3日目・闇の向こう
この異空間を作り出したのは恭子なわけだが、前回の異空間では疲労を取れなかったのに対して、この空間では夜間に寝ていればちゃんと体力も回復するようになっているらしい。
昨日の一件があるので今朝は望未は俺の部屋にやってこないだろう、とは思ったが、念のために今日も早めに登校することにした。
玄関を出る前、部屋のカーテンを少しだけ開けて外を確認したが、向かいのマンションのベランダに恭子は立っていなかった。
まあ、四六時中あそこに立つわけにもいくまい。
++++++
教室に入る前、扉のガラス越しに中を覗くと、まだ誰も来ていなかったので、安心して入ることができた。
翔子や安未果、ましてや望未か恭子がいたら気まずいからな。
「お義兄さん」
誰もいないと思った教室内には、あすかちゃんがいた。
あすかちゃんの席はちょうど教室の教卓側にある扉からは死角になる場所にあるので見えなかったのだ。
「やああすかちゃん、早いね」
「お義兄さんと話そうと思って」
「そういや昨日、なんか話があるって言ってたね」
「はい。今日の放課後、わたしと一緒に電車に乗ってください」
「電車?どっか行くの?」
「はい。お見せしたいものが」
「電車ねえ」
なんだろう。俺は首をかしげたが、それよりも、前から気になっていることを聞くことにした。
「そうだ。あすかちゃんはさ、この世界でどこに住んでるの?」
「お姉ちゃんの住んでるマンションの隣です」
「え、そうなの?」
「はい」
「ふ~む。隣ね。一緒の部屋じゃないのか」
「それについては、わたしもお姉ちゃんに一緒に住まないの?と聞いてみたんですけど、あっさり無視されちゃいました」
「実の妹を無視か・・・・・・。あ、そうそう。昨日言い忘れたんだけど、俺のマンションの両隣に翔子と安未果が住んでるよ」
「そうなんですか!」
「うん。で、同じ階の一番奥の部屋に望未が住んでる」
「あの。確か、望未さんて、お義兄さんが昔付き合ってたひと、ですよね」
「そうなんだ」
「う~ん・・・」
「この世界を作ったのは、君のお姉さんだ。いったいどういう意図があってそんなことにしたんだろうね」
「・・・まあ、今までの経緯からすると、お義兄さんのことを試そうとしてる、って考えるのが、自然ですかね」
「試すねえ。つまり、俺が望未とイチャイチャしないか、ってことかな?」
「翔子さんや安未果さんとのことも見ようとしてるのかもしれないですけど」
「でも翔子と安未果とは、現実世界で俺や恭子とも一緒に住んでたんだ。なぜそんな」
「翔子さんも安未果さんも、お義兄さんのことが好きですから」
「でもそれは軍にいたころからの付き合いだからな。第一、俺は君のお姉さんと結婚したわけだし」
「う~ん。まあ、少なくとも、望未さんとは仲良くしないほうがよさそうですよね。まさか同じ階に住まわせるなんて」
「そのことなら心配ないよ。昨日、望未とは喧嘩別れみたいになったから」
「え、ほんとですか?」
「ああ」
++++++
俺は昨日あったことを、そのままあすかちゃんに説明した。
「なるほど。それじゃあもうお姉ちゃんはお義兄さんのことを許してくれるんじゃないですかね」
「望未との関係を自分で壊したわけだしね。でも、俺たちはまだこの空間の中に閉じ込められたままだ」
「まだお義兄さんのことを許していないってことでしょうか」
「本人に直接聞いてみるしかないか」
「でも、お姉ちゃん、ちゃんと話聞いてくれるでしょうか」
「さあ」
そこでガラッと扉が開き、数人の男子生徒が教室に入ってきた。
しかし、このモブ顔のやつらはなんなんだ。
「じゃあお義兄さん、今日の放課後、よろしくお願いします」
「うん。どこで待ち合わせればいいかな」
「正門のところで待ってます」
「え、大丈夫かな。君のお姉さんに見られでもしたら」
「別にそれは大丈夫ですよ。お姉ちゃんが嫉妬してるのは、望未さんとのことですから」
「嫉妬ねえ・・・」
また扉の開く音がした。
成瀬だ。
俺はすぐに成瀬のもとに駆け寄った。
「やあ、昨日はすまなかったね」
「何がですか」
そう言いながら成瀬は俺のことを見もせずに荷物を机の横にかけると、そのまま俺に背を向けて着席してしまった。
別に怒っているわけではないらしいが。まあ、彼女はいつもこんな感じだったから、しばらくそっとしておくか。
成瀬の背中を見たまま回れ右をすると、ちょうど恭子が自分の席に着こうとしていた。
俺は視線をしばらく投げ続けたのだが、彼女はこちらを見ようともしてくれない。
しょうがないので自分の席に着席すると、その直後に望未が隣にやってきた。
望未も俺と視線を合わせようとしない。
なんだかたくさんの女の子に嫌われたみたいで、さすがにちょっと心が痛い気がする。
++++++
放課後になると、俺は急いで正門に向かった。
もしも恭子や望未に話しかけられると話はすぐに終わりそうにない。
それは面倒だ。
なので就業のタイムと同時に俺は急いで正門に向かった。
ダッシュで来たので正門前にはまだ下校の生徒は誰もいなかった。
そこへ、小走りで近づいてくる影がひとつ。
あすかちゃんだ。
「おにいさああん!」
「やあ、あすかちゃん。走らなくてもいいよ」
「はあ、はあ。お義兄さん、チャイムと同時に行っちゃうんだもん。ビックリしちゃいました」
「ぼんやり残ってたら面倒な連中がうようよしてるからね」
「あはは。その言い方」
「それで、電車ってのは?」
「とにかく、ついてきてください」
言われるままに俺はあすかちゃんについていった。
あすかちゃんが一歩前を。
俺がそのうしろを金魚のフンみたいについていく。
電車の駅についた。
が、見慣れない駅名だ。やはりここが恭子の生み出した異空間であることを思い出させてくれる。
スマートフォンをかざして改札を抜ける。スマホには電子マネー用のアプリが元から入っていた。このへんも恭子の配慮だろうか。
改札を抜けるとすぐそこが駅のホームだ。向かいもこちらのホームも人影はまばらだ。
空を見上げると、視線を遮るような大きな建物もない。
ちょっとだけ視界の端に10階建てくらいのマンションがある程度の、ごく普通の地方都市の沿線という風情だ。
「あすかちゃん、これでどこへ向かうの?」
「まあ、それは乗ってみればわかりますよ」
「ん。そうなのか」
「そして、お義兄さんに話したいことというのは、電車に乗った後に話さないと、たぶん意味がないんですよ」
「・・・話が見えないんだが」
「だから、これからわかりますって」
あすかちゃんはいたずらっぽく笑顔でウィンクしてみせた。
なんだろう。まさかこの状況で俺にドッキリでも仕掛けるわけじゃないだろうし。そんな余裕はないはずだ。
電車がホームに入ってきたので乗る。
先頭から二番目の車両だ。全部で六両編成かな。
「お義兄さん、先頭車両に移りましょう」
「ここじゃダメなのかい」
「たぶん、あぶないです」
「え、あぶない!?」
「はい」
「なんだ?この電車、事故でも起こすの?」
その声を聞いて、周りにいた数人の客が俺のことを怪訝そうな顔で見てくる。
なので、小声で耳打ちするようにあすかちゃんと話す。
「どういうことなの」
「だから、それはこれからわかりますって。いやでも」
「ふ~ん」
なんのことだかさっぱりわからんが、俺はあすかちゃんに従うことにした。
電車は次の駅に停車し、そのまた次の駅を出発すると、さらに次の駅を目指していた。
あすかちゃんが電車の先頭へ向かって歩いていく。
「あすかちゃん?」
あすかちゃんの背後に声をかけるが、あすかちゃんはどんどん車両の先頭に向かっていき、やがて運転席の真後ろまでやってきた。
俺もあすかちゃんのところまで来て、電車の向かう方向を見た。
「あれ・・・え?」
空間が、ある地点から漆黒の闇に埋もれているのだ。
いや、線路だけではない。周りの風景全体が、線路のある地点からまったく何もない。
あすかちゃんは背中のリュックサックを肩からおろすと、中から鉄製のハンマーを取り出した。
「あすかちゃん、それは!」
「ちょっと離れててください!」
言い終わるか終わらないかくらいのところであすかちゃんはハンマーを窓に向かって振り下ろした。ガラスの割れる音。
次いであすかちゃんは扉の窓枠に残ったガラスの破片を足蹴にして全部取ってしまった。
まるで格闘家がやるみたいな見事な足の突き出し方に、俺は呆気にとられた。
あすかちゃんも武術でもやっているのか?
電車の進む方向を見ると、あともう少しで漆黒の闇の部分に到達する。
「電車の車輪に巻き込まれないように勢いをつけて飛び出してください!」
あすかちゃんはそう言い残し、走って窓枠から外に飛び降りた。
また電車の前方を見る。
あともうちょっとで真っ暗な空間に到達する。
俺は急いで割れた扉の反対側に行き、助走をつけ、扉に向かってジャンプした。
これくらいは軍時代の経験があるので手慣れたものだ。
俺はすとっ、と地面に見事に着地してみせた。
電車の向かった先を見ると。
電車はすでに消えてなくなっていた。
あすかちゃんは?
俺は電車のたどってきた線路の方向を見た。
あすかちゃんは線路のかたわらに生えている草むらに尻もちをついていた。
「大丈夫かい、あすかちゃん」
「はあーー。ちょっと尻もちついちゃいました」
そう言うあすかちゃんを、俺は手を差し伸べ引っ張り起こしてあげた。
「でも、お姉ちゃんのおかげで、痛みはないですね」
あすかちゃんはスカートについた汚れを手で払いながら言った。
そういえば、そうだったな。最初のループのときからそれは一貫しているらしい。
「でも、いま見たとおりです。これがお姉ちゃんの力の限界です」
「え?」
「ここから先は正真正銘、何もない空間です」
「この暗闇の先は何もないの?」
「それは、わたしにもわかりませんけど。なんなら行ってみますか?」
またいたずらっぽい満面の笑顔で俺のことを見上げるあすかちゃん。
俺は線路の先の闇を見た。本当に真っ黒だ。以前に理科の教科書か何かで見たブラックホールを彷彿させる。
「いや、遠慮しとくよ」
「これがお姉ちゃんの力の限界なんですけど、逆に言うと、ちょっと作りこみすぎちゃったのかもしれないんですよね」
「・・・どういうことだい?」
「お姉ちゃん、お義兄さんのマンションの向かいに住んで、お義兄さんのこと監視してるんですよね」
「あ、ああ、そうだね」
「その話聞いて、わたし思ったんです。お姉ちゃんなら、最初のループのときみたいに、お義兄さんのことを常に監視できる状況にしておくと思うんですよ」
「うん」
「でも、ここではそうしていない。わざわざ向かいのマンションに陣取ってるわけです」
陣取るって。ちょっと言葉の選び方が面白いな。
「変だな、って思ったんです。もしかして、お姉ちゃん、この世界では、空間を大きく作りすぎたんじゃないかなって」
「なるほど」
「最初のループの空間は、もっと小さかったですからね」
「そうなのかい?」
「そうですよ」
「ぜんぜん気づかなかった」
ということは、俺が恭子を助けようとして行動した範囲は、大して広くなかったわけだな。電車に乗って遠くに行ったわけでもないし。
あ。
「そうか!だから恭子は、俺と同じマンションの同じ階に、翔子や安未果、望未を住まわせたわけか」
「そうだと思います」
なるほどね。そう考えると、あいつ、よくこの世界を作りこんだものだな。
そこでまた俺はさっきから気になっていたことをあすかちゃんに聞いてみた。
「それにしても、さっきの電車に乗ってた乗客や運転手は、どうなっちゃうの?」
「あれもお姉ちゃんが生み出した人形みたいなものですから、特にどうもならないですよ」
「そ、そうか」
じゃあ人形でないぼくらがあっちへ行っちゃうとどうなるの?とは怖くて聞けなかった。
「ところでさ」
「はい」
「これから、どうやって帰ろうか」
俺とあすかちゃんは今来た線路の先を見た。
前の駅は、たぶん五キロくらいはここからあるはずだ。
「まあ、歩きましょうか」
あすかちゃんは満面の笑顔であっさりと言ってくれた。
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