4日目・再び電車に


今日はいつもと違って遅めに学校に行こうかと思う。

望未が家にやってくるかどうか。

それを確かめたいからだ。

まあ、あんなことがあったから、来ない可能性のほうが高いのかもしれないが。

そう思って準備に取り掛かろうとしていると、


ピンポ~ン♪


と、意外にもチャイムが鳴ってしまった。

玄関のすぐ近くにある洗面所にいたので、そのまま玄関のドアスコープから外を確認してみると。


あいつらが立っていた。

成瀬、安未果、翔子だ。


この階に住む望未以外の三人。つまり昨日、というか十時間ほど前まで俺の部屋の中にいた連中だ。

俺は玄関ドアを開けた。

「よ、少佐」

「お迎えにあがりましてよ」

「・・・」

成瀬は何も言わない。

「なんだ?なぜ三人そろって」

「だから、三人で登校すりゃいいだろ」

「は?」

「どうせ今日はこのメンバーで出かけるのだから、それでいいだろう、と成瀬さんがおっしゃいますので」

成瀬の提案?


「少佐。目的は明確に、です」


頭の中で昨日成瀬に言われた言葉を反芻する。


なるほど。確かにこのメンバーがそろっていれば、仮に途中で望未に会ったとしても、そこを恭子に見られたからといって、嫉妬されることもないってことか。何か望未との間に事件も起きないだろうし。

「わかった。すぐ着替えるから、ちょっと待っててくれ」



++++++



俺たちは四人で学校へ向かった。といっても徒歩二分だ。

あっという間に学校に着くと、俺たちはそれぞれ自分の席へと着席した。

遅めに学校に行こうと思っていたのだが、成瀬のおかげで結局早めに登校したので、まだ教室の中の生徒は少ない。

隣の望未もまだ登校していないようだ。

前の席に座っている翔子が俺のほうを振り向いたので、会話でもしようかと構えると、


トントン


と、誰かに肩を叩かれた。

振り向くと、

「え、恭子!?」

なんと、そこには妻の恭子が立っていた。


今まで教室の中ではまったく目も合わせようとしてこなかった恭子が、なぜ、急に。

「な、なんだよ・・・」

あまりに突然のことに、俺はそれ以上の言葉を発することが出来なかった。


長い髪を左手でぱさっ、とたくしあげると恭子は言った。

「あなた、明日の放課後、そこの隣に座ってる女のこと、尾けてみてよ」

恭子は腕組みしながら望未の席のほうをあごでくいっと指すようにして言った。

「・・・それは、つまり・・・」

「尾行しろってことよ」

「尾行!?」

「面白いものが見られるから」

「え、あ、ちょっと」

俺は何か言い返そうとしたが、恭子は踵を返して自分の席へと引っ込んでしまった。

明日の放課後だと?

そこで何が見れるというんだ?

望未とのことで恭子はもう許してくれるかどうかを聞く予定だったのが、逆に彼女に機先を制せられるかっこうになってしまった。



++++++



その後も休憩時間に何度も恭子のほうを見てみたが、相変わらずあいつは俺と視線を合わせようとすらしない。

明日、何が起こるというのか。

それを見てからじゃないと、恭子は望未とのことを許してくれないのだろうか。

隣の席をちらっと見たが、望未も望未で俺のことを見ようともしない。

俺は何度もあの言葉を頭の中で反芻する。


「少佐。目的は明確に、です」


そう。これでいいのだ。

あくまで俺の目的はこの空間から出ていくこと。

そのためには、妻の、恭子の機嫌を損ねる行為はご法度ということだ。

だからこれでいいのだ。


俺は頭をあげて、教室の一番前の入口付近の席に着席している成瀬のことを見た。

成瀬は頬杖をついて教科書をじっと見ている。前髪が目にかかっていて、どんな目つきをしているのか見えない。

「おい、詳(つまびらか)!集中しろ」

「え、あ」

背後から先生である織田政宗の声。

今は授業中だった。

織田政宗。

武将みたいな変な名前の先生だったよな。



++++++



放課後を知らせるチャイムが鳴ると、いきなり翔子がガタっと大きな音をさせて椅子から立ち上がった。

「よっしゃあああ!競争だああああ」

言うが早いか、翔子は猛烈な勢いで教室を出て行ってしまった。

俺をふくめ、他の生徒は皆一様に呆気に取られている。

みんなにとってはなんのことかわからないだろう。

俺も急ぐことにした。

「あ、少佐!お待ちになって!」

うしろで安未果の声がするが、どうせすぐ追いついてくるだろう。


正門までダッシュすると、そこにはすでにあすかちゃんと翔子、そして成瀬の姿もあった。

成瀬とあすかちゃんはいったいいつ教室を出たのか。教室の出口に一番近いところにいたからここに来るのが早かったのかな?

「やあ、みんな、早いね」

「おうよ。お、安未果のやろうも来たぜ」

振り向くと、ヨタヨタと安未果がこちらに向かってくるところだった。

「みなさん早いですわね。麿は走るのは苦手ですのよ」

「ぎゃははは。まろちゃんはのろまだな」

また翔子が安未果を挑発する。

「なんですって!このゴリラ女!」

「なんだよ、ヘビ女」

ああ、また始まってしまった・・・

俺が頭を抱えていると、成瀬だけひとりで歩き始めてしまった。

「あ、おい、成瀬」

「少佐。行きましょう」

成瀬は振り返りもせずに歩き続けている。

「行きましょうっつったって。おまえ、どこに行くか知らないだろ」

「昨日、電車に乗るということだけは聞きました。なら、向かうのは駅以外にないでしょう」

「あ、ああ・・・」

俺は面食らってしまったが、それ以上にあすかちゃんはビックリしたようだ。目を丸くして成瀬のことを凝視している。

「あの、お義兄さん、彼女、何者ですか?」

「ああ。あいつも俺の軍時代の部下だったんだけど。すごいやつでね」

「へえ」

「とにかく、行こう」

「はい」

俺とあすかちゃんは急いで成瀬を追った。

「お、おい、俺様を置いてくなよ、少佐」

「お待ちくださいまし、少佐」



++++++



駅のホームに着くと、この前と同じように一番先頭の車両に乗った。

夕方といえば通勤時間帯のはずだが、やはりこの前と同じく乗客数は少ない。

「通勤時間帯のはずだけど、ずいぶん客が少ないね」

俺はあすかちゃんに尋ねた。

「はい」

「反対方向の電車は通勤客が多いのかな」

「いえ、それはないと思いますよ」

「なぜそう言えるの」

「さっきの駅の、反対側のホーム、お客さんぜんぜんいなかったじゃないですか」

そういわれれば、確かに。

ちょうど列車は次の駅に着いたが、ここでも乗車してくる客は少なかった。また反対側のホームの乗客もほぼ誰もいなかった。

「お姉ちゃんの力。やっぱこれだけ広い世界を作ってしまったので、それほど細部までは作り込めてないんだと思います」

「ふ~ん、そんなもんか」

「さっきからなんの話してんだ?」

電車の吊り革をふたつ持って体操の吊り輪みたいな姿勢で懸垂をしていた翔子が話に割って入ると、それにはあすかちゃんが応じた。

「翔子さん、それは、これからわかります」

「昨日も少佐がそんなこと言ってたが、俺様にはなんのことかさっぱりだぜ」

「まあ、黙ってついてこいよ、翔子」

「へいへい」

そう言ってまた翔子は吊り革で懸垂を始めてしまった。

成瀬と安未果は隣あって座っている。

が、成瀬は目を閉じてじっとしているが、安未果は周りをきょろきょろと見回している。


「いったい、何が始まるというんですか?」


電車が次の駅を発車すると、この前と同じようにあすかちゃんはスクールカバンから鉄のハンマーを取り出した。

それを見た安未果は「え、え??」と、明らかに狼狽している。

そして俺も背中のリュックサックをその場におろすと、家に置いてあった革の手袋を取り出した。これは現実世界でも俺の部屋に置いてあったものだ。

この手袋が置いてあったのも恭子のなせる技ということなのか?

俺とあすかちゃんはそれぞれ車両の進行方向に向かって車両の左右に別れ、窓に向かってそれぞれハンマーと拳を振り上げた。

「「少佐?」」

翔子と安未果の声がハモる。

次の瞬間、俺とあすかちゃんは窓を割った。俺は手袋をはめた拳で窓ガラスを殴り割った。

窓に残ったガラスの破片を拳で全部はがし、あすかちゃんは拳法使いのようにして足でガラスの破片をさばいていく。

わずかに車内にいる他の乗客は口をぽかんとあけて呆気に取られている。

電車の進行方向を見る。遠くのほうに、漆黒の闇が見える。

今回は俺を含めて全部で五人いる。

五人もいると脱出するのにも時間を多く必要とするはずなので、早めに出て行ったほうがよさそうだ。

「翔子、安未果、成瀬!窓から飛び降りるんだ!」

「「は?」」

またも翔子と安未果の声がハモる。

「電車の前方を見ろ!」

まだ闇は結構遠いが、空のほうはもうほとんど真っ暗だ。

「なんだよありゃ」

「なに、あれ!?」

「思いっきり飛べよ!電車に巻き込まれないようにしろ!」

俺がそう言うと、成瀬は何も言わずに真っ先に飛んで行った。

あすかちゃんも助走をつけて思い切り跳躍した。

俺もあすかちゃんにつづいて、同じ窓から外に飛び出す。

地面に着地すると、ごおおおおお、と電車の駆け抜けていく轟音が耳に響き、わずかに遅れて風の圧迫を体全体に受ける。

電車の最後尾が俺の横を通過するかどうかというところで、翔子と安未果が左右両方に着地するところが見えた。

うしろを振り返るとあすかちゃんが、さらに遠くのほうに成瀬がいる。成瀬はすでに俺たちのほうへ向かって歩き始めているところだ。

全員無事に脱出できたようだ。

そして、電車は。


漆黒の闇の中へと消えていった。

その途端に、列車の走る音も消えてなくなった。

「少佐~~!」

翔子と安未果が俺のもとへ走り寄ってくる。

「お義兄さん、お怪我はないですか?」

「見てのとおりだよ。なんともない」

翔子と安未果がやってきた。

翔子はなんともなさそうだが、安未果はぐったりとして、立ったまま両手をひざの上に乗せ下を向いてしまった。安未果だけぜえぜえと息が荒い。

「おい!少佐!ありゃいったいなんだ!?」

翔子は興奮気味に俺に顔を寄せてくる。

「あれが、この世界の果てさ」

「なんだよ。意味わかんねーよ!」

「これがお姉ちゃんの力なんです」

横からあすかちゃんが答える。

「お姉ちゃんって、誰のことだよ」

「それは昨日説明したとおり。俺の妻のことだよ」

翔子は現実世界で俺と、俺の妻・恭子と一緒に暮らしていることをこの世界では知らない。

「ああ、うーん、それは聞いたよ。でも、あの真っ黒なのは、なんなんだ」

翔子が後ろ指をさして聞く。

「ここはお姉ちゃんが作り出した異空間であることの証拠です」

「ああん?」

翔子は両手を腰にあて、いらついて頭をかしげている。

「てゆーか、言ってくれりゃあ、あんなハンマーやら拳やら使わないで、俺様の衝撃波でガラスなんて簡単に壊せたのによ」

それをするにはおまえに説明する時間が長くなりすぎて、手遅れになっちゃうかもしれないだろ、などとは言わないでおいた。

安未果は相変わらず下を向いてぜえぜえと呼吸を乱している。

「ここはな、俺の妻が、俺に復讐するために作り出した空間なんだ」

そうして俺も翔子と同じように漆黒の闇を指さし、

「あれが、その証さ」

「マジかよ~。じゃあ、昨日少佐が言ってたことは本当なんだな」

翔子はその場に座り込んでしまった。

「おい、ここはあぶない。また電車がくるかもしれんからな。そこの道へ出よう」

そう言って俺はみんなをガードレールの向こうにある道に誘導した。

ようやく、ゆっくりと歩いてきた成瀬も俺たちに合流した。

「少佐。ここが現実世界でないことはよくわかりました」

相変わらず成瀬は飲みこみが早い。

「で、少佐。ここにいる我々は、なんなのですか」

「それは・・・」

ちょっと言いにくいことを、成瀬はすぐに察して聞いてくる。

「俺とあすかちゃん、そして俺の妻以外。つまり、君たちは、俺の妻が作り出した実体のない個体らしい」

「はあ?なんだそりゃ?」

と翔子。

「意味がわかりませんわ」

ようやく呼吸を整えた安未果が声を出す。

「つまり、なんといえばいいか。君たちは、妻が言うには、現実世界のコピーらしいんだ」

「んだよお、それ。俺様たち、幽霊ってこと?」

「いや、それは、よくわからないんだが。少なくとも、現実世界の君たちは、今も現実の世界で元気に生きてるってことさ」

「そうなのか・・・と言われても、なんも実感わかねえな」

翔子は腕組みをして頭をひねってしまった。

「少佐。わかりました。で、目的は?」

成瀬は話が早すぎて、こっちがついていくのが大変なくらいだ。

「目的は昨日と変わっていないさ。妻の機嫌を損ねず、妻から俺たちを、この空間から解き放ってもらうことだ」

「おい、そうすると、俺様たちはどうなるんだ?」

翔子がもっともなことを聞く。

「今いったとおりだ。現実世界のおまえたちは、今も元気でやっている。何も心配することはないよ」

「じゃあ、この空間が消えちまったら、俺様たちも消えるってことか?」

「それは・・・」

「少佐。もうわかりました。行きましょう」

そう言って、成瀬はさっさと俺たちに背を向けて元来た道を引き返そうと歩き始めた。

「あ、おいおい」

俺はそう言うと、成瀬を追いかけた。翔子の疑問はそっちのけで。




「少佐。目的は明確に、です」




俺は何度も成瀬の言葉を反芻する。

そうだ。間違えてはいけない。

ここから抜け出すためには、目的をはき違えてはいけない。


前方を歩く成瀬の後姿を見る。

背の低い彼女の銀髪におかっぱのショートへアは、彼女が歩を進めるたびにちょっとだけ揺れている。


そこで俺は今朝、妻に言われたことを思い出し、立ち止まった。

「うわっと!」

いきなり止まったので、俺のすぐ後ろを歩いていた翔子が俺にぶつかる。

「なんだよお、少佐」


「明日の夕方、何があるんだろう」

俺がそう言うと、成瀬が歩を止め、振り返った。髪と髪の隙間からわずかに見える成瀬の青い瞳。


「少佐。なんのことです」

「成瀬。そうだ。恭子に言われたんだよ。明日の夕方、望未を尾行してみろって」

「尾行ですか?」

「ああ」

「奥さんが、そう言ったんですか?」

「ああ」

「それは、少佐から聞いたのですか?」

「ちがう。俺から話そうと思ったら、恭子のほうから話しかけてきたんだ」

「・・・」

成瀬は表情ひとつ変えずそれを聞いていた。

「尾行とは、なんだか穏やかじゃありませんことね」

と安未果。

「なにがあるんでしょう」

あすかちゃんは不安そうにしている。

「わからん・・・」

「少佐。奥さんが未だにこの空間から少佐を出してくれていない以上、奥さんの言うことには素直に従ったほうがいいでしょう」

「ああ、そうだな」

「わたしも行きます」

成瀬はきっぱりとそう言い切った。

「おう、なら、俺様もいくぜ」

「麿も」

「いや、尾行するのに大勢はまずい。あたしと少佐だけで行きます」

成瀬はまたきっぱりと言う。

「ええ、なんでおめえと少佐だけなんだよ」

「そうですわよ。それなら麿と少佐だけでも」

「少佐。異存はないですね?」

と、成瀬はもう決まったことだ、と言わんばかりに俺に返答を求めた。

「・・・わかった。そうしよう」

「ええ、なんでだよおお」

「ずるいですわよ、成瀬さん」

「竜翔子、麿安未果」

成瀬はふたりの名前を呼んだ。

「へ?」

「なんでございますの?」

「あなたたちが少佐についていったらまずいの」

「な、なんでだよ」

「意味がわかりませんことよ」

「昨日話したでしょう?ここですべきことは、少佐がこの空間から抜け出すこと」

「は?」

「話が見えませんことよ」

「つまり、あなたたちが少佐にベタベタしていたら、少佐はこの空間から出ていきにくくなるってこと」

成瀬は表情ひとつ変えずにふたりに告げる。

「少佐の奥さんは、あの宮田望未という女に嫉妬している。でも、現実世界で同居人だったあなたたちにも嫉妬している可能性がある」

「同居人!?」

「麿たちが少佐と一緒に暮らしているっていうんですか?そうなんですの?少佐」

「あ・・・ああ」

「だから、明日の尾行には、わたしが少佐についていく以外ないの」

「それなら成瀬さん、わたしもついていっていいですか?」

と、横から言ったのはあすかちゃんだが。

「いや、やはり人数は少ないほうがいいです」

「そ、そうですか」

成瀬はそれ以降は何も言わず、無言で前を向くと、また歩き始めた。

まあ、成瀬が言わなくても、俺でも相棒を誰にするか決めるのだとすれば、成瀬にするだろう。

彼女はひとの嘘を見破る能力を有しているだけではなく、決断にも迷いがなく、行動も素早い。

「そういうわけだから、竜翔子、麿安未果。あなたたちは今後、少佐に付きまとわないようにね」

「へいへい」

「まあ・・・わかりましたわ」



「少佐。目的は明確に、です」



うん。彼女ならきっと、明日の夕方に役に立ってくれるはずだ。

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