあげ、翔子や安未果のように、拳を震わせている。
どうやら成瀬は俺が腕をつぶすきっかけになったあの戦闘のことを言っているらしい。
「成瀬。それはもういいさ、終わったことだよ」
俺はつとめて笑顔になるよう、精一杯に成瀬に笑いかけた・・・
・・・つもりだったが。
「よくありません!もっとわたしが情報を、確実に!少佐たちが出撃する前に!確実な情報を得ていれば・・・」
成瀬はまっすぐに俺のことを見つめると、めずらしく矢継ぎ早に話した。
成瀬の目から、ひとすじの涙が、成瀬のあごまで到達し、そして、はなれて落ちた。
「成瀬・・・落ち着け。気持ちはわかるが、俺はこうして元気なんだから」
「よくありません!わたしは!わたしは!少佐のおかげで!やっと人としてまともな生活ができるようになったのに!それなのに!」
そう言うと、成瀬は俺の左腕に抱きついてきた。
あ、これは、もしや、まずいのでは・・・
「少佐!少佐!申し訳ありません!わたしがもっと調べていれば!少佐をこのような目に遭わせずにすんだのに!しょうさああああああ!!」
ああ・・・
これでまたループするのか。
しかし、次のループでは、これを回避しないといけないのか。
心が痛むな。
成瀬がどんな表情をしているのか、俺は天井を向いたままだから、わからない。
「う・・・うぐう・・・少佐・・・しょうさあああああああああああああああああああ!!」
子供のような号泣の仕方をする成瀬。
成瀬が、ひととして、まともな生活を、か・・・・・・
++++++
成瀬との出会い。
それは、雨の降りしきる日の、町の片隅においてだった。
その日、俺は隊員ふたりとともに傘を差しながら街の警戒に出た。
この国ではいつテロリストに襲われるとも限らないので、俺たちは全員が私服で外に出たのだった。
街のせまい道へ通ずる角を曲がったところだった。
そこでは、高校生くらいの背の低い女の子がゴミあさりをしていた。
俺がその女の子のことを凝視していると、連れのうち片方の隊員が「中尉どの。行きましょう」と言った。
そのころの俺の階級はまだ中尉だった。
子供がゴミあさりをしているというのはこの国ではありふれた光景だ。
国民は平均的には貧しくないのだが、貧富の格差が激しく、こういった光景はよく見られるのだった。
ただ、俺は女の子の年齢が気になった。
背は低いが、明らかに顔つきは小学生とは違う。
あれくらいの年齢なら、体を売ったりして生計をたてることは、女の子ならできなくはないはずだ。
それすらもやらないというのが気になる。
着ているものもボロボロだ。
俺は女の子に近づいてみた。
「中尉どの!」
背後の隊員の声を無視して。
俺が少女の前に立とうという直前、少女も俺に気が付いたのか、少女は俺に向き直ると、俺のことをまっすぐに見上げてきた。
肩まである髪はずぶ濡れて重そうだ。着ているものもボロボロで濡れている。
俺は両のひざに両手をついて彼女の顔をのぞきこんだ。
「お嬢さん、家には帰らないのかい?」
「追い出された」
間髪いれずに返答する女の子。
「・・・」
俺は、一瞬たじろいでしまった。そこからなんて言ってあげればいいのか。
俺は軍人だから、軍で引き取ってあげようか?そう言おうと思ったが、引き取ったところで、どうすればいいというのか。
「なにか、あたたかいものをご馳走するから、おじさんについておいでよ」
そう言うと、意外な言葉が。
「別にご馳走したくないのなら、ほっといてくれないかしら」
・・・・・・
なにを言ってるんだ、この子は?
「ごちそうしたくない?おじさんはそんなこと言ってないよ」
「わかる」
「え?」
「わたしのこと、めんどくさいって思ったくせに」
「え?」
「どうせ、それくらいの年齢なら体でも売ればいいのに、って思ったでしょ?」
「ば、ばかな!そんなこと、思うか!」
「はいそれ。いま、うそついたでしょ」
「なに!?」
「わたしね、目の前にいるひととしゃべってると、そのひとがうそついた瞬間がわかるの」
「なんだと・・・!?」
「中尉どの!はなれてください!」
俺は背後を見た。
部下のふたりが、ともに傘を捨て、拳銃をかまえている。
「おまえたち!」
「中尉どの!そいつ、テロリストかもしれませんよ!」
「待て!そう決めつけるのは!」
「中尉どの!手遅れになる前に!」
「あのひとたち、すっかりおびえてるわよ。わたしのせいかな」
この女の子は・・・いったい。
「そうね。こんなろくでもない人生。さっさとここで終わらせとくのも、いいかもね」
「そんなことを言うな!」
俺は思いきり怒鳴った。
そこまで言っても、彼女の目元までかかった長い髪のあいだから見える瞳は、まるで動じていない様子だった。
「命を粗末にするようなことを言うな!」
「わたしのこと、知りもしないで・・・」
そこで少女は自分の身を守るように、胸元に両手を置いて身構えた。
しばらく訪れる沈黙。
俺の傘に落ちる雨粒の、あたってはねる音が、耳朶に響く。
「いまの言葉、うそじゃないみたいね」
「え?」
「で、おじさま、ごちそうしてくれるの?」
「ん?・・・」
俺は一瞬、頭がからっぽになったかと思った。
急に素直になった少女に面食らってしまったのだ。
・・・・・・
「おお!いいとも!君はなにが好きだ!」
「わたし、肉が食べたい。新鮮な肉」
「よーし!まかしとけ!」
そう言うと俺は、傘を放り出して、彼女のことをもちあげ、肩車した。
途端に俺の服の両肩がじわっと濡れる。
「わわ!ちょっと!やめてよ!恥ずかしいったら」
「はははは。君は軽いなあ。かわいいなあ」
「う・・・いまの言葉も、うそじゃないみたい・・・ね」
俺は自分でもわかるくらいの満面の笑顔で歩を進めていった。
ふたりの隊員たちは呆気にとられていた。
++++++
ものすごい勢いで料理を平らげていく少女を見て、俺はただ呆然としていた。
部下たちも同じように目を丸くしてただただ圧倒されていた。
少女は肉どころか、店にあるあらゆる食べ物を注文していった。
俺は財布の中身を見た。
うーむ。まさかの大出費だな。
「中尉さん、っての」
少女は口に食べ物を溜め込みながらしゃべる。
「あ・・・ここでその呼び方は、ちょっとまずいので、詳(つまびらか)と呼んでくれるかな」
「つまびらか・・・めずからしい名前ね」
「君の名前は?」
「なるせ。成瀬イシス」
「へえ。いい名前だね」
両親が国際結婚したのだろうか。俺の両親も国際結婚だったから、なんとなく親近感が湧く。
「成瀬さんは、家に帰らないのかい?」
そこで成瀬は食べる手を止めた。
しばらくうつむいてなにもしない成瀬。
俺は、ふたりの部下と顔を見合わせてしまった。みな不思議そうな顔をしている。
「またうそついた」
そう言うと、成瀬はまっすぐに俺のことを見てきた。
澄んだ瞳で、ゆれることのない、なにを考えているのかわからないような目付きだ。
俺は一瞬たじろいだ。
「ど、どういうことだ」
「つまびらかさん、あなた、どうせわたしに帰る家なんてないとわかってるくせに、どうしてわざとそんなことを聞くの」
「なっ!!」
そういえば、さっき、追い出されたとかなんとか、言ってたっけ。
それにしても・・・
俺たちはみんなしばらく黙っていた。
他の客や店員のガヤガヤする音だけが耳に響く。
はあ、と、成瀬と名乗った女の子はため息をつくと、言った。
「こんなだからわたし、両親に気味悪がられちゃって。ずっと家で両親に無視されてきたの」
俺はそういうの、なんか、幼なじみにいたような気がするぞ、と思い出していた。
「・・・ネグレクト・・・か・・・」
「まあ、そんな感じ。最初は我慢してたけど、もういやになっちゃって、家出してきちゃった」
「そうなのか」
まあ、それくらいは、この国では、よくある話だが。
「そしたら、両親の家、戦争に巻き込まれて、ふっとんじゃったの」
「なっ!」
「だから、どうせ無視されてなくても、わたしは帰る家なんてもともとないの」
「そうか」
俺は愕然とした。
「あ、その、君の家というのは、どこにあったんだ?このあたりか?」
「ちがう。わたしの家は、あっちの国にあったの。わたし、森の中をつっきって、この国に逃げ込んできたの」
「なんだって・・・じゃあ」
ソファのとなりに座っている部下が耳打ちしてくる。
「中尉どの。彼女の指差した方向からすると、彼女の家を破壊したのは、まさか・・・」
俺はそれには返答しなかった。
そうだ。
おそらく、彼女の家は、わが軍の攻撃に巻き込まれたと考えるのが妥当だろう。
「大丈夫よ。わたし、あなたたちのこと、恨んでたりしてないから」
まるで我々の話している内容を察したかのような口調で成瀬はそう言った。
++++++
その後、彼女は我々が軍で引き取ることにした。
彼女の背景を知っている俺は、特別に彼女を待遇するよう軍に申請した。
レザー中将は俺のわたした書類にサインすると、ふう、とため息をひとつついてそれを俺に返した。
「詳(つまびらか)くん。いいのかね?もしも彼女が我々のことを恨んでいるか、もしくは敵の間者だとしたら、もっとも近くにいる君が危険にさらされることになるぞ」
「おそれながら、彼女が敵のスパイでないことは、調べによって明らかにされたはずです」
「もちろんそれは承知している。しかし、万が一ということもある」
それもわかったうえで、俺は成瀬のことを引き取ることに決めたのだ。
彼女に刺されて死ぬくらいなら、それもまた本望だ。
その後、成瀬は俺の参謀として、大いに活躍してくれることになるのだった。
++++++
成瀬が俺の腕に抱きついてからずいぶんと経つ。
俺は恭子によってまたループされるんだろうなと待ち構えていた・・・
・・・のだが、いっこうにその気配がない。
どういうことだろう。
恭子は別に成瀬には嫉妬していないということなんだろうか。
ようやく泣き終わると、成瀬は体を起こして両目を両手でごしごしとこすった。
なんか、こういう仕草は、ちょっと子供っぽい。
それからまた、俺のことをまっすぐに見据えてくる成瀬。
目にかかった髪の隙間からは、大いに腫れた彼女の目が。
「少佐。取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
「ああ、いまので成瀬の気持ちが晴れてくれたら、それで俺は満足だよ」
俺は精一杯笑顔をつくって成瀬にこたえた。
それにしても、変だな。
「では少佐。わたしはそろそろ行きます」
「ん?ああ」
それまで所在なさげに立っていたあすかちゃんも、「ではお義兄さん。わたしも行きます」と言った。
「う、うん」
「正直わたし、いまのお二人のやり取り、ヒヤヒヤして見てました」
あすかちゃんが当然のことを言う。
「どういうことですか」
と成瀬。
「いや、成瀬さん、お義兄さんに抱きついちゃったから、お姉ちゃんが・・・その・・・」
「あ・・・」
そこで初めて成瀬が顔を真っ赤にして、直立不動になってしまった。
「少佐!申し訳ありませんでした!!」
「いや、いいって、いまのところ、別に何も起こってないし」
「よくありません!」
「まあ、何もないならないで、別にいいんですけどね」
あすかちゃんは心底ほっとしたようで、深いためいきをひとつついて言った。
「では、少佐。その・・・」
成瀬がめずらしく俺と話しているのに俺の目を見ない。顔も目もまだ赤い。
「失礼します!」
そう言うと、成瀬は俺のことも見もせず、あすかちゃんの体を押しながら、ベッドの反対側に移動し、そのまま部屋をあとにしていった。
・・・・・・
結局ループしなかったな。
ということは、成瀬に関しては、恭子は嫉妬してなかったのか?
恭子は今もこの状況を見てるんだよな。
・・・・・・
まあ、ループしなかったのなら、それはそれでよかった。
さて、次にやってくるのはたしか。
たしか。
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あああああ!しまった!望未だ!
次にやってくるのは望未なんだ!
しまった!しまったしまった!
望未への対策を、成瀬に、助言を請うべきだった!
・・・・・
恭子がこんなことをしている最大の原因は、望未なんだ。
だとしたら・・・
その刹那。
がらっ!
と、扉の開く音がした。
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