5日目・尾行

「少佐、ご機嫌うるわしゅう」

「行こうぜ、少佐」

「少佐、おはようございます」

「あ、ああ。行こうか」

俺たち四人はせまいエレベーターから外に出ると、四人そろって学校に向かった。



学校では相変わらず望未は顔を合わせようとはしてこなかった。

成瀬のいうとおり、目的が恭子の不信を払うことであるならば、この状況は維持したい。

というか、望未からも嫌われたし、翔子や安未果からもベタベタされていないのだから、もうこの空間から出してくれてもいいと思うのだが。


昼休憩が終わり、五時限目が始まると、成瀬は席に戻ってこなくなった。早退して尾行の準備にとりかかるのだろう。


昨日の話のとおり、今日の翔子と安未果は俺に対して変に絡んでくることもなかった。

成瀬の言いつけを守ってくれたのかもしれない。

これでさらに恭子が機嫌を直してくれる可能性が高まったと言えるかもしれない。


六時限目のチャイムが終わると同時に、俺は教室を猛烈な勢いで出ていった。下駄箱では靴をはきかえるときも、靴のかかとを踏んだまま外に出た。

学校から徒歩二分のところにあるマンションは、ダッシュだと三十秒もかからなかった。

俺はポケットから車のキーを取り出すと、素早くプリウスに乗り込み、ブレザーを脱いで、昨晩のうちに後部座席に放り投げておいたウィッグをバックミラーで自分の頭部を確認しながらかぶり、真っ黒な背広を羽織って、サングラスをかけ、車を発進させた。

交差点をいくつか曲がると、早くも学校の正門付近に到着した。

車のミラー越しに正門を見張る。

車の正面を正門に向けると望未に見られる可能性があるので、正門に対しては車のリアを向ける。

目視で正門が確認できる場所だ。


望未はまだ出てきていないのだろうか。

実はそれもわからないのだが、なにしろ家が徒歩二分のところにあったので、望未はまだ下校していないかもしれない。

ポケットのスマートフォンを取り出すと、ハンドルの右側にあるドリンクホルダーを取り出し、そこへスマホを立て掛けた。

成瀬からの連絡はない。

成瀬はうまく変装して学校に潜り込めたのだろうか。

いまになって考えてみれば、別にそんな面倒なことしなくても、翔子や安未果に正門までだけでも尾行させればよかったのではないか。

まあ、それだと警戒されることを恐れて今回の作戦をたてたのかもしれないが。

成瀬は用心深い。


ミラー越しに正門を見ていると、まばらに出てくる生徒の中に望未を見つけた。

スクールカバンを肩にかけて悠然と歩いている。

望未は俺と同じマンションに住んでいる。

もしもまっすぐ帰るなら、いま自分が車を停めた方向に向かってくるはずだが。



望未は俺のいる場所から遠ざかる方向に、つまりミラー越しに見ている俺からは真後ろに向かっていった。

ミラーに見えるのは望未の背中。

やっぱりどこかへ行くらしい。

俺は車を発進させるとUターンして望未を追いかけた。


といっても、相手は徒歩だ。すぐに追い付いてしまうので、いちいち路肩に車を停めて追う必要があり、なんだか不自然だ。

それにしてもこの車。エンジン音が静かだ。これだと望未に尾行だと気づかれる心配は少ないだろう。

もしかすると、成瀬はそこまで考えてこの車を選んだのかもしれない。


しばらく歩いていた望未だったが、彼女が向かった先は、


「あ、やばい」


駅だ。


望未は改札を抜けると、中に入ってしまった。

こんなとき、どうすればいいんだっけ。

俺はあれこれと軍の訓練時代のことを思い出した。たしか、ふたり体制で尾行する場合は・・・


そこでスマートフォンの画面が光った。

成瀬からの連絡だ。

俺はプリウスを路肩に停めると、すぐコールに出た。


「もしもし」

「少佐。対象者は電車に乗るようです」

「君は望未のそばにいるのか」

「そばにはいません。少し離れた場所から見張っています」

「あ、ああ。そうだな。どっち方面か、わかるかい」

「繁華街からは外れる方向みたいです。すでに停車中の車内です」

「そうか。俺は、どうすればいいかな」

「少佐は次の駅に向かって車を発進させてください。どの駅で降りるかはわかりませんが、降り次第また連絡します。次の駅で降りなかったら、それはメッセージします。その次も降りなければまたメッセージします。これを繰り返します」

「わかった」

「降りた駅から先は、少佐はそのまま車で尾行してください」

「了解。君は?」

「わたしは徒歩です。必要であればタクシーでも拾います」

「わかった」

「では。もう発車するみたいですので」

「頼むぞ」

俺がそう言い終わるか終わらないかのタイミングで電話は切られた。


合理的。


彼女にぴったりの言葉だな、と思う。



++++++



信号機に引っかかることが多く、なかなか次の駅に近づけない。

ドリンクホルダーのスマホが光る。

通知欄に「次の駅では降りませんでした」と表示が出た。

となると、さらに次の駅に向かわないといけない。

俺はハンドルの左側に設(しつら)えられたカーナビの地図で「拡大」のボタンを押すと、次の駅の位置を確認した。

ここからほぼ一直線の場所にそれはある。

俺は信号が変わるとアクセルを踏み込んだ。


またスマホの画面が光る。

通知欄に「降ります」の文字。

俺はあたりを見回してみた。

コンビニ、ドラッグストア、ハンバーガーショップ、ガソリンスタンド、そして遠くのほうにでかいショッピングモールの看板らしきものが見える。

どこにでもある地方都市のロードサイドの風景だ。

望未はこんなところで何をしようというのだろうか。

駅に近づくと、望未の姿が遠くから視認できた。

そして望未は、歩道に横付けしてある白のセダンの助手席に手をさしのべ、ドアを開けた。

乗る瞬間に、運転席にいると思われる人物にたいして手を振っている。

白のセダンは俺からは後方しか見ることができないので、運転席に誰が乗っているのかはわからない。


セダンの後方ランプが赤く点灯すると、直後にランプが消え、すぐに発進していった。

俺もあとを追うべく、ギアをドライブにいれた。

成瀬はあの車を追えているのだろうか。

もしも成瀬が俺に気がついてくれたら、そのまま拾っていくのだが。

いや、成瀬はタクシーでも拾うといっていた。

成瀬のことを信用してこっちは対象者を逃がさないようにしないと。


俺は車で車を尾行する際の手順を思い出そうとしていた。

たしか、信号待ちですぐ真後ろに着くのはまずかったはずだ。

信号で止まるたびに同じ車が真後ろにいたら、警戒されやすくなる。もちろん真横はダメだ。

真横だとこちらのことを見られやすいからというのもあるが、急な車線変更をしてUターンでもされたらすぐに撒かれてしまう。

なので信号待ちの際は、あいだに一台はさんで追跡するのが定石、だったと習った気がする。


ある信号待ちの際、対象車両に対して斜め後ろから運転席を確認しようとしたが、席はすべて黒のスモークガラスになっていて、中を見ることができない。運転席の人物が誰なのか、まるでわからない。


そのまま車は片側二車線の道を進み、あるところで歩道に乗り上げ、左折していった。


その先には、でっかいメルヘンなお城のような建物。


一時間3000円と書かれてある。



・・・



ラブホテルか!



俺は歩道のところで車を停めて一時停止したまま、そこから動けないでいた。

おいおい、いったいどうすれば・・・


白のセダンは、垂れ下がったのれんをシュレッダーにかけたみたいなびらびらを抜けると、ホテルの中へ消えていった。


仕方ないので俺もそれにつづく。

俺のプリウスものれんをくぐると、中は地下駐車場のような形状のスペースになっていた。上がホテルだろうか。

そこにさきほどのセダンが。

俺は車を停めるフリをして、セダンから降りてくる人物を確認した。


が、望未はいつもどおりだが、もうひとりの人物はサングラスに、口元は市販の白いマスクをつけている。


おいおい、あれじゃ、誰かもわかんないじゃないか。

俺は背筋に嫌な汗をかいていた。

そのままふたりはエントランスの自動ドアを抜けて、中に入ってしまった。


仕方ないので俺は車を外に出した。



++++++



ホテルの隣に建っていたコンビニに車を停めて見張りをつづけることにした。

片側二車線の道だ。ここなら出てきた対象車両をすぐに追いかけることができる。

コンビニの駐車場に車を停めたところでスマホの画面が光った。

「対象者の写真を撮りました。念のため出てくるところもおさえます」

成瀬からだ。

写真を撮った?俺は当然の疑問を聞いてみた。

「運転席の男は顔を隠していたけど」

しばらくして返信が。

「サングラスを外す瞬間と、マスクを外す瞬間は撮れました。同時に外したところはいまのところ撮れていません」


マジか。

いったいどうやって。

というか、成瀬はいまどこにいるんだ。


また成瀬から返信が。

「少佐はもうご自宅に戻ってください」

すぐに返信しよう。

と思ったが、このまま俺がここにいても無駄な可能性のほうが高そうだと思って、俺は彼女のいうとおりにした。



++++++



自宅に着くと、俺はカーテンを開けて向かいのマンションを見た。

恭子がこちらを睨んでこなくなってもう何日経ったろうか。

まあ、カーテンの隙間から見ている可能性はあるわけだが。


なんだか今日は疲れた。

俺はシャワーを浴びると横になった。



++++++



ピンポーン♪



俺は寝ていたらしい。

チャイムの音で目が覚めた。

目をこすりながらインターホンで外を見ると、そこには成瀬が立っていた。

俺は玄関まで行くと、すぐにドアを開けた。


「なる・・・」


俺が声をかけるよりも速く、成瀬は右手に持っていた写真を何枚か俺の顔の目の前に差し出した。

「これが対象者の写真です」

「あ、おお。よく撮れたね」

「これくらいは」

成瀬は相変わらず表情ひとつ変えずに言う。

「少佐。万一ということもありえます。中に入れてくれますか?」

他の人間、最悪、望未に見られかねないから中に入れろということか。

「あ、ああ。すまん」

そう言って俺は成瀬を部屋の中に入れて、キッチンの前にあぐらをかいて座った。

一刻も早く写真を確認したかったからだ。


「えーっと、こいつは・・・」


俺は男の写真のうち、サングラスを外して目の上だけ出ているもの、次いでマスクを外して口元だけ出ている写真を順に見た。


そして・・・



「こ、これは!」



三枚目の写真。


そこに写っていたのは・・・



「織田政宗。わたしたちクラスの担任ですね」



成瀬の声はいつもと変わらないトーンだ。


それは、織田政宗が仏頂面で望未の右肩に手を置いて自分の体に望未の体を寄せて歩いている写真だった。

背後にさっき訪れたラブホテルの名前がばっちりと入っている。

後ろに壁が見えるので、ラブホの駐車場だろうか。

どうやって撮ったのだろう。


「なあ、成瀬。これはいつ撮った写真なんだ。俺が見たときは、男のほうは一度もサングラスもマスクも外さなかったぞ」

「少佐が先に見た二枚の写真はホテルに入る前のものです。いま見てる三枚目は、ホテルから出てきたときのものです」

俺はもう一度、一枚目と二枚目を見てみることにした。

たしかに、一枚目と二枚目は外で車に乗っているときの写真だ。サングラスとマスクをそれぞれ一瞬だけ外した瞬間を逃さなかったものらしい。

そして三枚目はホテルから出てくるときのものか。

「三枚目のは、ホテルから出てきて、気が緩んでるってことなのかな」

「そうですね。油断していたのかもしれません」

「それにしても、望未はなぜ、担任とこんなことを」

「・・・」

それについては成瀬は何も言わない。

「だいたいなぜ恭子はこのことを知ってたんだろうか」

「この空間は奥さんの作り出したものですから。それを知ることくらいは造作もないことだったのでは」

「いや、俺のことを向かいのマンションから監視してないといけないくらいだから、そんな簡単にひとの話を盗み聞くなんかはできないと思うが」

「・・・」

そこから先も成瀬は何も言ってくれなかった。確信が持てないことには何も言わない主義ということか。

成瀬はどこまでも合理的だ。


俺は三枚目の写真から目が離せなくなっていた。

「先生、なんか浮かない顔してるな。望未と喧嘩でもしたのかな」

「それはないかと。だとしたら肩を寄せて歩いたりしないでしょう」

「なるほど。じゃあ、なぜ」

「・・・」

やはり成瀬は答えない。

ここから先は俺自身が調べるしかないってことかな。

一応、成瀬に聞いてみる。

「なあ成瀬。この写真を使って、恭子の機嫌を直すことができるかな」

「どうでしょうか。そもそもこの調査をするよう少佐をそそのかしたのは、奥さん自身ですよね」

「うん」

「その写真を見せたところで、だからなんだ、ということになるのではないでしょうか」

「うーん。ずばり、そうだろうな」

「どちらかというと、奥さんの意図は、『その女はそんなことをしていたんだぞ』と、少佐に見せつけることが目的だったのでは」

「あ、そうか・・・」

それなら筋も通っているが。

だとしたら恭子のやつは、俺がまだ望未に未練を持っているとでも誤解しているのだろうか。

「俺はもう望未のことなんかなんとも思ってないんだけどな」

「それは、奥さんに説明したのですか?」

「説明したも何も、もうとっくの昔に別れたし」

「ですが、奥さんはその女のことで、少佐に対して根に持っている」

「うーん」

どうすりゃいいんだ、まったく。

「やはり奥さんに直接聞いてみるしかないのではないかと思いますが」

「そうだな」

やれやれ。

「それにしても、これは本当にあったことなのかな?」

「と言いますと?」

「現実世界で本当に望未はこいつとこんなことをしていたのか?ってことだよ」

「そうですね。それはわたしも思いました。ですが、この際それはあまり関係ないかと」

「なぜだい?」


「少佐、目的は明確に、です」


「・・・つまり・・・えーと。現実に起こったことかどうかというよりも?」

「奥さんがわざわざそんなものを見せたことの意図のほうが大事、ということです」

なるほどね。

俺は頭をがしがしとかきむしって立ち上がった。

「少佐。その写真ですが、わたしが預かってもいいですか?」

「へ?」

俺は手元の写真にもう一度目を落とした。

「こんなもの、どうするんだ」

「何か役に立つかもしれませんから」

「ふ~ん。そうか」

俺は成瀬に写真を返すことにした。

「じゃあ、よろしく」

「はい。何かありましたら、お任せください」

なぜか、成瀬の、目にかかった髪の毛の奥の瞳が光った気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る