何度もループしてるがもうあいつ助けたくない(苦笑)

沖海マンセル

第1ループ

ループしているのは誰の仕業?


何度やっても妻が死ぬ。


何度ループしても、妻は俺の目の前で死んでしまう。

もう何度目だろうか。

最初はトラックに轢かれ、次はタクシーだった。

その次に、そもそも妻が出かけて行かないように誘導しようとしたが、それもダメだった。


妻が出かけた後どこに行くのかがわかってからは、先回りし、妻を止めようとしたが、それもダメだった。


そして。

もう何度目かわからない。

数える余裕なんてなかった。

妻はまた、俺の目の前で死のうとしている。

俺はもう、声をかけることすらできなくなっていた。

妻はいま、俺の腕の中で息絶えようとしている。

それなのに、俺は涙すら出なくなっていた。

ただ呆然と、彼女の顔を見おろしているだけ。

頭と鼻、口から多量の血を流している妻は、口をぽかんとあけ、安らかな表情をしている。

すでに呼びかけには応じなくなってしまった。

遠くのほうでサイレンの音と、周りのひとのざわめく声が聞こえる。


こんな状況なのに、俺は冷静に腕時計を確認する。

14時1分。

あと1分で、いや、あと30秒もないだろうか。

またループするのだ。

妻を助けるために、俺は、何度もループする。

しかし、あらゆる手段を講じても、一向に妻を助けられる気配すらな・・・・



++++++



目をあけると、見慣れた天井が目の前に広がっていた。

もう、すぐに起き上がろうという気すら失せていた。

俺は起き上がらず、そのまま首をひねって部屋の中央にある小さな丸テーブルの上の置き時計を見た。

そばには開封痕をセロテープで止めたカイロの袋が寝かせてある。

やはり時刻は13時2分。

一時間前に戻っている。


このあと妻は出かけていき、そして事故に遭って、死ぬ。

俺はそれを阻止しようと奔走するが、確実に妻は死んでしまう。

もっと他に妻を救う方法はないものか。

何度も考えたが、なにをやってもうまくいかない。


せめてループするのが二日前や一日前、いや、数時間前であれば、まだなんとかできるのかもしれないのに。

それなら、彼女の予定自体をキャンセルさせることだって。


いや、それはさっきやったな。


くそっ。


どうすればいいんだ。


すでに何度目かわからないループ。

体の疲労はループしたらそのたびにリセットされるというわけでもなく、そのまま疲れは溜まっていく一方だ。

いい加減、くたくただ。肉体的にも、精神的にも。

愛する妻の死ぬ瞬間に立ち会うだけでも精神的にきついのに、おまけにこの体の疲労具合。

ベッドから起き上がるのもおっくうだ。


・・・


いや、待てよ。

どんなに手を尽くしても妻は死ぬ。

一時間後に、死ぬ。

それは確定している未来だとして、俺が彼女を助けに行かなかったら。

もしかして、彼女を助けに行かないことで、彼女はむしろ助かるのではないか。

だとしたら。


俺はベッドから飛び起きると、ベッドに座りなおし、右手はぶらさげたままで、左手ひじをひざの上に置き、左の親指と人差し指でこめかみを押さえ、目を閉じた。


頭の中で情報を整理する。


妻はこのあとすぐ出かける。


「いってきまあす」


下の階から妻の声。


「いってらっしゃいまし!」

「弱っちいやつはぶっとばしちまえよ」

「もう、いつもそんなことしてないってば」


妻と同居人たちの声。

妻が出かける先はフィットネスジム。


毎回このパターンで俺は妻を追いかけた。

最初は自分だけで追いかけた。

その後、何度目かで同居人たちに事情を説明して追いかけた。

同居人たちは俺の頭がおかしくなったと思ってなかなか取り合ってくれなかったのだが、なにしろあの妻のことなんだ。

同居人たちもそんなこともありえるかも、と思ってくれたのか、何度もループするうち、説得するコツもわかるようになった。


しかし、もしもそれらを一切しないで、妻を助けに行こうとしないで、ここでじっとしていたとしたら。

それがむしろ彼女を助ける最善手なのではないか。


俺はここで待つことにした。



++++++



毎回彼女を助けに行こうとするときはとにかく必死で全速力なのだが、逆に待つという行為は当然に暇になるものだ。

何もしないでいる一時間というのは想像以上に長い。

といって、これから妻が死ぬ、あるいは死ぬかもしれないという状況において、他に何かする気にもならない。

ゲームや読書をするなどという気にもならない。

もしもこの状況でそんなことができるやつがいるのだとしたら、そいつはよほど狂っているか、バカなやつだけだろう。


いや、果たして今の俺は、充分に正気を保っていると言えるのだろうか。


そもそも時間が何度もループするなどということが、現実にありえるだろうか。

もしかして、これは夢なのでは。


いや、夢であって欲しいという願いはここに来るまでに何度も思ったではないか。

そのたびに俺は打ちのめされてきた。

しかし、もしも俺が狂っているということのほうが現実ならば、この異空間に閉じ込められてしまっているということ自体が、俺の見ているただの幻想、いや、妄想なのではないか。


頭をあげると、時計の針は14時58分を指していた。

そばのカイロには「10時間持続します」と記されている。

俺にも10時間の猶予があればな。

だが、あと数分で妻は死ぬ。

いや、死ぬかもしれない。

生き残るのかもしれない。

わからない。

生き残ってくれ。

頼む。


俺は動かすことのできない右手をそのままに、左手だけをあげて、観音様みたいに目を閉じて祈った。

頼む。

どうか。


俺は右目だけをあけて、ちらっと時計を見た。

15時1分。

あと一分か。数秒か。

どうか。神様。

妻を、生かしてやってください。



++++++



目をあけると、やはり、いつもの天井が。

俺は半身だけ体を起こして時計を見た。

14時1分。


「あああああああああああああああ!!!」


俺は叫びながらその場でジャンプした。


瞬間、着地に失敗して、そのまま倒れそうになる。


「うわ!」


「いってらっしゃいまし!」

「弱っちいやつはぶっとばしちまえよ」

「もう、いつもそんなことしてないってば」


妻と同居人たちの声。その声と同じタイミングで、俺は右手をかばうようにして、なんとか体を左側にひねった。

しかしそのせいで、


「うわ!」


俺は左手からベッドに落ち、俺を支えるには足りなかったベッドの幅からその先は、頭と左の肩を床に打ち付けた。


「いた!」


床はフローリングだが、幸いカーペットが敷いてあったので、落下した高さが大きかった割には大事には至らなかった。


のだが、


「あ、あれ、どういうことだ・・・」


俺は思わずひとりごちた。

なぜか、痛みがまったくない。


ドタドタと階段を駆け上がる音。

直後に開くドア。


「ど、どうしたんだ、少佐!」

「ものすごい音がしましてよ?」


ドアのほうからふたりの女が心配そうに俺のことを見ている。

と思ったら一散に俺のもとに駆け寄ってきてくれた。


「あらあら、少佐。ベッドから落ちてしまいましたの?」

「なんだよ、ひとりで暴れてたのか?」


「いや、すまない。ちょっと。」


だめだ。またループしてしまった。

しかも、さっきのループ前にまた妻は死んでしまったのかどうか、今度はそれすらもわからない。

いや、ループしているということは、やはり妻は死んだと考えるのが妥当だろう。


ふたりの女たちは不思議そうに俺の顔を真上から覗き込んでいる。

俺は起き上がろうとしたが、左手だけではいつもどおり起き上がるのが遅くなる。

そこへ、翔子が俺のことをひょいと持ち上げてくれた。

翔子はもう冬だというのに半袖シャツにデニムのホットパンツを履いている。

ぜんぜんホットじゃない。いや、今はそんなことを考えている場合ではない。


「少佐。気をつけなよ。右手が使えねえんだからさ」

「あら、もうちょっと言い方がありませんこと」

安未果が翔子に抗議する。いつものやり取りが始まってしまった。

安未果は逆にごちゃごちゃとしたド派手な花柄の着物を着ている。ベリーショートの髪型が着物と合っていない気がする。いやだから、今はそんなことを考えている暇はない!


「ああ?そりゃどういう意味だい?」

「もうちょっと言い方ってものがあるでしょう、と言ってますのよ」

「意味わかんねーこと言うなよ」

「ありますことよ。右手が使えない、ではなく、右手を気づかってください、などと、他に言いようがありますでしょうに」

「めんどくせえ女だな」

「なんですって」

安未果が翔子のことをにらむ。

「あのね、きみたち・・・」


「だいたいてめーはよ」

と翔子。


ああいつもの、かしましい女たちの喧嘩が始まってしまった。

だけど。

このにぎやかなやり取りも、妻が死んでしまった後では、出来なくなってしまうのかもしれない。


「あ、あのさ」


俺はここまでのループで何度もしてきたように、ことの顛末を説明しようとした。


「ああ?」

「どうかなさいましたか、少佐?」


いや、ここで彼女たちに説明しても、結局、妻は死ぬのだろう。

だいたい彼女たちへの説明はさっきやった。でもダメだった。

だとしたら、


「どうしたんだい、少佐」

「何か、心配ごとでもございますの?」


「あ、ああ・・・いや、なんでもないんだ」


その後もふたりにはあれこれと聞かれたが、なんとか追い返すことができた。


時計を見る。

時刻は14時25分。

俺はもう一度、妻を助けに行かずに自分の書斎で待つことにした。



++++++



やはりだめだった。

結局いつもの妻の死ぬ時間になると、いつもどおりにループし、いつもどおりに俺はベッドに横たわっていた。


しかし何度ループしても、やはり体の疲労だけはずっと溜まったままだ。


「いってらっしゃいまし!」

「弱っちいやつはぶっとばしちまえよ」

「もう、いつもそんなことしてないってば」


すっかり聞きなれた会話だ。


やはり妻を助けないと、この無限ループの地獄からは抜けられないのか。

だとしても、ちょっと休みたい。

妻よ、すまない。

あとで必ず助けに行くから、今は、ちょっと休ませてくれ。

そう思い、ベッドで横になっていると、いつしか俺は眠っていたらしい。













「おいこら!助けにこんかい!」


急な怒鳴り声にビックリして俺は目を開けた。


そこには。


「う、うわあああああああああ」


俺はベッドに寝た状態のまま、あとずさって壁に後頭部をぶつけた。


「いた!」


と、左手で頭をおさえるが、やっぱり、痛みはない。


しかし。


「恭子!」

「あんた、なにのんきに寝てんの?」


なんと、そこには恭子、つまり、俺の妻が立っていた。事故で死ぬはずの、妻が。

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