3日目・少佐への恩
俺たちは線路の横を並走している細い道沿いにさきほど電車の停車した駅を目指した。
道すがら、あすかちゃんと今後について話す。
「あの望未ってひととは喧嘩別れみたいな形になったんですよね」
「うん。だけど、俺たちはまだこの空間に閉じ込められたままだ」
「お姉ちゃんには、あの望未ってひと以外のことでは、何か言われてないんですか」
「特にないね」
「じゃあ、まだ他に何かあるのか。もしくは、あの望未ってひとともっと完全に別れないといけないってことですかね」
「もっと、完全に?」
「はい」
「でも、昨日の一件は、君のお姉さんも見てたんだよ」
「うーん、じゃあやっぱり、まだ何か根に持ってるのかもしれないですね」
「それに、この空間の望未は現実世界の望未とは関係ないんだろう?そんなやつと完全に別れたところで、なんの意味が」
「それは、わたしにもわからないです」
「はあ、どうすりゃいいんだよ」
俺はため息をつくしかなかった。
++++++
ピンポン♪
自宅に着いてブレザーを脱いでいるとチャイムが鳴った。
まさか、望未が昨日の復讐にでもやってきたのか?
一瞬、居留守を使おうかと思ったが、意を決してインターホンの画面を見た。
画面に映っていたのは成瀬だ。
俺はほっとして、そのまま玄関へと急いだ。
ドアを引くと、そこには成瀬がいつものように澄んだ瞳で立っていた。
「少佐。ちょっとお話が」
「え、ああ・・・」
どうしよう。部屋に入れても大丈夫だよな。恭子に見られるとまずいだろうか。
「あ」
俺が何も言わなくても、成瀬はそのまま勝手に部屋に入ってしまった。
まあ、いいか。窓のカーテンを開けて恭子にやましいことがないところを見せればいいんだから。
俺は成瀬のうしろについていき、キッチンを抜けて部屋に入った。
窓のカーテンを全開にする。
いない。
恭子は向かいのマンションのベランダにいなかった。
おいおい。今日に限っていないのか。
むしろ、成瀬と何もやましいことがないことを証明するためにも、ベランダにいて欲しいのだが。
それにしてもカーテン全開にして女の子といるところを見てもらわないと困るなんて、いったいなんのプレイなんだろうか。
まあしょうがない。
「少佐。早めに決着をつけましょう」
言われて俺は成瀬のほうを振り返った。成瀬は丸いテーブルの前で正座している。
「決着?」
「奥さんのことです」
「うん、まあ、それはわかるけど。しかし」
望未とは昨日の一件で喧嘩別れのような形になったのだ。
だけど、俺たちはまだこの空間にいる。
ということは、恭子はまだ俺のことを許していないということなのではないか。
あと他になんの手を打てばいいというのだろうか。
成瀬が丸テーブルの前に正座したので、俺はその向かいに腰かけることにした。
「少佐。こういうときでも、目的は明確にしておかなければいけません」
「明確に、か」
「はい」
成瀬は背筋を伸ばして微動だにせず、目元まである髪の毛の間の視線をまっすぐに俺に向けてくる。
「この場合の目的といえば」
「もちろん、奥さんの機嫌を取ることです」
「だけど、これ以上何を」
「まず、奥さんに直接聞くことです」
「うげ」
俺は思わず口元をゆがめてしまった。
「そんな嫌そうな顔をしないでください。一番手っ取り早いのは直接聞くことです」
「しかし、あいつがはっきり言うかな」
「おそらく、素直にどうして欲しいかは、言わないでしょう。素直になれていない可能性が高いと思いますので」
「そうだろう?」
「なので、他の選択肢が必要です」
「というと?」
「気になっていたのですが、この部屋の両隣に住んでいる女性たちは、何者ですか?」
「あ、ああ、それは・・・」
「少佐とやましい関係にあるひとたちですか?」
「いやいや!元の世界では一緒に住んでいたけど」
「同居人だったのですか?」
「いや、そうだけど、妻も一緒だったよ」
「少佐と奥さんと、あのふたりの四人暮らしですか?」
「ん、まあ、そうだね」
「うーん」
そこで成瀬は俺から視線を外して考え込んだ。
しばらくうつむいていた成瀬だったが。
「そのおふたりについても、奥さんが嫉妬していたということは、ありえませんか」
「うーん、まあ、それも考えたけどさ」
「やはり」
「でも、別にやましいことなんてないよ。そりゃ抱きついてきたりするけどさ、あいつら」
「・・・あの、少佐」
「ん?」
「それが嫌だったという可能性は?」
「でも、ただの同居人だったし、妻の前でもしょっちゅうあいつら抱きついてきてたけど、妻は何も言ってなかったよ」
「言わないだけで不満を抱えていた、という可能性は、充分にありえると思いますが」
相変わらずまっすぐに見つめてくる成瀬だが、ちょっとだけあきれたような表情をされている、気がする。
表情の変化が乏しいのでよくわからないけど。
「そうなのかなあ」
「目的は明確にしなければなりませんよ」
「ん。この場合の目的とは?」
「そのふたりのことを、なんとも思っていないと、奥さんに示すことですかね」
「ええ?でも、一緒に住んでたときも、こっちからは何もしなかったよ。抱きつかれたとしても、こっちから抱きつくことはなかったんだ」
「そうですか」
「うん」
しばらく訪れる沈黙。
カーテンを全開にしているものだから、西日が部屋に差し込み、テーブルと俺たちの影は長く伸びて壁にくっきりと形をなしている。
ちらっと向かいのマンションを見たが、やはり恭子はいない。
「わかりました。じゃあ、そのふたりには今後一切、少なくとも、この空間にいる間は少佐にちょっかいを出さないよう、警告しておきましょう」
やっと口を開いたかと思えば、相変わらずまっすぐな主張をする成瀬。
「なんか、ずいぶん率直だな」
「もちろん、目的は明確に、です」
「警告か。でもあいつら、この世界では俺との関係を把握してないんだからさ、こっちの言うことをちゃんと聞いてくれるとは思えないけど」
「なので、はっきりと、我々との本来の関係を話すんですよ」
「え!?そんな!」
「いけませんか?」
「いや、しかし・・・信じてくれるかな・・・」
「信じさせるしかありません」
「いや、君はよかったさ。君はひとが嘘をついているかどうかがわかるという特殊能力を持ってるんだから。俺の話もすんなりと聞いてくれた。でも、あいつらにはそんな能力はないんだから。とても信じてくれるとは思えんが」
「なんとかわからせる方法を考えましょう」
と、言われても。
俺は腕組みして考え込むしかなかった。
普通に話した場合を想定してみる。
「おほほほ!少佐!頭がおかしくなったんじゃありませんこと?」
「少佐~。なんか変なもんでも食っちまったのか」
と、安未果と翔子に言われる光景が目に浮かぶ。
あ、でも。
「なんでおまえ俺のこと少佐って呼んでるんだよ、という説得の仕方は、ありかもしれないな」
「はい。確かに。それも有効かもしれません。ただ」
「それだけじゃ根拠は薄いか」
「だいぶ不自然な状況には違いありませんが、それでもにわかには信じられないでしょう。もう少し明確な、決定的な証拠みたいなものが欲しいところです」
「うーん」
あ、そうか。
なぜ今まで気づかなかったんだ!
さっき行ってきたばかりじゃないか。
俺は思わず立ち上がって成瀬を見おろした。
「わかったよ、成瀬!」
「なにがですか?」
俺はさっきあすかちゃんと行った、この異空間の果てのことを話した。
++++++
「なるほど。つまり、その世界の果てを、ふたりに見せるわけですね」
「うん。そうすれば、ふたりは俺の言うことを信じてくれると思う」
「なるほど」
そこで成瀬は窓の外を見た。もうほとんど太陽は地平線の向こうへ沈もうとしている。さっきよりも部屋の中にできた影は、さらに伸びて、壁に大きく映し出されている。
「今から行くのは、ダメですか」
「今からか?」
俺はさっき見てきた世界の果てのことを思い出してみた。
漆黒の闇だ。
「今から行くと、夜の闇と混ざって、果てがどこにあるのかがわからないかもしれない。その場合、まかり間違えば、俺たちは闇の中に入ってしまって」
「戻ってこれなくなるかもしれない」
「ああ」
「ならば明日ですね」
さすがに成瀬は決断も早い。
「ああ、それがいいと思う」
「では、今からあのふたりをここに呼びましょう」
「へ?今から?」
思わず声が裏返ってしまった。
「不服ですか?」
「いや、その、なんというか。ずいぶん急だな」
「少佐。早くこの空間から出ていきたいんでしょう」
「うん。まあ、それは、そうだが」
「ならば善は急げです。そもそもふたりは隣に住んでるのですから」
++++++
ということで、俺のせまいワンルームに成瀬、翔子、安未果、そして俺の計四名が集まるという謎の状態になってしまった。
成瀬と安未果は丸テーブルの前で正座している。
翔子は行儀悪く、頬杖をついてベッドに寝そべっている。
俺はキッチンと部屋の境目の柱にもたれて立っている。ここからだと向かいのマンションのベランダがはっきり見えるからだ。今もカーテンは全開にしてある。が、恭子は一向に姿を見せない。
「なあ、カーテン閉めねえのか?」
翔子が当然の疑問を口にする。
「ああ、ちょっと、ワケありでな。これから説明するよ」
「で、その話ってのは、なんだよ、少佐」
翔子が頬杖をつきながら俺のことを見上げる。
「翔子さん、あなた、ちょっとは行儀よくしたらどうですの」
安未果が翔子に抗議する。
「うるせーな。俺様はついさっきまで寝てたんだ。だるくてかなわねーんだよ。それなのに急に呼び出しやがって」
「まあ、相変わらず失礼なひとですね」
またいつものやり取りが始まってしまったので、さっそく切り出すことにする。
「君たちは俺のことを少佐って呼んでるだろう」
「ああ」
「ええ」
「妙だと思わないか」
「おうよ。すげー変だよこれって」
「なんで麿が少佐のことを少佐と呼ぶのか。麿も理解いたしかねまする」
「まあ、少佐っていうくらいだから、なんとなくわかるだろう?俺たちは軍隊で一緒だったんだよ」
「俺様が軍隊に入るってのか?」
「麿が・・・信じられませんことよ」
「まあ、いきなり言われても、信じられんわな」
「だいたい俺たち高校生じゃねえか」
「そうですよ。なんだか矛盾してますわ」
「その割にはみんな老けてると思わないか?」
「な!?」
「しょ、少佐!?老けているなどと!」
むっ。ちょっと言い方がまずかったかな?
ま、いっか。
「それはな。ここが現実世界じゃないからなんだ」
「は?」
「え?」
俺はここまでの経緯をふたりに説明した。
++++++
「少佐。さっぱり意味わかんねーよ」
「麿には少佐が狂人に見えますわ」
「だろうな」
予想通りの反応なので、俺は特に驚かなかった。
なぜカーテンを開けているのかも説明したが、それもいまいちピンと来ていないらしい。
こうやって話している間も成瀬は正座したまま口を真一文字に封じ、ずっと目を閉じている。
ふたりともどうしても信じられないらしいので、俺は一計を案じることにした。
「翔子、ちょっと、衝撃波出してくれないか」
「は?」
そう言って翔子は右手でベッドに頬杖をついたまま、左手で衝撃波を・・・
がしゃーーーん!!!
「ぎゃああああああああ」
「きゃあ!」
安未果が悲鳴をあげる。
お、俺の部屋の窓が・・・
さすがの成瀬も目だけは開けたようだ。
「な、なんですの、これは」
俺は部屋のガラスが割れたことで泣きたい気分だったが、説明をつづけることにした。
「しょ、翔子はな、いまみたいに衝撃波を放つ特殊能力を持っているんだ」
「あれ、なんでそれ知ってるんだよ、少佐」
「そういえばあなた、昨日、麿に対して不思議な力を発揮しましたわよね」
「ああ?そうだっけ?」
「あれが衝撃波ってことですの」
「そうだ。そして麿安未果。君は、初対面の男を一瞬で魅了する特殊能力を有している」
「まあ!なぜそれを!」
「な?これでわかったろ?俺がそれらの事実を知ってることが、俺が君たちの上司であったことの証だ」
「だから、麿の術に、かからなかったんですのね」
「まあ、それはわかったよ。それにしてもなんだって?俺様や安未果、成瀬はみんな現実世界の俺たちじゃないって?」
「そう・・・らしい」
「なんだかそりゃ気に入らねーなあ」
翔子がベッドの上で頬杖をついて足を組みながら、あごを突き出している。
「別に、実体のない俺たちが、少佐の嫁のご機嫌取りの協力をしなきゃいけないいわれは、ないだろう?」
「翔子さん!あなた、そんな言い方ってないでしょう?」
すると、それまで黙っていた成瀬が、立ち上がって翔子の前に立った。
俺からは、成瀬の横顔が見える。
目もとに髪がかかっているせいで、成瀬の目つきはよくわからない。
しかし。
成瀬は翔子に言った。
「あんた、少佐から受けたご恩を忘れたのかい?」
「え?」
翔子が裏返った声を出す。
「俺様が、少佐から恩を受けたって?」
「そうさ」
成瀬は、そのことは覚えてるのか?
成瀬が俺のほうを向く。
「少佐。我々は全員、少佐に恩がある人間ですね?」
「え、あ、いや・・・」
「そうですか。わかりました」
成瀬はまた翔子のことをまっすぐに見ている。
成瀬は相手がうそをついているかどうかがわかる。
今の会話で、一瞬で、俺がこいつらを助けたってことを、見抜いたというのか?
でも、具体的に俺がどんなことをしたかは、わからないはずだが。
「そういうわけだから。少佐に協力してあげてもいいんじゃないの?」
成瀬はほとんど声音も変えずに言うから、かえって怖いな。
「なんでおまえが、俺様が少佐から恩を受けたとか、そんなこと知ってんだよ」
「成瀬はひとがうそをついているかどうかがわかるんだ」
「え?なんだそりゃ?」
「おまえが衝撃波を使えるように、成瀬も特殊能力者なんだ。そして、俺が隊長を務めていた部隊は、君たち特殊能力者の集まりだったんだよ」
「え?マジなのか?そりゃ?」
「そう。そして、あなたは少佐の世話になった。それだけでも、協力する義理はあるんじゃないのかと思うけど」
また成瀬は翔子に向き直ると言った。
「ん・・・わ、わかったよ。・・・そうだな。少佐って自分で言ってるくらいだし。現実世界の俺様も、少佐に世話になってそうだもんな」
翔子は口をとがらせながらも、納得してくれたようだ。
そうして成瀬はまたテーブルの前に戻って正座した。
「ただよ、あんたの奥さんが異空間を作り出して、ここにあんたを閉じ込めちまったって話は、どうにも信じられねーよ。軍の話とは別だろう」
「そう言うと思ったよ。だから、明日、おまえたちをあるところに連れていく」
「あるところ?」
「それは、どこですの」
「まあ行けばわかるさ」
「なんだよ。どうせなら、今から行こうぜ!」
翔子はベッドの上で飛び上がってシーツの上に座りなおすと、あぐらをかいて言った。
俺はまっすぐに外を見た。
もう真っ暗だ。カーテンを完全に開け放しているので、街灯の明かりや月明りによってうっすらとテーブルや女たちの影が俺のほうへ伸びている。
キッチンの側に立っている俺からは、女たちの顔も逆光で、俺から見ると翔子以外の成瀬と安未果は顔が暗く、目元だけが光っている。
向かいのマンションのベランダに恭子はいない。
「今日はもう遅い。ちょっと遠くに行くんだ。だからまあそういうわけだから、明日の放課後、正門の前に集合な。終業のチャイムが鳴ったら、誰が一番はやく正門に来れるか、競争しようぜ」
それにしても。
俺の部屋の窓ガラスが・・・
++++++
ちょっと寒い。
いや、だいぶ寒い。
学校の始業式がついこのあいだだったのだから、今は四月ということになるはずだ。
窓ガラスの穴から隙間風が吹いてきて、俺の体を冷やす。
俺は銃弾が貫通したあとのように方々にヒビの入ったガラスの向こう側を見た。
今日は結局一度も恭子は姿を見せなかった。
どこかに行っていたのだろうか。
あすかちゃんによれば、恭子はこの世界では俺のことを常時監視はできないらしい。
俺は暗い部屋の中で、恭子のことを考えていた。
確かに恭子と付き合ってからも、望未との関係はずるずる続いていた。
話し合って正式に別れようということになっていたのだが、望未が寂しいと言うたびに、俺は会いに行っていた。別に何もする気もなかったし、実際に会って話をしただけだった。
キスすらした覚えはないのだが。
すまない、恭子。
今まで根に持っていたなんて。よほど辛い思いをさせていたのだろうか。
そう思うと、俺がいま受けているこの仕打ちは、自業自得なんだろうと思う。
妻に。恭子に。どうしてあげればよかったのだろうか。
でも、現実の世界に戻りたいのも、また俺の嘘偽りのない思いだ。
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