巻き込まれてしまったあすか
「いや、のんきにって・・・いや、あの・・・」
「早くあたしを助けに来なさいよ」
「・・・は?」
薄い青色のロングコートに、真っ青なストールを首に巻いた恭子。つまり、俺の妻は、俺の目の前で腕組みしながら仁王立ちで俺のことを見おろしている。
見おろしているというよりも、それは完全に見くだす視線だ。頭に角を生やした鬼嫁が旦那を見おろすかのような視線。
「は?じゃないでしょ」
「お、おまえ、なぜここに!?」
「なぜって、あんたがあたしを助けに来ないからよ」
「はあ?なんだそりゃ?」
「ほら、早く助けに来なさいよ」
「た、助けに来なさいって、おまえ、そこにいるじゃないか」
「あんたが助けに来ないから、こっちから来てやったのさ」
「な、なんだそりゃああああああ・・・あいて!」
またあとずさって壁に後頭部をぶつける。
しかし、何度ぶつけても痛みがない。
「い、意味わかんないぞ!どういうことなんだ」
「どうもこうもない。早くミッションを完了しなさい」
「み、ミッション!?」
「あたしを助けることよ」
「おまえを助けることがミッション!?」
「そうよ」
「な、なんだ。さっぱり意味が分からない。とゆーか、おまえ、自分が死ぬことをわかってるってゆうのか!?」
「そう。あたしは死んだ」
「ええ?」
「確かにあたしは死んだのさ」
「え・・・は?」
「あたしが死んだことは事実。一度は間違いなく死んだ」
「一度は?じゃあ、二度目以降は?」
「二度目以降も、まあ、死んだようなもんさ」
「な、なんだそりゃ?ますます意味が分からないぞ」
「まあそうでしょうね。だから説明してあげる。ありがたく聞いてちょうだいよ」
「な、なんでそんな上から目線なんだ」
「あんたにムカついてるからよ」
「俺が助けに行かなかったからか?」
「それとは、ちょっと違うかな」
「じゃあ、なんなんだよ」
「あたしは死んだ。だけど、どうしても死にきれなくてね。あんたのおかげで」
「死にきれなくて?どういうことだ?」
「さあ、それは、あんたが考えてみれば?」
そう言うと、妻はコートのすそをはためかせ、俺に背中を向けて部屋を出ていこうとした。
「ま、待てよ、恭子」
俺は自分の右腕が動かせないことを一瞬忘れて右手をベッドにつこうとしてバランスを崩し、またもや床に落下してしまった。
「あたーー!」
だけど、痛みがない。
俺は左手で自分の右半身をベッドに押し付けてバランスを取り、左腕で体を押し上げてなんとか起き上がることできた。
急いで妻のあとを追う。
階段の下を見ると、妻の靴がワンセットだけなくなっている。
すでに出ていったらしい。
「くっそ、意味わかんねーよ」
俺は腕を通していない長そでシャツの右側だけをヒラヒラさせながら階段を下り、左手で靴を片方ずつ履いた。
「あれ?少佐、出かけるのか?」
うしろから翔子の声。
「行ってきます!」
俺は左手で玄関のドアノブをひねると、左肩でタックルしてドアを開けた。
妻が出かけた先はわかっている。
しかし。
そうだ。
妻に追いついたところで、妻が死んでしまうことは、これまで何度やっても回避できなかったのだ。
妻が出かけないよう誘導してもダメだった。
じゃあ、どうすれば。
俺は途方に暮れてせまい路地の中に入り、ビルの壁に、立ったままもたれかかった。
空をあおぎ見る。
ビルとビルの隙間から、真っ青な空が見える。
遠くのほうで小さなジェット機の音がしたと思ったら、ビルとビルのその隙間から飛行機が通過していった。
「どうすりゃいいんだ、まったく」
俺は肩で息をしていた。
ちょっと走っただけなのに、やはりこれまでの何度ものループで相当に疲れが溜まっている。
「はあ、はあ・・・」
「おにいさん」
ふいに声をかけられ、あわてて声のしたほうを向く。
そこには、神社にいる巫女さんのような恰好をした、紅白の上着に、長い真っ赤なスカートを履いた、まつ毛の長い美少女が立っていた。
だれだ・・・と一瞬思ったが・・・
妻か?いや・・・
「あ、あすかちゃんか!」
「はい。お久しぶりです。お義兄さん」
陰陽(おんみょう)あすか。
妻の妹。つまり俺の義理の妹にあたるひとだ。
「陰陽」というのは妻の旧姓。
今の妻は、俺の苗字「詳(つまびらか)」をとって、「詳 恭子」と名乗っている。
「お義兄さん。このたびは、お姉ちゃんのわがままに巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」
あすかちゃんは俺にまっすぐ向き直ると、深々とお辞儀をした。
「え、あ・・・あの」
お辞儀を終えたあすかちゃんは俺に向き直ると、眉毛をハの字にして口を開いた。
「この異空間は、お姉ちゃんが作り出したものなんです」
「・・・い、異空間?」
「そうです」
「異空間って、それは・・・つまり」
「お義兄さんが何度もループしているのは、お姉ちゃんのせいなんです」
「な、なんだって?」
「お姉ちゃん、死ぬ直前に、力を解放して、この異空間にお義兄さんを取り込んじゃったんです」
「え、え?」
「わたしたちの家系は代々、霊媒師の一族であることは知っていますよね?」
「あ、ああ、そういえば、そうだったね」
今の今まで忘れていた。
「そのお姉ちゃんが、死ぬ直前に、フルパワーでこの空間を作り出したみたいなんです」
「で、でも、君のお姉さんは、霊媒師だろう?俺も軍隊の時代に彼女が霊を召喚するところを何度も見たけど、異空間を作る能力なんて、俺は見たことないよ。それはもう、霊媒師ってもんじゃないだろう?」
「それは、いくら軍のためとはいえ、そんな強い力を使ったら、お姉ちゃんの体がもたないからかもしれません。確信は持てませんけど」
「そ、そうなんだ・・・」
と言われてもまるで実感が湧かない。いや、それよりも。
「あ、あのさ、未だに君の言うことは信じられないんだけどさ。その・・・仮に、君のお姉さんがこの異空間を作ったのだとしてもさ、君は、なんでここにいるわけ」
「わたしも霊媒師です。そして、お姉ちゃんとわたしは、ある程度はお互いの状況を交信し合うことができるんです。だから、わたしもよくわからないんですけど、たぶん、お姉ちゃんの力に巻き込まれちゃったのだと」
「ええ・・・」
俺は左手だけで頭を抱えた。
「だとしても、あいつは、あ、いや、君のお姉さんは、なんでこんなことを」
「それは・・・」
あすかちゃんは、腕を後ろにして下を向くと、もじもじとしてしまった。
「・・・なんか、あるのかい?」
「あの・・・」
さっきの妻の態度を思い出す。
「そうだ、もしかして、俺に、何か言いたいことがあって、死ぬ間際にどうしても伝えたいことがあったとか?」
いや、自分で言っててすぐに思い直した。何か言いたいことがあるなら、なぜあいつは何度も死ななければいけないのだ。
「それは・・・そういう言い方で、間違いではないですね」
「へ?どういうこと?」
「つまり・・・その・・・」
あすかちゃんはなおも、もじもじしている。それに、俺と目も合わせてくれなくなった。
「何か、俺に、言いにくいことでも、あるのかい?」
「・・・」
「はっきり言ってくれ、あすかちゃん。このままじゃ埒があかないよ」
「はい。これは・・・」
あすかちゃんはもじもじしていたが、
「これは!」
急にまっすぐに俺の目を見て、そして、あすかちゃんは言った。
「お義兄さんへの復讐なんです!」
「・・・へ?」
「お義兄さんがした、浮気への復讐なんです!」
え?
・・・
・・・
「・・・はあああああああああああ???」
思わず俺はあとずさり、また後頭部を壁にぶつけた。
「いた!」
が、やはり痛くない。
「俺が浮気したって!?いつ?」
「それは、昔です」
「昔っていつ?いつごろ?覚えがないんだけど」
俺はあすかちゃんに近寄ると、左手だけで彼女の右肩をつかんだ。
「きゃっ!」
「いつ!?俺は浮気なんてしたことないよ!」
「ふ~ん。覚えてないんだ」
右から、細い路地の奥から声が。
そこにいたのは・・・
「きょ、恭子!」
「ちょいと、あすかから手を放しなよ」
「あっ・・・」
俺はあすかちゃんを解放すると、腕組みして仁王立ちしている妻・恭子に向き直った。
「恭子!これは、おまえが生み出した異空間だってのは、本当なのか?」
「・・・」
恭子はその質問には答えずあすかちゃんのほうを一瞬見て、また俺をまっすぐに見つめて言った。
「あすかがしゃべっちゃったのね」
「ごめんなさい。お姉ちゃん」
「いいよ。あたしのほうこそ、まさか、あすかまで巻き込んでしまうなんて」
「恭子!俺とあすかちゃんを解放してくれ!」
「はあ?あんた、自分の罪をつぐなわずに逃げるつもりかい?」
「俺は浮気なんてしたことないぞ!」
「みやたのぞみ」
「はっ!?」
その名前は・・・。
宮田望未(のぞみ)。
俺の昔の彼女だ。
でも、望未は俺が恭子と付き合う前の彼女だ。
「望未は、おまえと付き合う前の彼女だっただろ!」
「へえ、下の名前で呼ぶなんて、未だに未練でもあるのかしら?」
「あのなあ。そんなのただのイチャモンだろ!だいたい望未とお前とは直接関係ない・・・」
そう言って、俺はあることを思い出した。
まさか、恭子は・・・。
「ふふふ。思い出した?あんたがしたこと」
「まさか、おまえと付き合い始めたころのことを・・・」
「図星みたいだねえ。そうよ。あんた、あたしと付き合いながら、その女とも続いてたんだろう?」
俺は何も言い返せないでいた。そう、確かに、恭子と付き合い始めたときには、完全に望未との関係が断たれたわけではなかった。
ずるずると、しばらく関係が続いていたのだ。
「で、でもそれは、仕方なくて・・・それに・・・そのころは」
「何が仕方ないのさ」
「いや、望未が・・・その」
「のぞみが?なに?」
恭子は思い切り首をかしげて下唇を突き出し、俺のことを見おろしている。
「望未が、寂しいっていうから・・・」
「ああああああああああ!ムカつく!」
恭子はその場でがに股になると、両の拳を天に向かって突き上げた。
そして、そのままの体勢で俺のことを、目を細めて睨みつけてきた。
「お姉ちゃん!気持ちはわかるけど、だからって、こんなこと!」
それまで黙っていたあすかちゃんが口をはさむ。
というか、恭子のあまりの迫力に、あすかちゃんがいたことさえ俺は忘れていた。
「あすかは黙ってな」
「うっ・・・」
恭子の気迫にあすかちゃんも黙ってしまった。
「わかった!すまなかった!俺が悪かった!でも、あすかちゃんは関係ないだろう!元の世界に戻してあげてくれよ」
そこで俺ははっとした。
「そうだ!あすかちゃんだけじゃない!家に残ってるふたりも、それから、街のひとたちも、みんな無関係じゃないか」
「そのひとたちのことなら、たぶん、大丈夫です」
なぜか恭子ではなく、あすかちゃんが代わりに応えた。
「あすかちゃん、それはどういう意味だい」
「わたしとお姉ちゃん、そしてお義兄さん以外は、すべて実体のない個体です」
「へ?」
「正確には、わたしたちも実体は元の世界にあるんですけど、つまり、なんというか。魂がこの世界に来ているのは、わたしとお姉ちゃんとお義兄さんだけだと思います」
「なんだそれ。そんなこと言われても、わかんねーよ」
「言ってみれば、わたしたち三人以外は、すべてお姉ちゃんが作り出した、コピーみたいなものです」
「え」
そ、そんな力が恭子にあったなんて。
「ま、そういうこと。だから、心置きなくやっていけるってわけよ。旦那さん」
恭子が腕組みをしてわざとらしくウインクしてくる。完全に俺のことを見くだしている。
「いや、ダメだろ!あすかちゃんが無関係なことには代わりないだろ」
「そうやって、あすかを盾にすることで自分の罪から逃げようって気だね」
「ええ!?」
「どこまでも卑怯な男」
「あ、あのなあ」
俺は唇を噛んで下を向くしかなかった。左手の拳を強くにぎる。
「じゃ、じゃあ、どうしたら許してくれるんだ!おまえを助けようとしても、おまえは死んでしまうじゃないか!」
「真剣にあたしのこと、助けようとしたの?」
「当たり前じゃないか!おまえが死なないよう、何度も助けに行ったさ!何度もおまえに声をかけて、そっちに行っちゃいけないとか、そもそも出かけちゃいけないとか、言っただろう!?」
「ふん、まあね」
「それに、おまえだってもうこんなこと嫌だろう?何度も死ぬのに痛い思いするのは嫌だろう?」
「あら、痛みなんて別にないわよ」
「えっ」
そこで俺ははっとした。さっきから、俺が何回頭をぶつけても痛みを感じないのは・・・
「ここは、あたしが作り出した空間なのさ。だから、ひとが痛みを感じないように設計しておいたよ。あんただって、ベッドから落ちても痛みを感じなかっただろう?」
「な・・・!!おまえ、なんで俺がベッドから落ちたことを知ってるんだよ!」
「見てたからね」
「はぁ!?」
こいつ、全部見てたっていうのか。
「お姉ちゃん、やっぱり全部見てたんだね」
「そうよ」
「だったら、もういいじゃない!お義兄さん、もう12回もループしてるんだよ」
え、俺、もうそんなにループしてるの?つーかあすかちゃん、数えてたの?
「わたし、もうヘトヘトだよ。お義兄さんは毎回走り回ってるんだから、わたし以上に疲れてるよ。もう許してあげてよ」
「いやだね」
「おいおい」
勘弁してくれよ。
「どうしたら許してくれるんだ」
「は~あ。うるさいねえ、ふたりして」
「・・・恭子」
「もうちょっとあたしのために振り回されて欲しかったんだけど・・・」
そうか。恭子は、浮気された仕返しをしたかったんだ。
「じゃあ、まあ、許してあげる」
「え、ほんとか。じゃあ・・・」
「ただし、また別のミッションをこなしてもらうよ」
「「え?」」
あすかちゃんと俺の声がハモった。
「また別の異空間で、恋愛ごっこをしてもらう」
「なんだそれは!?」
「お姉ちゃん!」
「そこで他の女とイチャイチャしないことね」
「ま、マジかよ!?」
「お姉ちゃん、本気なの?」
「安心しな。次の空間でも痛みは出ないようにしてあげる。それから、あたしとあんたたち以外は今回もあたしの作り出したコピーの人間にするから」
「あすかちゃんは、元の世界に帰してあげろよ!」
「うーん、そうしてあげたいけど、あたしがこの術を使うと、あすかはどうしても巻き込まれちゃうのよね」
「な、なんだそりゃあ」
俺はまたビルの壁にもたれた。もう力が抜けて、その場にへたり込んでしまいそうだ。
「じゃあ、行くよ」
そう言うと恭子は、右手を上、左手を下にして水晶玉を握るように手の形を整え、そして・・・
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